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simple×ism

必要なこと、普通のこと、あたりまえのこと
シンプルに考えてみませんか

ミニマリストへの批判として、

「無駄がいいんだ!」とか、「無駄が人間の良さだ!」

と言う人がいる。

 

しかし、よく考えてみれば言っていることがおかしい。

「いい」と感じているということは、つまり 「無駄ではない」 ということだ。

 

ミニマリストへの誤った見方として、

”必要なものさえも削り落として、修行僧みたいな生活をすること”

と勘違いしている人が多い。

 

「いい」と感じていることは、自分に対して何らかのプラスの影響を与えているということだ。

そういう物は省くべきではないし、そんな必要もない。

 

大事なことは、自分に対して何のメリットも与えてくれないような、

本当に”無駄”なもの、これを速やかに一掃することである。

 

「いい」とすら感じられないものを、心を鬼にして手放していこう、

そうして必要なものを手に入れて、新陳代謝を良くしていこう、

これがミニマリズムの考え方である。

 

 

モリカケ騒動などに対して、「政府の説明に納得できない!」という意見を結構聞きますが、

 

 

世の中、納得できないことは山のようにあります。

いちいち目くじらを立てても仕方がないと思うのです。

 

どうです?私のこの意見は。

 

こういうことを言うと、「主権者たる国民の税金で政治家は給料をもらってるんだ!!しっかりチェックしないでどうする!!」とお叱りの言葉を頂きそうです。

 

ではあえて言わせていただきます。「政府の説明に納得できない」とは、具体的に①どの箇所が、②どのように、③どういう理由で、納得できないのでしょうか?答えられますか?

 

「しっかりチェックしないといけない!!」と一人前に言うのであれば、必ず答えられるはずです。

 

でも、はっきり言って、この問いに答えられる人は残念ながら見たことがありません。

 

結局は、マスコミの論調に流されて「”なんとなく”政府の説明は十分じゃないんだろーなー」程度にしか思っていないのです。

 

世論調査でも、「Q:政府の説明に納得できますか?」と聞かれたら、大抵の人は「できない」と無難に答えますよね。

「できる」と言い切ることは、自分自身に対してかなりのプレッシャーを与えますから。

 

結局はその程度の話なのです。

 

 

 

 野党「森友問題、加計問題、国民の信用は地に落ちた!!」

 ↓

 安倍首相「では、解散総選挙をして国民の信を問いましょう」

 ↓

 野党「大義なき解散だ!!党利党略の解散だ!!」←え?

 

 

森友・加計で国民の信用が地に落ちたと考えているなら、

大義なき解散だとか批判してないで、

「遅すぎる!!選挙で自民党を駆逐してやる!!」

ぐらいの勢いで戦いに挑むべきでは?

それによって勝利する政党が、国民の信を得ているのであって、それが国民の選択。

「党利党略の解散」ってwww

最初から負け宣言してんじゃねーよwww

 

今までの皇室は存在の意味を失います。

ぽっと出の一般家族が突然皇室となり、あなたは敬愛の気持ちを持つことができますか?

 

北朝鮮のように、政府はその家族の神格化でも図るのでしょうかw

 

仮に、その家族に逮捕歴とかがあっても上手く隠して、「こんなに清らかな生活を歩まれてきました~」みたいなプロフィールムービーでも作るのでしょうかw

 

そんなことになったら日本もいよいよ終わりですね。

 

 

はっきり言う。「女性宮家」の創設は税金の無駄でしかないと思う。

国会議員の数を減らせとか言っている人たちに限って、女性宮家を創設しろと言っている。

正直意味が分からない。

 

こういうことを言うと、「不敬だ」と批判されそうだけど、現在の日本に存在しないものについて言っているのだから、不敬もクソも無い。誰に対する不敬だ?って話。

 

女性宮家には皇位継承資格はない。

正確に言うと、皇位継承資格を「持たせてはいけない」。

 

なぜか。日本では、男女が結婚した場合、その家の血筋は男性側の家の血筋となる。つまり、「先祖代々から続くこの家を~」というのは、先祖代々、その家の男子が他から嫁を貰って家を守ってきたということである。しかし逆に、女性が他から婿(男性)を貰った場合、その家の血筋は婿(男性)の家の血筋となる。それが日本の歴史である。皇室も同様である。何千年もの間、男系の血筋を守ることで第一代神武天皇以降、日本の皇室は途切れることなく続いてきた。その間、様々な議論はあったにせよ、男系だけは絶対に守るというのが総意だった。

女性宮家の制度を創設した場合、女性皇族が一般男性と結婚すると、一般男性が皇族になり、その宮家の血筋は男性側のものとなる。

 

お分かりだと思うが、その女性宮家から生まれた子供は、血筋が男性側の家だということになるから、その子供が天皇に即位した瞬間、今までの皇室は事実上終了し、全く別の、出自も分からないような一般家族が突然皇族になるのだ。ちなみにその子供は記念すべき第一代天皇となるだろう(皮肉)

 

私が先ほど申し上げた、「女性宮家には皇位継承資格はない。」と言い切る意味が分かっただろうか。

勿論、現在の日本に女性宮家は存在しないのだから、「皇位継承資格が無い」という規定なんて存在しない。そういうことではなく、「当たり前だけど、女性宮家に皇位継承資格など絶対に認められない。それでも女性宮家をつくるの?」と私は言いたいのである。

 

 

 

「ミニマリズム」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。

 

最低限のことしかしない。最低限の物しか持たないこと」と、大抵の人は考えると思う。

 

