長い休み明けでの5連勤を終えての2連休。
なんだか浅い眠りになってしまった5連勤だった。
疲れているはずなのに眠れないというのは、意外にしんどい。
そういえば他の職種の人だけれど、現場で3名も熱中症が出たらしい。
休み明け、酷暑の建設現場では仕方ない気がするけれど、重症ではないらしいので、まぁ良かったのかな。
とりあえず僕はそういった症状にもならず、休み前と同様に作業をこなせたほうかな。
仕事のことはとにかくすぐに忘れてしまうタイプなのに、そこそこちゃんと作業内容を覚えていたのは自分でも驚きだったけれど。
とりあえず昨日は恒例の男子会で美味しいものを楽しく食べ、久しぶりにゆっくり眠れた。
そして今日はシネマネコさん、12:00上映回を鑑賞しに行った。
ロビーにお客さんがたまっていたのだけれど、無事にいつものB-5に座れた。
THE FIRST SLAM DUNK
沖縄。
少年の宮城リョータは兄のソータと海辺のバスケットコートで1on1をしていた。
3歳上のソータはミニバスの名選手。リョータがいくら挑んでもかなわなかった。
しかし諦めずに向かってきたリョータを抱きしめ「よくやった」と褒めるのだった。
そんなある日、父親が死んだことで落ち込む母親にソータは「俺がこの家のキャプテンになる」と誓った。
しかしソータもどうしていいかわからず、秘密基地にしていた岸壁の洞窟で一人泣いていたのを、そこへやってきたリョータは見ていた。
「お前が副キャプテンだ」

現在。インターハイのバスケット会場では秋田代表の最強王者山王工高と神奈川代表の湘北高校の試合が始まろうとしていた。
背番号7をつけるポイントガードのリョータの姿がそこにあった。
リョータは赤いリストバンドと黒いリストバンドを左手に付けていた。

リョータの少年時代。
その日もソータと1on1をしていたリョータは、ソータから「心臓がバクバクでも一生懸命平気な顔する」という言葉を聞かされていた。
そんなソータは呼びに来た友人たちと船釣りに出かけてしまう。
船に乗り込むソータに「1on1やるって約束したじゃないか!」と泣きながら叫び「もう帰ってくんな!」と言ってしまうリョータ。
ソータは、海難事故で亡くなった。

現在。試合は湘北のリードで進んでいた。

リョータの少年時代。
ミニバスでソータと同じ7番をつけてプレーするリョータ。
応援にやってきた母親と妹は、周囲の心無い言葉を聞いてしまっていた。
「兄のほうとはやっぱり違うな」
ソータの部屋でふさぎ込んでいたリョータのもとへ、母親がやってきてソータの荷物を片付け始めた。
「兄弟だからって同じ背番号にしなくてもいいのにね」
その言葉を聞いたリョータは「7番がいい」と言った。
「この家も引越ししようと思ってるの」

そんな母親を止めに挑みかかるリョータだったが、逆に押しのけられてしまうのだった。
「二度とここに入らないで!!」
そしてリョータは神奈川県に移住した。
転校先で馴染むことができず、バスケットコートで一人で練習しているリョータは、3ポイントシュートを連続で決める少年に1on1を挑まれるが、途中でその少年が口にした言葉がソータと同じだったため、プレーをやめて立ち去るリョータ。

現在。前半を終えて湘北は2点リードしていた。
しかし後半に入ると山王工のプレスに押され、それぞれのポジションでの競り合いにそれぞれが負け、ネガティブになっていく湘北は得点できないまま、20点以上の差をつけられてしまっていた。
タイムアウトで桜木を交代させた監督。
桜木が「諦めたのかよ!」と詰め寄ると「あきらめたらそこで試合終了ですよ」と返す監督。
監督は桜木にベンチから試合を見させ、リバウンドを制することがどれほど重要かを教えると、再び交代で桜木を戻した。
そんな桜木は会場に向かって「俺が倒す」と豪語し、大ブーイングを浴びるが、たしなめにきたリョータたちに「これで絶対勝たなきゃいけなくなったろ」と放った。
桜木はバスケ経験は浅いながら、驚異的な身体能力で山王工との競り合いに勝ち、流れを湘北に呼び戻していった。
点差は8点。

