私が楽になれば、息子は楽になる。
それはどういう意味なのだろう。
カウンセリングでは、私が今までどういう生き方をしてきたのか、そしてどんな気持ちを感じてきたのか、または抑えてきたのか、振り返ることの繰り返しでした。
私は子どもの頃から、どちらかというと何でも卒なくこなして来たタイプだと思います。
というより、そう周りからは見られていたと思います。
でも、本当の私はいつも必死で、自信が全然ありませんでした。
そのギャップに子どもの頃から苦しんでいました。
弱さを人に見られないように、いつも取り繕っていたからです。
私はそれはただ自分のプライドが高いせいだと思っていました。
でも、カウンセリングの中で、それは私の母の生き方に関係しているという事を知りました。
母はいつも頑張っていました。
いつも人のために自分を犠牲にしていました。
辛い事も苦しい事も、弱音を吐かずに耐えている母を私は尊敬していました。
カウンセラーさんがこんな事を言いました。
「あなたはお母さんと同じ生き方をしてきたのですね。あなたが頑張り続けてきたのは、頑張らない事を自分に許すとお母さんの生き方を否定する事になってしまうからですね。」
そうか…
私が弱さを見せないように頑張ってきたのは、弱い自分を認めてしまう事で、母の生き方を否定してしまうのが嫌だったんだ。
母と共に生きていたかったのだと、初めて気付いたのです。
「息子さんも同じですよ。あなたの生き方と同じ生き方をしています。」
そう言われて、彼の生き辛さは私の人生の生き辛さであり、それはすなわち私の母の生き辛さでもあることを学びました。
親から子へ、こんな風に苦しみが繋がっていくのだなぁと考えたら、なんだかちょっと、怖くなりました。
生き方の連鎖というものが、知らず知らずのうちに起きていたのだなぁと。
でも、息子がそれに気付かせてくれたんですよね。
不登校というものを通して。
(つづく)