6年前の日記。 この当時94歳だった親戚のばあちゃんは今も元気で100歳を迎えてくれました!

備忘録として再掲載します。

 

 

 

 

大河ドラマ「西郷どん」が始まりましたね。鹿児島はとても盛り上がっています。

オープニングの最後あたりに登場する桜島の映像は、我が垂水市の江の島と言うことろから撮影された映像です。

放送翌日には「あれ江の島だったよね」と垂水市は大盛り上がりでした。

さて西郷どんですが最後は西南戦争で敗れ城山で自決します。 

 

熊本田原坂の戦いは激闘で有名ですが、僕の祖先が西南戦争で西郷さんに仕えた人物だったと言うことを昨年知りました。そのことを今日は書こうと思います。

 

野村盛賢

 

 

 

 

 

94歳の親族のおばさんから日向の国(現宮崎県)の【野村盛賢】という西南戦争に参加した人物が当方の祖先(曾祖母の父)である事を初めて聞きました。

 

そのおばさんによると野村盛賢は西郷隆盛に仕え西南戦争に参加しひとつの隊の隊長として兵を率いた人物だそうで、西南戦争後は負けた賊軍の戦犯として山梨県で5年の投獄生活に入りますがその後郷土高岡へ帰ってきて東諸県郡書記、高岡小学校長、高岡警察署所長などを歴任しふるさとに貢献した人物だったそうです。

 

郷土へ帰ってきてその後私の曾祖母が生まれたと聞きました。ちなみに野村盛賢は西郷隆盛の快刀と言われた村田新八と大親友だったそうです。

 

曾祖母は盛賢さんより、「子孫に伝えてほしい、南州神社に俺の大親友の村田新八の墓があるから鹿児島に行った時には必ず墓参してくれ」と言われたそうです。

 

その思いを果たすため先日南州神社へ足を運び西郷隆盛、そして村田新八のお墓へお参りをしてきました。

 

明治維新150周年を機に、西南戦争に参加し西郷さんとも交流があった野村盛賢という人物が自分の祖先だと言うことを知り、西郷さん、そして明治維新150年がより身近なものに感じました。

 

94歳の親族のおばさんも「こういう話を貴方に伝えることができて良かった」と喜んでくれました。私もこの話を代々伝えていきたいと思います。