有給休暇を少しでも消化するために急遽今日を休みにしたため、3連勤で終えて久しぶりの3連休。今月は5連勤がなくなって、残すところは4連勤のみ。
とはいえ遅番が混じっているので、時間感覚が混乱してしまうので疲労度は高い。
そんな売場では常に、先日の楽しかった想い出にひたって過ごしていた3連勤で、売れても売れなくても、身体がしんどくても、とにかく笑顔でいられた気がする。
せっかくできた休日なので、今日はシネマネコさん、13:55上映回を鑑賞しに行った。
今月初旬に、観に行きたかったのだけれど、転職先に顔合わせに行った関係で観れなかった作品だ。

いつもの人が休みの日曜日。

今日はいつもの席が埋まっていたため、久しぶりの最前列A-5での鑑賞だ。

カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~
自宅キッチンからひょっこり顔を出す栄子を撮影。その笑顔は無邪気で可愛らしい。
栄子に得意料理を訊ねると、冷凍ご飯を解凍してものに鰹節をかけてバターをのせて醤油をかけた“貧乏飯”を披露する。
“嬉しいと思いながら行動する”ことにしているという栄子の生活は、楽しいかどうかが大切。

料理ひとつとっても「嬉しいと思いながら大根を切ったほうが大根だって嬉しい」と語る栄子の生み出す物語の基準は【自分が嬉しい】と思えるかどうかだ。

栄子は8時には起床し朝食を摂って、10時には机の前に座る。そこから昼食をはさんで17時まで執筆し続ける。
この日執筆していたのは【おばけのアッチ】の新作。
その生活リズムは平日も休日も基本的に変わることがない。
執筆がひと段落つくと、鎌倉の町を散歩に出かけるが、コースは決まっていなく、でたらめに歩くのが好きだという。
「太陽を見ればだいたいの方角がわかるでしょ?鎌倉ってところは南に行けば必ず海に出るから、家には帰れるのよ」
由比ガ浜の海岸で、打ち寄せる波を足に浴びて喜ぶ栄子。
そんな栄子が砂浜で見つけると必ず拾ってくるものは、落ちている茶碗のかけら。
そのかけらに、使っていた人たちの想いが詰まっているからだという。
自宅ではノートに“落書き”と言って絵を描く。
執筆はパソコンを使用しているが、その物語はこのノートに描いた落書きから生まれたものばかりで、栄子はこのノートを“作品”と呼ぶ。
そこには【ライオンのオンライン】や【甲羅にたんぽぽが生えた亀】などのイラストが描かれていた。

栄子は本が出版されると眼鏡を買うことを自分へのご褒美にしている。
この日は表参道の店へ、娘のりおとともにやってきて、りおのアドバイスを受けながら眼鏡を選んでいくが、とにかく奇抜なものを選ぶ。
「変わった眼鏡ですねって言われたら、もうその人には私のシワは見えていない」と笑う栄子がこの日選んだのは、チェック柄が前面に広がる眼鏡。
そして洋服選びも独特だ。
柄の違うワンピースが並ぶが、どれも同じ形。
若者向けのワンピースは腕が細くて二の腕が入らず、着ると不格好になってしまうので、生地を買ってきて同じ形で仕立ててもらうという。
「締め付けられるのが嫌なの。服にもね」

鎌倉を散歩する栄子は、行きつけのブティックで雑談をし、帰り道にあるカフェで立ったままエスプレッソを飲んでさっと出る。
そんな栄子は、1935年深川生まれ。5歳で母親を亡くした。
そんな栄子にとって、父親という存在から大きな影響を受けたという。
「お盆で迎え火を焚くでしょ?その時父は“見えないもの”に向かって、段差に気をつけてくださいとか、タンスの位置を変えたのでとかって語りかけるんですよ」
“見えないもの”の存在を強く意識付されたのだ。
その影響が【魔女の宅急便】に反映されている。
キキが運んでいる物は、見えない想いが込められたもの。
“見えているものと同じくらい、見えないものがある”というキキのセリフ。
【魔女の宅急便】では魔女になるためにジジとともに修行に出たキキが様々な出会いを通じて、やがて子どもを持ち、その子どもの旅立ちを見送るまでが描かれていく。
「キャラクターを愛しているから、物語が終わるんだと思う。物語の世界で目一杯楽しんで、またねって別れて家に帰るような感じで終わっていくの」

