再掲載

今期のつらさげ芋の販売は12月1日から期間数量限定販売です。

 

 

 

 

 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 

 

 

 

昨年末から今月にかけてうちの焼き芋や、大野原地区全体で取り組んでいるつらさげ芋が全国放送で取り上げられました。

つらさげ芋とは、垂水市大野原地区に伝わるさつま芋をつるをつけたままなるべく傷つけず収穫し、大野原の寒風にさらして甘みを引き出す伝統製法です。

大野原は今から108年前、桜島大正大噴火で被災した人々が移住、開拓してできた地域です。

当時はやせた土地で作物といえばさつま芋しかできず、いかにそれをおいしく食料として食べられるかという生活する上の知恵から生まれたものだと聞いています。
もともと地元住民は家族間、親戚間などで細々と伝えられてきたものでした。

 

 

12年前に垂水市大野原地区を盛り上げたいという思いで何がいいかとみんなで思案したところ、「つらさげ芋だ!」という事で地域活性化の一助になればという思いでつらさげ芋にスポットを充て大野原で初の物産展、第1回大野原いきいき祭りを開催することにしました。

当時はつらさげ芋の知名度はほとんどありませんでした。

 

これをどうやって知名度をアップするか、私たち大野原青年部がマスコミ対応、知名度アップ作戦を一手に引き受け地元放送局に直接連絡したり、私は地元のラジオによく投稿をしていたので、ツテでつらさげ芋を取り上げてくださるようお願いして回りました。

 

最初は本当にゼロからのスタートでしたので必死でPR活動もしてきました。すると、年々知名度もアップし、逆にメディア側から取材依頼も来るようになりました。

 

その後私たちが広報担当する間は、マスコミ対応も慣れ、お客様も1500名程度とちょうどよい程度に来てくださるようになりました。

 

最初にゼロから始めたつらさげ芋の知名度アップ作戦が今回のように全国放送で取り上げられるなんて夢にも思っていませんでした。

 

しかし、前述したように、そもそもこのつらさげ芋は先人が生きるために編み出した製法です。

この先人の知恵を私たちは今に残し生業や、地域活性化の一助として使わせていただいていることに感謝しないといけないと思います。

 

期間数量限定のこのつらさげ芋。

 

これはきっかけでそれにも負けないおいしさの熟成芋の焼き芋を打ちはメインとしていますが、うちの父がこのつらさげ芋、熟成芋の焼き芋を一番最初に焼き芋として店頭やスーパーで売り出しました。

 

最初は全く売れず廃棄する日が続きましたが、次第においしいと評判となり多くの皆さんに愛される焼き芋となりました。

 

ほどなくして、地元の皆さんのに焼き芋の焼き方や焼く機械のことを教えてという声があり皆さんに教えました。

商売敵を作るようなことをして!と言われたこともありますが、みんなが頑張れば自分はもっと頑張らないと!と思えるし、何より地元が盛り上がればいいなという思いがあったようです。

 

祖父、宮下美行が現在の場所に店とガソリンスタンドを構え70年ほどになりますが当時はガソリンスタンドといってもドラム缶から量り売りでガソリンを販売していたようです。

 

祖父は集落の世話役のような存在で地域の人たちに慕われ地域密着で過ごしてきました。

その精神は父に受け継がれ、そして私も受け継いでいけたらなと考えています。

 

 

これからも地域密着で、できる範囲、原点回顧で頑張っていきたいと思います。