20年前、、、

待ち望んでいた我が子を育て始めた時から、私は不幸のどん底に堕ちました。



子供が大好きだった私が、なぜ虐待に近い子育てになったのか?

そしてそこから、今の超幸せな人生を迎えるまでのストーリーがなぜ起こったのか?





それは、このメソッドBeYouを

皆さんに届けるためでした。



あの頃の私は、

常に将来への不安と

過去の怒りに満ち溢れていました。



変わろうと思って

たくさんの努力もしたし

現に片付けのプロとして本を出版したり

テレビに出たり、

たくさんのお客様にも恵まれていた



だけど、その有難い環境さえも

苦しくなるほど

頑張って頑張って

育児と家事と仕事をワンオペで両立させて



寝る時間は毎日2.3時間。



毎日眠くて眠くて、

スケジュール帳が真っ暗になっていくことに不安を感じながらも



くる仕事は断れない、なんとかこなしていこうと

毎日毎日が必死でした。

スタッフ管理も大変だったし、女の子まとめるのはしんどかったんだと思う、だけどなんとかこなさなきゃ、、、いつも、べきとかやらなきゃで動いていた。




かなり端折るけど(笑)

40歳で大腸がんが見つかり

45歳で乳がんによる右乳房全摘



大腸がんになった時、一瞬仕事もおさえめに、

食べ物やら生活習慣も変えたけど

でも、また同じような忙しさに戻っていく。

人気があるのは嬉しいことだし

どことなく人気商売的な側面もあり、

今やらなきゃと思っていました。




なので、45歳で乳がんがわかった時。

「やっと終わった。これで終われる」

なぜかまた上から声がした。



先生に、今後のことを話されているその一方で頭の中は、なんだかスッキリ晴れて、やっと終わると思っている。何が終わるのかわからなかったけど、その後私はこのストーリーを自分で選んできたことに気づくのです。



この不思議な感覚がどこからくるのかを探していると人生脚本この本に出逢います。




そんなことある?そう思ったけど、確かにそう。



そしてスピリチュアルな出会いがあり、

トッキーに言われたことが同じことだった。





あなたは先祖からの関係を終わらせる人

あなたはガンを断ち切る人

子供たちにそれが行かないように。



その頃は、小さい頃からの厳しい教育や

母への恨みつらみが凄かったのですが

そう言われて、確かにその母の影響力は女系家族らしい、まるで君臨しているからのような女王たちの中にいるようなそんな血筋のなかで、母もそうせざるを得なかったのだろうし、

私が私らしく生きることができないのも仕方がないことだったと思えた。



母への恨みつらみが今は全くないので、どんなだったか書こうと思っても今は感謝しかなくて、書けないんだよね。

だけど、「ちゃんとしなさい、きちんとしなさい」

母の理想通りに育てようとしたのは同じ母として間違いだったと今は思う。

こんなに美しくて素敵な女性そうそういないよね、だから憎い思いと、かっこええなといっつも戦ってた少女時代。





遺伝的なガンも、ガン家系であることも、

今ここから私が変えていけるのではないかと思えた。



将来の不安も

過去の怒りも

全部終わらせて



今ここから、私が私の家族とどう生きるかは?

選べる。

とってもとっても前向きに

乳がんの手術を行なったけど




だけどやっぱり

胸を失った時はつらかった。





そして、こうならないで欲しいと思った。

みんなにはここまで自分を傷つけ続けて生きることをやめてほしい。



片付けのプロになった時

こんなに可愛いはずの子育てをイライラしながら片付けられないことに罪悪感を感じながら生きるママを減らしたいと思った。



そしてそんなママたちが変われば子供はもっと自分らしく生きられる。



全く同じ現象

今度は

自分に我慢をして

他人に気を使って

自分の人生に悔いをもったまま終わらせる女性を減らしたいと思った。



自分の人生を

めっちゃ楽しんで

やりたいことやって

だいすきな人たちと生きていく

いつも感謝に溢れている

そんな私になるにはどうしたら?



また、自分の人体実験が始まった。

私は、私がちゃんと経験したことしか話せない。

本や講座で学んだだけでは話せない。



だからここから、

私がめっちゃ幸せになるための法則を作っていきたいと思ったのです。



 

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