スピリチュアル派の中では珍しいのかしら。

 

私はワクチンを接種しています。

 

これは、コロナ禍で暇だったこともあり

 

いろいろなデーターを自分なりに読んで

 

解釈をしてみて


コロナに罹患するリスク > 副作用を含むワクチンのリスク

 

を結論づけたからです。

 

私には医学知識はありませんが、

 

以前からアメリカの製薬会社に

 

投資をしていたころもあり、

 

治験データなどを日ごろから

 

読んでいた事が功を奏しました。

 

 

 

これ、もちろん同じことをして

 

逆の意見の方もいらっしゃると思います。

 

 

 

 

私自身は本人が決めたことは

 

口出しするべきではないという意見ですが、

 

陰謀派の方の意見を読んでみると

 

陰暴論を唱えている

 

「誰か」を信じていらっしゃる方が

 

圧倒的に多いのだなって感じました。

 

また、データ自体を

 

全く読んでいらっしゃらない人が多いのも特徴ですね。

 

読んでもいないのにデータが改ざんされているという根拠はなんなんだろう?

 

 

 

こういう方に限っていい加減目覚めろ!とか

 

国の言いなりになるな!とか

 

などおっしゃっていて、

 

それは自己紹介ブーメランなのでは?

 

と思わないこともないのですが。

 

「お国」から陰暴論派の誰かに変わっただけやんか・・・

 

 

 

 

 

 

 

前々から思っていたことの一つに

 

日本の教育での自分で意思決定をさせない

 

という部分が大きいような気がします。

 

「誰かすごい人」の意見さえ聞いておけばいい。

 

つまり、自分で決定をして

 

自分で責任を取る勇気がない。

 

 

 

 

今あるカルト宗教問題

 

または

 

投資詐欺に合っている人なんかも

 

極悪非道なことをしている証拠が

 

出ているにもかかわらず

 

最後の最後まで

 

「○○さんは裏切らない」

 

「○○さんが言っていたから大丈夫」

 

と言い続けていたりします。

 

日本人独特の忠誠心もあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

私は人間というのは間違いを繰り返し

 

学んでいく生き物だと思っています。

 

また、間違うことで学び修正していくこと

 

こそが人生だと思っています。

 

むしろ間違いがありきだと

 

言っていいかもしれません。

 

 

 

だから誰かの言葉?教え?を

 

妄信的に信じ切るというのは

 

時が経つにつれて問題になると思っています。

 

人は間違う生き物だから。

 

 

 

カルロス・ゴーン氏の言葉だったと思います。

 

「日本人は誰も責任を取りたがらない」

 

みんなで決めて、みんなで責任

 

みたいな生き方を

 

日本社会全体がしているので

 

いざ、何かを決めるときに

 

誰かの意見にすがりたくなる。

 

もしくは導いてくれる人に

 

すがりたくなる。

 

これが今の問題の原点じゃないかなと思う。

 

 

 

本来のスピリチュアルな生き方というのは

 

自分の内側の神様の信じることであり、

 

自分の人生に対して、意思決定一つにしても

 

ちゃんと責任を取ることだと思っています。

 

また、そういう人が

 

神様?仏様?もしくは神意識でも潜在意識でも

 

繋がっていくのではないかと思う。

 

どんな宗教を見てみても

 

極端な例でいえば

 

奇跡を起こすような人たちを見ていると

 

この部分はどの人にも共通している部分ですね。

 

 

 

 

私は人間はしょせん

 

人間だと思っています。

 

 

 

素晴らしい人からの教えを

 

学ぶことはあると思う。

 

でもその素晴らしい人だって間違うし、

 

間違いから学ぶことがあっていいと思う。

 

だからこそ、私たちは誰かの言うことを

 

妄信的に信じたり、

 

誰かを信仰の対象をするべきではないと

 

思うのです。

 

 

神の前にみな平等、

 

これが本来のスピリチュアルな

 

生き方ではないでしょうか?

 

 

 

 

私のブログを読んでくださる方は

 

きっと私のこの意味をわかってくださると

 

思います。