こんにちは、緒方直之です。


今朝の地元新聞に、松井広島市長の被爆者援護に関する発言について

批判の声が上がっているとの記事がありました。


記事によると、

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松井市長 「黒い雨とか何とかで、わしは被爆じゃけえ医療費まけてくれとか、

       悪いことではないんですよ。でも死んだ人のこと考えたら

       簡単に言える話かな」

      「何か権利要求みたいに『くれ、くれ、くれ』じゃなくて

       ありがとうございます』との気持ちを忘れんようにしてほしいが、

    忘れる人がちょっとおる」


その後、市長発言を聞いた方の発言は


広島県被団協

坪井直理事長「被爆地の市長の言葉の重みを自覚できていない。

         もっと被爆体験を直接聞き、大いに反省と勉強をするべきだ」


もう一つの県被団協

金子一士理事長「被爆者は国家補償を求めているのであり援護は施しではない。

          感謝の気持ちについて、市長から言われる筋合いはない」


県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会

牧野一見事務局長「被爆者に感謝を強いるのは、

            原爆を落とした米国と戦争を起こした

            日本政府を免罪している。被爆地の市長として失格」


そして松井市長「財源の話で言えば国民から税金をもらってやっている。

          国民の分かち合いの心でやっている。ありがたいと思うべきでしょ」


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と言う事でした。


まず、被爆者援護事業自体に関してどうこう言うつもりはありません。

これは被爆者援護だけでなく社会的弱者について、

国民全体で支えあうべきだと思いますし、その財源負担を皆が

行うことは社会全体の発展、個人の幸福の実現のためにも必要だと思います。


そしてこうした支えあいの中で

お互いが自然と「ありがとう」とか「皆で支えましょう」と

気持ちが共鳴するのは当たり前であり、

確かに感謝は強制させるものでもないけど、筋論でどうこう

いうものでもないとも思います。


記事には書いてありませんでしたが、松井市長自身も被爆二世です。


被爆者援護に関わる全ての人が今回コメントされておられる方々と同じように

思っているわけではないのではないでしょうか。


未曾有の経験をし、今なお苦しんでおられる方々が

たくさんいらっしゃることは理解しています。


そうした方々を笑顔にすることが市長はもちろん私たち次世代にも与えられた使命であります。


共に支えあう社会の実現に向けて私も引き続き頑張ってまいります。



最後に・・諸々の率直な感想を・・・いいとか悪いとかではないですよ。


・記事の中で広島市長のコメントは広島弁なのに、なぜ他の人のは標準語に

 してあるのか。

 (他の人も広島弁でしゃべったのなら同じようにすべきでは?なぜ片方だけ?

  片方は感情、片方は冷静・・みたいな感じに思えました。捉え方の問題で

  しょうが。)

 

・各団体が存在して活動することは当然だと思いますが、

 「もう1つの」被団協とはどういうことでしょうか。

 1つは存じ上げておりましたが、なぜ2つ存在しているのか

 勉強したいと思います。


ではまた更新します。