東日本大震災から12年。
私はあの日、道の駅へ配達に行っており、カーラジオで国会中継を聞きながら帰宅していました。
国会中継が中断し、ニュース速報で震度7の地震が東北方面を襲ったとあり急いで帰宅しました。
テレビの映像を見ると黒い津波が町を襲う様子が映し出され、これは映画化、悪夢化と目を疑いました。
NHKのヘリが中継してましたが、衝撃の大きさからか、津波で人や車が飲み込まれる様子を避けてカメラが中継しているのが逆にリアルでした。
夜になって重油タンクから油が漏れだし一面火の海の町を見て言葉もありませんでした。
暫くしてあの原発危機が連日報じられ、日本が終わるのかと最悪のシナリオもよぎりました。
東京消防庁のヘリが原発を冷やすため放水している光景も衝撃的でした。あの時の石原都知事の消防隊への激励のあいさつで涙した姿が印象的でした。
原発は当時の菅総理の大失態で最悪の状態まで陥りましたが、現場の吉田所長をはじめ東電の皆さんが何とか食い止め一番最悪の状態を免れました。
しかし今だに避難している多くの皆さんがおり、影響は続いています。
震災1年後に友人とボランティアに行った宮城県石巻市の被災者の方とは12年経った今でも交流があります。
あの時の御縁を大切にこれからも交流を続けていけたらと思います。
そして震災の教訓を後世に伝えていかなければならないと思います。