リョータが湘北高校に入りバスケ部に入部した際、赤木からはそのプレースタイルを「チャラい」と貶されていたが、赤木は実はリョータに期待していた。
そうとは知らないリョータは赤木との仲を嘆いていたある日、不良グループの三井に絡まれていた。三井は、リョータにかつて3ポイントシュートを連続で決めて1on1を挑んできた少年だった。
しばらくして三井らに囲まれて喧嘩になったリョータだったが、他の不良には構わず、三井にだけは頭突きなどで何度も攻撃をするのだった。
そんなリョータは、憂さ晴らしにバイクを飛ばしていたが、気づくとそこは病院だった。
「沖縄の海が見えたぜ」
意識を取り戻したリョータは母親にそう言ったが、母親は強く叱責して病室を出てしまう。そしてリョータが無事だったことにホッとして床に座り込んで泣くのだった。
リョータは退院後、沖縄に行き、かつての家などを見て回った。
そして秘密基地の洞窟に入り、ソータのかばんを見つけるのだった。
その中には赤いリストバンドと、バスケット雑誌。雑誌の表紙は高校バスケで“最強山王”の特集だった。
「最強?ソーちゃんもそこに行くの?」
少年だったリョータの問いかけにソータは雑誌の表紙に何かを書き込んだ。
「どうせなら、こっちのほうがいいだろ?」
そこには“に勝つ!”と書かれていた。
湘南に戻ったリョータがバスケ部に復帰すると、三井も同じく復帰を嘆願した。

現在。山王工に食い下がる湘北の姿に観客は心を動かされていた。
そんな中、コート外に出そうになったボールに飛びついてコート内に戻した桜木が、そのまま関係者席に飛び込んでしまう。
そんなプレーに、観客席からは“湘北”コールが沸き起こっていた。
試合が再開されたが、その時桜木は背中に痛みを感じていた。

インターハイ開幕前夜。
その日はリョータの誕生日だった。そして、ソータの誕生日でもあった。
その夜、リョータは母親宛に手紙を書いた。
ソータではなく自分が死んだほうが良かったのではないかと、この日を迎えるたびに思ってきたリョータ。そう思いながらも、ソータのようにはなれず、いつも問題を起こしては母親に迷惑をかけてきた。
その頃、母親はミニバスの試合のビデオでソータを見ていた。そんな姿も見てしまったリョータはさらにソータの代わりになれない自分を責めるのだった。
しかし母親は、そのビデオで見ていたのはソータだけではなかった。そこにはリョータも映っていたのだ。
翌朝早くインターハイ会場の広島へ向かったリョータ。
食卓の上に置かれた“母上様”と書かれたリョータからの手紙を海辺で読む母親は、泣き崩れていた。
“バスケはソータを思い出すからって嫌いなはずなのに、一度も俺にバスケをやめろとは言わなかった。いままでバスケをやらせてくれてありがとう”

そして母親が会場に入った時、リョータは二人にマークされていた。
そんなリョータに「行けー!」と声援を送る母親。
リョータは「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」と強引なドリブルで突破し、試合はさらに拮抗していく。
しかし、桜木が背中の痛みから立ち上がれなくなり交代させられてしまう。
出場したがる桜木に監督は「君の変化には気づいていました」それでも交代をさせずにいた自分を責めるように「指導者失格です」と言った。
「オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本のときか? オレは………オレは今なんだよ!」
桜木は強引に試合に戻った。
そしてついに湘北は山王工を逆転した。
しかし土壇場でさらに山王工に逆転を許した湘北は、試合終了間際、フリーになっていた桜木にパスが回されシュート。これがブザービーターとなった。
79-78で湘北の勝利が決まった。

インターハイから戻ったリョータは浜辺に座る母親のそばに座った。
「山王って、どうだった?」
そんな母親に赤いリストバンドを渡すリョータ。

湘北に敗北した山王工メンバーがロッカーに引き上げる廊下で監督が「はいあがろう『負けたことがある』というのがいつか大きな財産になる」とかけた言葉を受けて、高校ナンバー1プレーヤーと呼ばれてきた沢北が泣き崩れた。
インターハイ前、神社で沢北が願ったこと。
“俺に必要な経験をください”
沢北は、初めて負けたのだ。

数年後。
沢北はアメリカのチームにいた。
そしてその試合相手のチームには、リョータがいた。
特に言葉を交わすことなく、試合が始まった。

【スラムダンク】自体を初めて観た。
原作も1話も読んだことはないのだけれど、そんな僕でも多少知っているというのが大ヒット作の凄いとこだろう。
観始めてすぐに“あれ?主役ってこの子だったっけ?”という違和感をちゃんと感じられた。そう、原作とは違い宮城リョータを主人公にして、その視点、人物から描いた作品なのだ。
上のストーリー部分で敢えて“安西”と書かずに監督と書いたのは、作品中で一度も名前が出てこないからだ。
そもそもバスケットバール自体もあまり詳しくない。せいぜいスラムダンク当時に比べて大きくルールが変わったらしいというくらいで、何人でプレイするものなのかも曖昧なくらいだ。
それでもこんなに迫力のある試合シーンを見せられたら、興奮してしまうものだ。
印象的なのは、リョータの母親がスタンドから叫ぶシーン。
この声援はリョータには届かない。
マネージャーの声に被さってしまうからだ。この演出が見事だった。
それでもここでのリョータのドリブルは迫力があり、希望に溢れていて、涙が滲んでくる。
スポーツはどのスポーツでも、感動的だ。
そこに選手やその家族の物語が重なっていくと、ドラマになっていく。