栄子が毎年訪れるのは下関。
30年来の友人である横山さんの営む“子どものための本屋”に行くためだ。
幼児期に本を読む楽しみを知れば、大人になっても本を読んでくれるという想いが一致した二人は、子どもに本を広める活動をしてきたのだ。
この年の栄子は、少し遠出をして巌流島を訪れた。
そして、子どもたちがその年に図書館に入れる本を選ぶという横山の主催イベントで小学校を訪れた栄子は、小学生たちに向けて「なぞなぞを作る側になってみよう」と語り、一緒に遊ぶように講演した。
【おばけのアッチ】シリーズは、子どもたちから絶大の支持を得ている。
「子どもに話すことってあまりないんだけど、PTAとかの人と話すのより全然楽しい。直接の読者と話せるんだもん」

栄子は83歳の時、児童文学のノーベル賞と呼ばれる【国際アンデルセン賞】を受賞した。
その際のスピーチで、栄子はそれまで“書く側”になることなど想像もしていなかったが、35歳の時に大学の恩師から連絡を受けて書くことになったと語った。
それは24歳から2年間のブラジル暮らしの話。
1959年、新婚の栄子は夫と二人で自費移民としてブラジルに降り立った。
しかしあまりの文化の差に愕然としたという。
そんな中で出会った当時11歳の少年“ルイジンニョ”は、栄子にポルトガル語を教えたという。その少年の家族との交流を描いた【ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて】が作家としてのデビュー作となった。
栄子にとってルイジンニョという存在は栄子が作家になるきっかけを作ってくれた恩人になったのだ。

その“ルイジンニョ”の消息はその後不明だったが、ある時、サンバ歌手だったルイジンニョの母親の歌がYouTubeにアップされているのを知った。
そしてFacebookを通じて、ルイジンニョと連絡を取れるようになった。
イタリア系だったルイジンニョの母親から習ったトマトソースで作る栄子のスパゲティは娘にも娘の友人にも好評で「スパゲティ屋になったほうがいい」と言われるほどだ。
「カーニバルの時に、ルイジンニョに踊ろうって言われて断った」という栄子に、ルイジンニョが言った言葉が今でも忘れられないという。

「エイコにも“コラソン”があるだろ?僕にも“コラソン”があって、それはエイコのものと同じだから、僕が踊れてエイコが踊れないということはない」
“コラソン”とは心のこと。
移民が多く集まるブラジルならではの考え方だと感じたという。

娘のりおは、栄子の作品を一度も読んだことがないという。
特に意識してきたわけではないというが、ここまで読んでこなかったのだから、栄子が亡くなった後に初めて読むというのも良いのではないかと言うりお。
疎開先で終戦を迎えた栄子は、東京に戻って女子校に入り、大学で学び、就職し、結婚してブラジルで過ごし、りおという娘を育ててきた。
その中で、生活の中に“自分”が存在しないという鬱屈した想いがあったという。
子育てに追われる中で作家になった栄子を、りおは「執筆中は集中しすぎているので物語の中に入ったままでPTAの話とか現実の世界の話をすると、話がかみ合わなくなることがたくさんあった」と語る。

ある日、そわそわと身支度を整えた栄子が向かったのは成田空港。
ブラジルからルイジンニョが妻と来日するのだ。
ルイジンニョは連邦警察に勤めた後、大学で教鞭をとるなどして、いまは引退後の生活を楽しく過ごしていた。
空港で60年ぶりに再会した栄子とルイジンニョ。
60年ぶりの再会に「こんなおじいさんになってしまって、もう少年じゃない」と怒りを感じるというルイジンニョ。
ルイジンニョ夫妻を自宅に招いた栄子は、トマトソースのスパゲティをサプライズで出し、ポルトガル語訳をつけた【ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて】を贈った。
「エイコと過ごした時間はかけがえのない時間だ。それをこうやって永遠に残るものにしてくれたことが嬉しい」
そして“コラソン”の話をした昔話から、タンバリンを取り出して“心臓”の鼓動に合わせてリズムをとるルイジンニョ。
「あなたは本当のブラジル人だわ」

そんなルイジンニョにどうしても見て欲しいと栄子が連れてきたのは東京の江戸川区にオープンしたばかりの通称【魔法の文学館】江戸川区角野栄子児童文学館だ。
そこは栄子が好きなピンクで統一され【魔女の宅急便】の舞台“コリコの町”など、栄子の世界観が広がっていた。
そこには“ルイジンニョ少年”もいた。
娘のりおを紹介すると「リオデジャネイロからとったの?」と名前の由来を訊ねられた。
栄子とルイジンニョの楽しい時間も終わりが近づき、ルイジンニョが栄子にハグしていいかと言った。
ハグをしながら泣き出す栄子に「大丈夫、必ずまた来るから」と優しく語りかけるルイジンニョ。

