自身との向きあいの春…と春の山活の記録(^^) | なっぱっぱ♫のブログ

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ご無沙汰しておりました!!なっぱっぱですニコニコ

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苔の雫のなかに、虹の妖精さんラブラブ

 

 

 

 

思うことあり、長いことお休みしておりました。

お休みしているあいだ自身とゆっくり向きあい、

今、とてもスッキリアップしていますおねがい

 

 

 

といっても、季節は春爛漫桜の最中ラブラブ

大自然のなか、あちこち元気に楽しんでおりましたニコニコ



 

長らくお待ちいただいていたみわこさんドキドキと、六甲山神社の磐座をお参りに行かせていただいたり…音譜

ほんとに長らくお待ちさせてしまい申し訳ありませんあせる

そして素敵な時間をありがとうございました♡



 

 

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神社のちょっと奥の方にあります。

穏やかな光と風のなか、心静かにお参りさせていただきました✨

 

 

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こちらはお不動さまをお祀りしている場所です。

今回はお願いしてお写真撮らせていただきました🙏

 

 

 

 

 

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六甲山神社さんの次には、六甲山の絶景・絶叫⁈スポットの、堡塁岩ビックリマーク

 

 

これぞ大自然❣️な、すごいところです。

人の大きさはそうですね〜、この写真では米粒くらいかな・・・もう岩の要塞のようですね!

 

 

ロッククライミングでもとても有名なところなんです。

 

 

 

 

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その岩の上に立ちます。下は底の見えない高さの断崖絶壁。

「腰が引けるあせる」とみわこさん。それはもう、無理ないです爆  笑

 

 

 



 

 次の週には、金峯山寺さんまで照れ

後で気づいたのですが、この日はわたしのkinバースデーでしたラブラブ



蔵王権現さまを拝観させていただきました✨

撮影禁止なので写真はありません



こちらの見開きページ、絵画ではなくて、写真なんです!なんと幻想的で神秘的なんでしょう…✨






↓↓以下、上記のサイトさまから抜粋させていただきました


金峯山寺

吉野山から山上ヶ岳にかけての一帯は、古くから金の御岳(かねのみたけ)、金峯山(きんぷせん)と称され、古代から世に広く知られた聖域とされました。白鳳時代に役行者が金峯山の山頂にあたる山上ヶ岳で、一千日間の参籠修行された結果、金剛蔵王大権現を感得せられ、修験道のご本尊とされました。役行者は、そのお姿をヤマザクラの木に刻まれて、山上ヶ岳の頂上と山下にあたる吉野山にお祀りしたことが金峯山寺の開創と伝えられています。以来、金峯山寺は、皇族貴族から一般民衆に至るまでの数多の人々から崇敬をうけ、修験道の根本道場として大いに栄えることとなりました。明治初年の神仏分離廃仏毀釈の大法難によって、一時期、廃寺の憂き目を見たこともありましたが、篤い信仰に支えられ、仏寺に復興して、現在では金峯山修験本宗の総本山として全国の修験者・山伏が集う修験道の中心寺院となっています。





この一帯、天川の大峰山から続く、修験道の聖地なのですね✨



真ん中に蔵王堂と、満開の桜🌸✨

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吉野山の桜🌸 

これだけたくさんの桜の木々を守っている地元の方々に頭が下がります



桜の木の生えている山は、吉野山も含めてどこも急峻な斜面汗 

きっと並々ならぬご苦労があることと思います。





そうした人々の丹精こめた桜への心や

蔵王権現さまのいらっしゃる聖地としてのお力、

そして、お寺さまの日々の祈り✨




そうした諸々全てにひかれて、たくさんの人々がこうして集まるのだろうなぁと思いました照れ







さらに昨日は、滋賀県の霊仙山へ♫

ものすごい強風のなか、ほんとに吹き飛ばされそうになりましたあせる






『経塚山』とあります

こちらも修験道が行われていたのかな⁈と思いました


道なき 岩の急斜面あせる 四つ足にならないと登れない厳しいところもありました。










そんな強風のなか、岩陰で咲くお花たちに心和みますおねがい






わぁー✨




霊仙神社⛩✨とあります




雪解け水で、鳥居の向こうに池が✨










この強風吹きすさぶ お山のてっぺんの道標はどこを指しているんだろう……。






※さて。。ここからは ちょっと変わって向き合いの心の呟きですにやり



この星に生まれて来たわたしたち。

それぞれが生まれてきた目的とテーマを持ち、生きていると言われていますね。



これまでわたし自身はそんなに難しく考えたことはなくて、

好きなことをしていく中で 経験して感じたり、気付きを深めていけばいいのかなと思っていました。




今もそれは変わらず…なんですが、開聞岳から帰った頃から、ハタと思い当たってしまったんです。




わたし、好きなことをしてる!ってこれまで思ってたけど、



それ本当に『自分が』

好きなことなんだろうか?




誰かの好きや、社会的に良いと認識されるようなものに、自分を合わせて、『これが好きっ♡』てなってないだろうか?!と。




この、人に合わせた状態での『好き』に、自身がすごく揺さぶられる思いだったのですガーン



『好き♡』まで人に寄せている自身。つまり、

『好き♡』が好きではなく、ただ人の目を気にしているだけな自身。




『好き』のなかの、不純物に気づいたような気がして、なんとも薄ら寒くなってしまったんですあせる




そんなに厳密になる必要ないのかもしれません。

人間ですから、完璧ということ自体ないですし、

そんなもんかな音譜ていうのは もちろんありだと思います。




でも、その時心に引っかかったこと。

この自身への疑惑⁈ 問いを考えてみることにしました♪




長くなったので、続きは次のブログにて音譜

ご興味有れば…。笑笑^ ^



読んでいただきありがとうございました🌈