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消費税増税は国民を貧困化させ、国の財政を貧困化させ、国力を奪っていく自殺行為そのもの。

若者の希望を奪い、価値観を荒廃させていく。

 

私は、先祖から受け継いだこの美しい日本を、子孫に渡していかなければいけないと思っています。

 

だからこそ、今回の参議院選挙は迷い無く共産党候補に入れます。

 

死んでも共産党には入れたくなかったけど、自分の信念なんてどうでもいい。

日本を守らなければいけない。

 

自民党が悪夢の消費税10%を公約にしてしまった以上、自民党には絶対投票できない。

でも棄権は許されない。

だとしたら共産党に入れるしかない。

 

 

こんなの...悲劇だ。

年齢が変わらない系アニメは、長期連載が続くとどうしても時代錯誤的な部分が出てきてしまう。

「クレヨンしんちゃん」もその一つである。

野原家の大黒柱である 野原ひろし の暮らしぶりについて話題になることが多い。

 

皆さんは 野原ひろし についてどのようなイメージをお持ちだろうか?

 

ここで、野原ひろしのスペックを簡単に紹介しておこう。

◆年収:650万円

◆年齢:35歳

◆職業:霞ヶ関にある双葉商社にて勤務する商社マン。係長。

◆居住環境:埼玉県春日部市双葉町在住、庭付き木造一戸建て(4DK)推定占有面積84㎡

◆家族:妻、子供2人、ペット1匹

◆マイカー:有

 

・・・。

 

まず、年収と年齢を見て驚くはずである。

650万円は十分勝ち組に思えてしまう。マイホームだって持ってるんだし。

そして年齢。子供が2人いて、作中でも何だかんだ頼り甲斐があるパパとしてその貫禄を発揮している様子を見ると、40歳前後かと思えてしまうが、まさかの35歳。新婚夫婦の年齢ではないか...。

 

明らかに設定ミス?そうだ、設定ミスだ...!(現実逃避)

 

しかし、これは紛れもない普通の設定である。何の間違いもない、普通の"かつて豊かだった頃の日本"の設定である。

むしろ連載当初、野原ひろしは「冴えない中年サラリーマン」という設定だった。

みさえやしんのすけからも「安月給」などと文句を言われている。

これは紛れもない事実。

 

年収650万円でマイホームマイカーを所有していながら家族からは「安月給」呼ばわりされる・・・。

ちなみに求人情報・転職サイトDODAの2014年の調査では650万円は上位22%に入るとのこと。

それってさすがに上流ではないにしても、中流の中でもほぼ上流に近い中流。

今のご時世、それで「安月給」などと呼んだ暁には罰が当たる。

 

それにしても、重要なのは当時の感覚で今の日本において88%の人は「安月給」で働いているということである。

 

国の貧困化。

日本が貧しくなっているというのは事実のようだ。

 

1人の人間は、年齢とともに年収も増えていくから気付きにくい。

しかし、このように昔の35歳と今の35歳を比較してみると、明らかに世の中の経済状況の変化を思い知らされる。

 

 

 

「失われた10年」とは、一般的には1991年バブル崩壊以降の不況を表す言葉である。

 

と、一般的には語られている。

 

その後の「失われた20年、30年」という用語も含めて、この言葉が言いたいのは「バブル景気までの経済成長が終わり、現在に至る長期的な不況はバブル崩壊以降に始まった」という評価である。

しかし、どうだろうか。

バブル崩壊後も、何だかんだ「またいずれ景気は良くなるだろう」という楽観的な雰囲気があった。

それら国民のマインドは物価の推移、消費の推移、GDPの推移にも表れている。

バブル崩壊後も直後を除けば緩やかな上昇傾向が継続していた。

それらが完全に腰折れし、下降曲線を描くようになったのは1997年の消費税5%への増税以降である。

物価が下落を始め、実質賃金が下落を始め、消費が下落を始め、GDPが下落を始める。

いわゆる「デフレ不況」の突入である。

 