栄子がこの2年間、何度も書き直してきた自伝的物語【イコ・トラベリング】は紫式部文学賞を受賞した。

2023年1月1日。その日は栄子の誕生日だ。
りおとともに、初詣に向かう栄子。
最後に「魔法とは何か?」を問われた栄子。
「喜べることに出会うことじゃないかしら。私は書くことが喜びだった。だから一生書くことは続けていこうと思ってる。それが魔法じゃないかしら。魔法って、たくさんあるものじゃなくて、一つでいいのよ。あれもこれもできちゃったらつまらないし、それは魔法じゃないじゃない?」
 

栄子は現在、それまで出会ってきた人々を題材に、物語を執筆している。

2020年から2年間、NHKで放送された番組に追加撮影を加え、再編集された劇場版。
角野栄子といえば、どうしても【魔女の宅急便】というイメージだし【魔女の宅急便】といえば宮崎アニメのイメージだ。
ヤマト運輸の“宅急便”の登録商標権問題で話題になったのと、映画版を観た栄子が“これはキキじゃない”と言ったということくらいでしか彼女の名前を知らなかったけれど、なんて魅力的なおばあちゃんだろうか。
【魔女の宅急便】の着想は、当時中学生だったりおが描いた魔女のイラストから生まれたものだったり、【おばけのアッチ、ソッチ、コッチ】も、幼少期のりおが「あっち」「こっち」とよく言っていたことが原点だという。
作中で垣間見える、この母娘の絶妙な距離感も、栄子の子育てに対する考えが現れているように感じた。
“ライオンのオンライン”や“甲羅にたんぽぽが生えた亀”というキャラクターも、出版されているし、とにかく執筆を続ける栄子の姿が、とてもパワフルだ。
その執筆は、あくまで栄子が“楽しい”と思うことが大前提で、そこに論理的なものは存在しない。
一生懸命遊ぶことが、楽しい物語を生み出すのだ。
そんな作家としての姿よりも、やはり印象的なのはルイジンニョとハグをするシーンだろう。
ブラジルでの栄子は、移民してきたことを後悔していた時期もあったのだ。
作家になるまでの栄子は、この作品で見せているような元気でよく笑う栄子ではなく、生活に追われてやつれていく時期もあったのだ。
そんな時期の支えになったルイジンニョ。そのルイジンニョを書くことで作家になった栄子。
62年ぶりの再会と、その別れのシーンは、涙が溢れてしまう。
【魔法の文学館】がなんで江戸川区にできたのだろうと調べてみたら、角野栄子が小岩にある江戸川区立西小岩国民学校で小学4年生で疎開するまでを過ごしていたことが、江戸川区に設立された理由らしい。
僕の故郷である江戸川区。
もう遥か遠いものとなった実家がある江戸川区。
なんだか急に角野栄子を身近に感じてしまったのは、未だに江戸川区民としての感覚がどこかに残っているのだろうな。
今週のシネマネコさん館内には、最後の映画看板師と言われた青梅の故久保板観氏の映画看板がいくつか置かれていた。
現在上映中の『Ōmecittà(オウメチッタ)』のためだろう。

今週は天気があまりよくないらしい。
昨日から釜の淵公園では“桜のライトアップ”期間となったけれど、これだけ気温の低い日が続いてしまうと、青梅の桜はまだ咲きそうにはない。

先日通った上野恩賜公園だって、桜はまったく咲く気配がなかった。
で、その時に咲いていた早咲きの桜の下で撮った写真は、スマホの待ち受け画像になっていて、別の写真をスマートウォッチの壁紙に設定している(笑)
ほんの数日前なのに、ふと遥か昔のことのように感じることもある。
そのせいで“会いたいなぁ”っていう想いが強くなってしまうこともある。
あまりにも楽しい時間を過ごすと“また”という欲求が強くなってしまうものだ。
この数日は、あのデートの日の写真を何度も見返しては、微笑んでしまっている。
それで満足だ。
実際には、どんなに会いたいと想ってみても会えないことのほうが多い。

そして今日は、娘が振袖の後撮りをしている日だ。
休みにはなったけれど、スーツも持っていなくて、娘が住む京都に行く金もない僕は、娘が写真を送ってきてくれるのをただ待つことしかできないけれど、きっと送ってはこないだろう。
また寂しいって思う日々が始まるんだろうなぁ・・・。