パ・ピ・プ・ペ・ポ

新卒にてお世話になった神奈川県住宅供給公社。以前にもお話ししましたが、小生とっては「第二の青春」を過ごさせていただいた楽しくも充実した職場でした。個性的な上席の方々大勢いらっしゃって、新入社員や若手社員の取り扱いは様々。ただね、今思えばお互いに不安だったと思いますが、とにかく、よく仕事をさせていただけた。失敗しても根気良く教えてくれたりして。今、かつての職場にいたとして、小生自身にそれができるかと言ったら、時代の変遷もあって難しいかもしれませんね。今の時代のように失敗が許されなかったりする風潮の中ではね。あの頃は「失敗がプロフィールになる」時代でしたしね。。。。。

 

仕事上がりの「夜の部」も、それはそれはご指導を。後に続く「夜の横浜市長」への道も、ここで教わった大人の方と飲む時のマナーみたいなものが今に生きているように思います。そう「楽しく飲む」ための最低限の弁え。たまたま席を横にした方とも楽しく飲めるのも、あの頃鍛えていただいたお陰かもしれませんね。

 

で、タイトルのI島課長。直属の上司ではなかったのですが、昼間の仕事もさるとこながら、夜の部、特に「歌の先生」でした。下手の横好きだった小生を直属の課長に遠慮しつつ「夜、一杯どう?」とそっと誘ってくださった事を思い出します。主戦場は野毛で持ち歌は「高原列車は行くよ」。伸びやかな歌声は今でもご健在でしょうか?


枕が長くなりましたが、今宵はあの頃、そう給料日後にI島課長によく連れて行っていただいた野毛の「錦寿司」さんへ。当時は軽く摘んで、そのあとは日の出町の川っ淵にあったスナックへGOというのがお決まりのパターンでした。「I島課長、今でもお元気されてるかな?」と思いつつ。でね、その「錦寿司」さん、最近、長年あった店舗から移転し、新築されたピカピカのお店で営業を再開されたと聞いて、是非一度お邪魔したく、今宵は今の「歌の先生」であるK下先輩にお付き合いいただいて、あの頃と変わらぬパターンで週末の夜を楽しむのでありました。。。。。

 

<日の出町橋を渡った大岡川沿い。イベントで賑わっていました>

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<高級感漂う入口ですが、お店はあの頃同様「アットホーム」でした>

1,2品のアテで酒を飲み、握って貰って4、5貫摘まめば5~6000円で上がれるかなぁといった感じですが、何せ今宵は大食漢の二人組。↑これだけいただいて、ジャパン(今宵は澤の鶴の辛口純米酒)を煽ればやはり、ひとり一本(諭吉様1枚)となりますね(笑)この界隈には昔からある庶民に寄り添った寿司屋さんが幾つかありますが、今日みたいにワチャワチャいただくなら「纏」さんや「とみいち」さんの方がコスパがいいかもしれません。こちらは気さくなマスターや女将さんに相手をしてもらって、ゆっくり、シッポリいただくのが心地良いかもしれませんね。

で、今も昔も変わらぬパターンで。今宵の「歌のコーナー」はお久しブリーフの「樹林」さんへ。隣り合わせたご夫婦と歌合戦を刊行しました!

<変わらぬ温かい灯に迎えられました。。。。。>
 
一頻り歌わせていただいて、そろそろお開きの時間。ご一緒させていただいたご夫婦と健闘をたたえ合いお店を後に。で。。。。。お待たせしましたN村先輩、「〆〆団」のコーナーです。

本日の〆の一杯は今更ながらベジファーストにて(笑)多分、この界隈で「タンメン」をいただいたら№1であろ「大来」さんにて野菜たっぷりの温かな一杯をいただくのでありました。

<ねっ!健康的でしょ(どこがやねん!)>
 

大船行きの終電車に急いだら一本早い磯子行きに乗れました。K下先輩が磯子からタクシーでお帰りになるとのことで途中まで甘えさせていただきました。いやいや、今宵も良く飲み、よく食べ、よく歌いました。明日から連休。扇風機とファンヒーターを入れ替えとスーツ他の衣替え、余った時間で自分探しの旅の続きでもしますかね。

てなことで今夜はこの辺で。

続きは次回の講釈にて。。。。。