「バブル崩壊によって不況に陥った90年代」という言葉はその響き自体がとてもおどろおどろしい為、固定観念が定着してしまい易いが、そうなってしまうと現在それ以上に景気が悪くなったとしても、「今に比べればマシだった」という評価には繋がりにくい。それは正確な経済を論ずる上での阻害要因である。

バブル景気の頃、豊かさを求めてじゃんじゃかお金を使っていたのをつい数年前のこととして知っている者にとっては、バブル崩壊後の不況は「深刻なもの」であったかもしれない。しかし、平成生まれの若者にとっては現在のデフレ不況しか知らない為、90年代の不況は、経済指標を見る限り「全然景気いいじゃん」と感じる。

「失われた10年」という用語が先行して、実際のところの90年代半ばまでの歴史的な経済評価が置き去り、もしくはタブー視されているような気がしてならない。これは何らかの意図があるのだろうか。今年10月に消費税を10%に上げたい財務省が、マスコミを利用して情報操作を行っているのだろうか。そのことについてはここでは触れないでおくが...。

 

今にして思えば、「バブル崩壊後の不況」(1991年〜1997年)は何と生易しいものだっただろうか。

不況とは言え、人々がまだ明日への希望を持っていた時期だったのである。

90年代半ばまでのそうした期待が、1996年の数々の経済指標によっていずれ実現のものになるかと思われていた...。そのタイミングでの消費税増税であった。

今、これらの希望が何処にあるのだろうか。絶望しか存在しないのではないだろうか。

 

「失われた10年」の本質は、「またいずれ景気は良くなるだろう」という期待感を完全に裏切り、今に至る「デフレマインド」を形成したからこそ生まれた言葉である。1997年に消費税を増税しなければ、景気は持続的な回復局面に突入していた可能性がある。バブル崩壊後の不況も「数年程度の短期的なものであった」という経済史になっていたかもしれない。

 

「失われた10年」は、"きっかけ"はバブル崩壊だったかもしれないが、"理由"は1997年の消費税増税によるデフレ不況の突入であると言える。

 

約20年間、日本はデフレ不況に苦しみ続けました。

その結果、企業の設備投資は低迷し、新たな技術の導入や効率化のための機械の導入を渋ってきました。

 

みなさんも仕事をしていて「なんでこんなに非合理的なやり方をしてるんだ!?」と憤ることはありませんか?

世の中の技術の進歩に比べて、企業は以前のような古臭いやり方を継続しているためです。

理由は先ほど書いた通りです。

 

新しい技術や設備を導入したくても、導入することで大きな負債を抱えるかもしれない。思ったほどの利益を上げられないかもしれない。そうした躊躇してしまうマインドを会社経営者に植え付けてしまうのが「デフレ社会」です。

 

はっきり申し上げましょう。

今の人手不足は景気が良くなっているからではありません。

日本経済は依然としてデフレ経済です。

少子高齢化によって、働くことのできる人の人口が減っているから人手不足なのです。

 

もし、日本経済が持続的なインフレ状態だったらどうだろうか?

企業は積極的に設備投資や技術投資に励み、仕事のやり方がどんどん効率化していきます。

そうすることで、より少ない人員でこれまでの仕事を回していけるでしょう。

いや、むしろさらに質の高い仕事に人員を回すことができるようになるでしょう。

 

つまり、持続的なインフレは、企業の設備投資や技術投資を招くばかりか、仕事やサービスの質の向上に繋がるのです。

仮に、今と同じような少子高齢化で働く人の人口が減っていたとしても、何の問題にもなっていなかったでしょう。

 

《結論》

今の人手不足の大きな原因は、

長引くデフレ不況の中、企業の技術革新が進まず、生産性が向上していない状態で

生産年齢人口の減少しているからなのです。

 

 

持ち物は必要なものだけに絞って生活する。

これが世の中の当り前になれば、「ミニマリスト=物が少ない人」という固定観念は薄れるだろう。

むしろ、ミニマリストの積極的な側面(必要なことに全投資する)に注目されるようになると思う。

 