実はあまり観るつもりがなかった作品だ。
ただ、今月の上映作品で観ていないのがこれだけだったというだけ。
珍しくお子様連れのお客さんもいたので、試合の後半のクライマックスで無音になるあたりで「声が出てないね」と聞こえてきたのが、可愛らしなと思えた。
2秒以上の無音は放送法でNGなので、テレビ放送では基本的に無音はない。
数十秒の無音で描写されていく緊迫の演出も、幼い子には何かのトラブルか、不思議な現象でしかないのだろう。

長期の休み中だった先週の17日は、暇だったと台風通過後で晴天だったのとで、特に用はないのだけれど東京アドベンチャーラインに乗って奥多摩へ行ってみた。
青梅線の青梅駅から奥多摩駅の区間を東京アドベンチャーラインと呼ぶのだけれど、青梅よりもさらに奥に進むので、東京とは思えない景色が広がる。
奥多摩は、数年前に彼女と温泉に来たことがあるのと花火大会を見に行ったことがある程度。
それも駅周辺だったのだけれど、今回はバスに乗ってさらに奥へ行ってみた。
名物の【麦山の浮橋(通称:ドラム缶橋)】が閉鎖されているということだったので、そこまでは行かずに奥多摩湖バス停で下車した。

奥多摩湖は、正式名称を【小河内貯水池】という。いわゆる小河内ダムで、東京府西多摩郡小河内村がこの湖底に沈んでいる。
青梅から約20キロ。
僕はここを水源とする多摩川の水を飲んでいるわけだ。

適当に湖畔を散策して、ふれあい館の中にあったレストランで昼食。
奥多摩の清流のニジマスの唐揚げとヤマメの揚げ物が食べられるという定食を注文。
野菜も含めて美味しかった。

独りで過ごす寂しさを感じながらも、それなりに楽しめた。
できればドラム缶橋を、好きな子と一緒に歩いてみたいという欲望が生まれてしまった(笑)

それにしても、奥多摩は遠すぎるよなぁ・・・。

そして昨日は恒例の男子会。
今回はイタリアンを食べようということになり、当初は有名店の【坂の上レストラン】を検討していたのだけれど、予約が埋まってしまい断念。
せっかくなので神楽坂で探し直して【神楽坂クワトロチェント】に決まった。
今回は一人女子が参加なので、なんとなくそわそわ(笑)
この子と一緒に食事するのは以前、さわやかさんの御殿場インター店に行って以来
会うのも1年以上ぶりだとは思うけれど、今回はこの子の地元でもあるので案内役を兼ねて招待したら、参加してくれたのだ。

サラダ、生ハム、ポーク、マルゲリータピザ、カラスミのピザときて黒トリュフのパスタ。

鱈、仙台牛いちぼの窯焼き、ティラミス。
飲み放題なのでワインやらなんやらをガンガン飲みながら食べていたので、この手のコース料理では珍しく満腹になってしまった(笑)
夕方に解散するまでの間は、神楽坂の料亭街や神楽坂の街を散策。
ちょっと裏道に入るだけで風景が一変する神楽坂を、初めて歩けたうえに、鱧を食べられる店を発見して興奮した(笑)
そんなこんなで相変わらず、楽しく過ごせた会だった。
ただ仲間の一人が売場で“出禁”になったらしく横浜店へ異動していたのは驚いた。
不真面目な販売員だった僕とは違い大人しく真面目な奴だったのに、よほどマネージャーの機嫌が悪い時に間の悪い瞬間を目撃されたのだろうな。
そんな感じで、理不尽に“出禁”にされる販売員が多い店舗なので仕方ないけれど。
お盆期間の長期休み中にアニメ『タッチ』DVDを全巻観終えることができた。
残念だったというか驚いたのは、須見工戦の最中、柏葉監督に上杉達也が言った名セリフがなかったこと。
【なくしたものをとりもどすことはできないけど、 忘れてたものなら思い出せますよね・・・監督。】
放送の都合もあったのだろうけれど、これは切って欲しくないセリフだったなぁ。
それと最終回。
達也がアイドルに好かれちゃったり、開会式に出ないってとこがなくて、いきなり電話で南に告白しちゃうのはびっくりした。
ということは、僕はアニメの最終回を見たことがなかったんだろうなぁ(笑)
しかも明青学園が甲子園優勝したことも触れずに終わってる・・・。
そんなことをして過ごした休みも終わり、日常に戻って一週間。
昨日は家に着いたら地響きを感じるほどの激しい雷雨。
先週の後半に、現場に新しい派遣の子がやってきた。
販売系の仕事をしていたらしく比較的話しやすいのだけれど、僕を“要領よく仕事のできる人”と勘違いしたらしいので訂正した。
仕事のできる人なんて思われたら面倒だし、僕はそもそも頑張らないようにしているだけ。仕事程度のことなんかで頑張るのはアホらしい。

僕はもう、頑張らない。