渋川に行って、
大島史郎さんと会う事ができ、
ご先祖様のお墓のお参り
が実現した。

渋川ではも鳴っていたけど、
雨にも合わず歓迎して下さったのかなと。
うちにある家系図。
中を広げると半紙で巻物上にぐるぐると
家系図が書き綴られている。
清和天皇から始まり、
源氏新田氏里見氏大島氏
と、移り変わっている。
これがうちの家紋。
大島義継と言う人が最初に大島を
名乗ったらしい。

戦国時代
ご先祖様は、どうだったかと言うと、
最初は、白井城主長尾氏に仕えていた。

しかし武田軍真田氏白井城を
落とされる。

何と真田と戦っている。
そこの部分の家系図を見ると、討死❗️討死❗️
と、生々しい。

その後は、
徳川軍の安中城主井伊氏に仕えたらしい。

正保2年に井伊氏が移封されると帰農、
この地の豪農として栄えたとの事。

しかし、自分のお爺ちゃんは、
明治時代は士族扱いで、も持っていた。
住まいも昔から、自分の本籍にもなっている
新宿区神楽坂

江戸時代のご先祖は江戸城勤務だった
と聞いている。

うちの家系は武士を続けた家系
なんだろう。
家系図は、残念ながら江戸時代末期
の人で終わっている。

それを自分まで、ちゃんと
つなげたいと言う夢があるのです。

その為の今回の渋川だったけど、
史郎さんの所の家系図も皆同じ所
切れているらしく、
埋める事はできなかった。

最後の女性の方で天明7年(1787年)
に亡くなったと家系図に記録がある。

男性は名前しか載っていない
大島信和が最後。
これが親父が作った今の家系図。
大島鍬五郎さんの前が知りたい。

明治時代になれば
戸籍があるんじゃないかと思われるので、
明治元年1868年。
1787年〜1868年まで
81年間の空白。

そこの空白なら何とか埋められないかと。
やっぱり戸籍から調べてみるかな。