ミニマリズムが世の中に受け入れられるのはまだまだ先になりそうだ。

 

 

GDPに於ける防衛費の割合が増加するということは、その国は戦時体制に向かっているということであり、逆にその割合が減少するということは、その国は平時体制に向かっているということである。

 

つまり、防衛費をGDP比2%まで増額させることは好ましい状況ではない。

 

しかし、だからと言って防衛費が不要だと言っているのではない。

中国・北朝鮮・ロシア・韓国といった、危険な国が我が日本の周囲には数多く存在する。

そうした”仮想敵国”に対して、どのような防衛が必要なのかを真剣に考えなければいけないし、現状の防衛関係費はアメリカの核の傘に依存していることもあり、不十分すぎる額である。

 

安倍総理がどれだけトランプ大統領と緊密な関係になろうとも、他国に安全保障を依存するということは、極めて不安定な防衛であるということを認識しなければいけない。

 

では必要な防衛予算を確保するために、どうするべきか。

唯一の解決方法は、GDPを拡大することである。

極端な例を挙げると、「GDPが10兆円の国での防衛費10兆円」とは比率にしてズバリ100%である。

まさに国家破綻レベルである。

しかし、「GDPが1000兆円の国での防衛費10兆円」は比率で言うとたった1%である。

GDPが増えれば増えるほど、健全な平時体制を維持したまま、防衛予算を大幅に増やすことができるのである。

 

そのため、政府にはGDPを増やすための経済政策が求められるのである。

18話ではレスキネン教授の野望が明らかになった。

どういう目論見で、洗脳したかがりをまゆり達のもとに潜り込ませたのかも。

 

ただ、そこで疑問なのは、

それを知ってしまったにもかかわらず、どうして未来のまゆりはかがりを娘として受け入れるのか。

「深い愛情があるから」ではちゃんとした理由にならないと思うんだけどな。

 

 

昨日、友人を誘って大野市泉地区にある「九頭竜国民休養地キャンプ場」へキャンプに行ってきました!

小さい頃に家族に連れて言った記憶はあるのですが、友人というのは今回が初めて。

いずれはソロキャンプもしてみたいなと考えています。今回はその練習もかねてというわけです笑

 

チェックインの時間まで少し時間があったので、キャンプ場からすぐ近くにある「道の駅九頭竜」へ寄ってきました。

道の駅九頭竜はその名の通り、JR越美北線の終着駅である、九頭竜駅でもあるのです。

福井駅まで電車1本で行けるので、意外と立地はいいのかな?(本数は少ないですが)

駅前には巨大な恐竜のモニュメントがあります。

定期的に呻き声?を発するのでびっくりしました・・・

 

友人が「舞茸は和泉地区の名物だよ」というので、舞茸そばをいただきました。

とても美味しかったですよ!基本舞茸は何にでも合いそうですね。

 

舞茸が余りにも美味しかったので、弁当もいただきました。食べすぎ・・・笑

 

この日はとても暑かったのと、キャンプ場から最寄りのコンビニやスーパーまで車で30分もあるため、

忘れ物が無いよう最終確認してチェックインに向かいました。

 

②へつづく

あなたの「無駄」の定義は何ですか?

私は「持つことによるメリットが、持つことのデメリットを上回る物」

と考えます。

 

例えば、3,000円~4,000円もする巨大な観葉植物。

生活必需品ではないから、俗に言う”無駄な物”と思われるかもしれません。

部屋に置けば、スペースも取るし、枯らさないように水やりも必要です。

何かと、費用や手間がかかる観葉植物ですが、

それを部屋に置くことによって、「癒し」というメリットもあります。

 

そういうメリットが、費用や手間がかかるというデメリットを上回る物は、

その人にとって無駄なものではないと思います。

 

だからこそ、「多少の無駄がいいんだ!」という意見に私は疑問を持っています。

いいと思えるなら、それはそもそも無駄ではないのだから。