さて、と....
遅くなりました。
続き、そろそろ行きましょうか....
首すじの汗が乾き、少し肌寒さを感じたので、再び先を目指します。
持って来たペットボトルも空になりました。
ネットによる知識、そして最初に登場したおじいさんの話、そして今も残る『通行止め』。
かなりの崩落現場がすぐそこにあるはずだ!
そこは、
道を巨大な岩が塞いでいるのか?
道が土で埋まっているのか?
道が崩れて崖っぷちになっているのか?
これだけ歩かせられたので、期待に胸が膨らみます。
再び歩き始めます。
お?
キレイな道がある。
改修工事の跡。
でもあなた、ガードレールを埋め込む穴が無いのは何故かしら~
開通しようとするヤル気が見られぬ。
おー、崖下には、かつての惨劇の跡が..
こりゃ土砂崩れがあったな..
ここは果たして、
そもそも県道なのか?
いわゆる険道なのか?
はたまた廃道なのか?
いわんや獣道なのか?
遥か崖下にも、相当なエネルギーで破壊された地形が見える。
西日本豪雨の爪痕なのかな。
平衡感覚を失う、アスファルトのゆがみ。
寒暖差も激しいだろう。
時空のひずみのような、いや、これは険道と廃道の狭間。
ここが今も尚、広島県道50号線(通行止めだが笑)というんだから、なんと崇高なことだろうか。
笑うなら笑うがいいさ。
だって県道が好き過ぎるからこそ、“こんな腐った県道”が自分の住む県内にあるという事を、険道を好む者にとっては、私事のように誇らしく喜びを感じてしまうのである。
そんなわたしを“世間一般に何と言う”か....それくらい言われなくても答えは自分で分かってる笑
木漏れ日の先に見えてくる、いずこの旅人を渡すために造られた橋。
ただ、この消え行く道にあっては、すでに悲哀もなく自然に従い生きて行くだけ。
ならば、わたしが喜んで渡ろう。
その人夫は、どんな想いを馳せながら基礎を固め、こんな山奥で、石灰と水を配合しコンクリートを作り、戸板で渡した格子の橋の上に、それを流し込んだのだろう。
おひわけはし
ここで、名前の由来にピンとくる。
なるほど、それが仏通寺か。
仏門に入る我が子との別れをしたと、
そんな言われがあったかは知らないが、
その名の所以に違いないだろう。
見事な西日に映える欄干。
コントラストが見事。
おっと、ついつい感傷的になってしまった。
誰も望んでないので、もうやめます!
しかし、どこまで歩けば良いんだ?
いつ崩れるんだ??
レッドカーペットならぬ、落ち葉カーペット。
これが栄光のじゅうたんなのか?
喜んで歩こうじゃないか(*^^*)
ありゃりゃ、またキレイな道だ、、
すぐに終わる。
そんな補修を繰り返しながら進む県道。
ここは、土嚢(どのう)で何となく補強したつもりだろうか。
無いよりマシなのか?
今は破袋(はたい)して全く役には立っていない。
『廃』な雰囲気があって個人的には好きだけど。
でも、通る人がいないんだから大丈夫か。
わたし以外、、ね?笑
あ、あの岩肌と木立の谷間の先は、、
薄々、予感は感じていたけど。
そうか、そうだったのか....
あそこが核心だったのか。
いつ崩れてもおかしくない。
ここは、険道と廃道の境界線。
落石や倒木を支えていた金網も、自然の中に溶け込んでいく。
自然に還り行く寸前。
道も、「枯れ葉に覆われ」と、悪者のように書いて来たが、ドングリを落とす椎が散らす葉っぱと枯れ枝は、やがて腐葉土となって、そして再びそれが豊かな山の礎となる。
いつの日にか。
裏ヘキサ。
そしてもう、ここで書いて良いだろうか。
薄々、お気づきだった方もいらっしゃったでしょう。
これが広島県道50号線、旧道なんです。
いつ崩れるか、いつ崩れるか、
そう思いながら歩いた通行止め県道でしたが、これで終わりです。
肝心な主管当事者の、何某(なにがし)なのか分からぬ錆び果てた看板。
主管とかが変わって(広島後付けシール)、ますます放置プレイ。
あぁ、やっぱり。。。
ここは先だって、『前編』に書いていた、最初に引き返した場所、、
すまぬ皆さん。。。
多分、途中に補修されていた箇所が、昔は崩れてて、大変だったんじゃないかな!?
そんなレポートでゴメンよ、、、
わざわざ前編中編、そして最終編にまで分けた上、こんな終わり方だったことをお詫び致します。
最後まで歩いてしまいましたよ(^_^;)
残念ながら笑
でも道中、何もなく無事に完走し、長年のわだかまりを一つクリアできたことに、わたしだけ喜んでいました。
さて、来た道の下り坂3km「しゅっぱーつ」
悲しくもないし、悔しくもない。
むしろすがすがしい。
でも、想像していたような崩壊箇所に出会えなかったのは残念。
正直な感想はこんな感じ。
広島県道50号線旧道、完歩は可能。
ただそれは2020年1月29日の話。
険道が夕暮れに消えて行く。
楽しい思い出。
県道指定を外れる日も近い。