身内や親しい知人・友人、恩師等々の訃報に触れるとその人と過ごした、ありし日のワンシーンを思い出すと共に、自身の人生や命のこれからについて考えることがあります。長い人生、山あり谷あり。これまでは、特に所帯を持って人の親になると歯を食いしばって生きなきゃ行けない時がほとんどだったように思えますが、未来は明るく穏やかにあって欲しいと願ったりします。最近、そう、子どもたちが社会人となり一応、紛いなりにも自身で食べていけるようになると、あとは残った夫婦二人で何とか「願う余生」を送っていきたいと思うものです。これは小生のもとに嫁いできたせいが多大にあると思いますが、結婚当初は大人しかった家内も、25年以上の時が経つと小生と同じような「燃える闘魂」に(笑)我が家に「冷戦」なく常に「鍋・釜・薬缶が飛び交う激しい戦争」。ただね毎回一過性のもので翌日にはお互いに焼け野原を見つめつつ「これではいけない」と思う訳です。ただ、今はいいけど今後、ボタンの掛け違いか何かで、楽しい未来が想像できなくなったら、もうそれは「我慢しなくていいとき」だと思っています。「熟年離婚」という社会現象がありますが、たぶん、それって「過去の恩讐」と言うよりも「未来への絶望」がその理由なのかも知れませんね。。。。。

さてさて、今宵、家内は「夜のお勤め」娘は残業と言うことで、自らを見つめ直すべく地元パトロールへ。そんな夜には同志MOTO-chanに小生の駄法螺話に付き合って貰うのが何よりの「癒やし」。とか何とか理由を付けて、今夜も「元気鶏」さんで美味しい焼鳥をアテに怪気炎を上げるのでした。


<本日のお薦め「鰹の塩たたき」。レバーに添えられたニンニクと一緒にいただいて旨さ倍増でした>



こちらはいつも商売繁盛。景気を付けて貰うのに持って来いですね。今宵も「元気」をいただいて明日からの楽しき人生を想像するのでありました。

てなことで今夜はこの辺で。

続きは次回の講釈にて。。。。。