それに対して、よく「そうじゃないんだ!ミニマリズムの本質は、自分が必要とすることに全投資するために、不要な物を削除する考え方なんだ!」と必死に訴える人を見かける。(かくいう自分もその一人…笑)

 

でも、多くの人はそれを聞いて、( ゚д゚)ポカーン

となる。

思い浮かべるミニマリズムのイメージと、「必要とすることに全投資をするために不要な物を削除する」という訴えに違いがありすぎるからだ。

 

 

ミニマリズムは翻訳すると「最小限主義」。

その言葉を正確に理解するならば、

 物は最小限。

 買い物も最小限。

 人付き合いも最小限。

 贅沢も最小限。

 楽しみも最小限。

というような生活スタイルを指すと思う。

 

その象徴が、メディアでも取り上げられて有名になった佐々木典士氏の”あの部屋”だ。

この部屋で、修行僧のような生活をする人が「ミニマリスト」だ。

多くの人はそう考えるだろう。

 

でもそれも無理はないと思う。

名称が「ミニマリズム」なのだから。

「”必要なことに全投資する”というフレーズが欠けてるんだよー!!」と言われても、

名称自体にそのようなニュアンスはない。

 

では、なぜそのような名称になったのだろうか。

「ミニマリズム」が注目されだしたきっかけは、”普通の人と比べて、相対として物が少ない”ということが世間の注目を浴びたことである。

だから、当時のミニマリスト自身も、「私は物が少ない」「物が少なくても生きていける」みたいに、物が少ない珍しさを売りにしていたのだ。(佐々木氏が上の写真を公表するのも、そのような意識の表れと言える。)

 

今でこそ、「必要なことに全投資するためにミニマリズムをやっている」「ミニマリズムをやって自分をブラッシュアップさせたい」と言う人が増えてきたが、当時は”物の少なさ”をガンガン追及して、ミニマリストも「物が少ないミニマリズム最高ー!!」と叫んでいた印象がある。

 

そこから始まった「ミニマリズム」だ。誤解されても仕方がない。

 

ミニマリズムの本質を伝えたいなら、「ミニマリズム」という名称は不適切だと思う。

「進化」という意味のEvolutionにismをくっつけた「Evolutionism(エボリューショニズム)」

とか、

「前進させる」という意味のAdvanceにismをくっつけた「Advancism(アドバンシズム)」

など、ポジティブなニュアンスを含んだ言葉を選ぶべきだ。

 

ミニマリストは”質素”とか、”修行僧”みたいなイメージが付きまとっている。

 

つまり、禁欲的で、煩悩を抑えた境地に辿り着いた人というイメージである。

 

しかし、実際はどうだろう。

 

ミニマリズムの本質は「不要な物は容赦なく排除し、必要な物に最大のエネルギーとお金を投資する」という考え方であることは、このブログでも何度も申し上げている。

 

つまり、自分の目標、好み、嗜好に対して貪欲なぐらい非常に積極的になろう、という考え方である。

 

一方、人の目線や見栄に左右され、家に物が溢れているような人は、不要なことでエネルギーやお金が消費されて、肝心な自分の目標や、好み、嗜好に対しては「お金が無い」とか「時間が無い」などと、何かと理由をつけて消極的になる。

 

 

自分の人生は自分のものである。

他人の目線や見栄に左右されることなく、自分の思い描いた目標のために、全力を尽くすべきではないか。

 

そう考えるのがミニマリズムなのである。

 

審議拒否を続けた野党が、国民の税金をドブに捨ててでも守りたかったものとは・・・。

 

「国民の行政への信頼」・・・?

 

どう考えても違うと思う。

 

 

本気で国民の行政への信頼を守りたい!という強い意志があるなら、審議拒否なんていう税金泥棒みたいな真似するわけないから。政権を追及する手法はいくらでもある。

「不要な物は省き、必要なことに力を入れていく」

 

この一点こそがミニマリズムの本質であり、全てのミニマリストの共通点である。

 

逆に言えばこの一点を除き、ミニマリズムの考え方は人によって様々。

住んでいる環境や年齢、性別、国籍によって大切にするものは違うから。

 

「不要な物は省き、必要なことに力を入れていく」

を大切にすれば、ミニマリズムに正解も不正解もない。

 

ミニマリストになったらアクティブになった。

ミニマリストになってたら恋人ができた。

ミニマリストになったら感謝の気持ちが芽生えた。

 

10人いれば10通りの考え方がある。

100人いれば100通りの考え方がある。

1000人いれば1000通りの考え方がある。

まさにミニマリズムの形は 八百万 である。

 

門戸を閉ざさない、懐の広さが日本の神道と近いものを感じる。

放送法第4条は以下のように定められている。

 一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二  
政治的に公平であること。
 三  報道は事実をまげないですること。
 四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

以上を条件に、TV局は放送免許を取得し、国民共有の財産である電波を使用して放送を行えているのである。

 

しかし、既存のTV局はは、報道の自由を盾に言いたい放題。

政府が文句言うと、

「政治介入だ」

「政治的圧力だ」

と反発する。

ならいっそのこと、放送法4条はやめてしまうべき。

 

電波をオークションにかけて、誰でも、どのような主義主張を持っているような人でも、オークションの結果決められた適正な電波使用料を払えば、地上波放送を行える仕組みに変えるべき。

 

その方が後腐れもなく自由に放送が行える。

誰にとっても好ましい結果になると思うのだがいかがだろうか?