人格者でもない限りは見失う | 音楽のこと?話しだすと止まんないからなぁ~

音楽のこと?話しだすと止まんないからなぁ~

バッハジミヘンデイトンファンク!
嗜好も思考も偏ってますし、おぼろげな知識と主観で語ってます。違ってたらゴメンナサイ。

にも先にもたった一回限りですが、僕は柄にもなく近所のパパさん率いる少年野球チームの臨時コーチをしたことがあります。「一回限り」で二度と再び引き受けなかった理由が本稿のテーマです。

僕には捕手の経験なら少しばかりありましたから、バッテリーを見ることにしました。あいにく正捕手君は熱出してダウンということで、補欠君を頼むということだったんですが、監督さん小声でいわく、この子は箸にも棒にも掛からないようなヘタッチで申し訳ないんだけど・・・云々。でも本人は上手くなりたくてしょうがないのでしょう、目を輝かせてやる気満々のポーズです。ほぉ・・・ヤだなぁ、こりゃ責任重大だなぁ。ただ何事によらず、僕には7~80%の力を100%近くに引き上げるような指導などはとてもできませんが、2~30%を60%程度にもっていくことなら、まあなんとかなるのではないかという自信はあります。それ以上はキチンとした人に指導を受けるか、自分自身で努力してもらうしかありません。というわけでキャッチングの基礎を教えることにしました。

投手の投げる玉を後ろに逸らさないのが捕手の仕事ですから、それには体全体で止める感覚を身につけてもらわなくてはなりません。だから僕があちこちポイポイ適当に投げる玉を捕るという反復練習をしてもらったんですが、その際ミットだけを出して上手く補給しても認めず、身を挺して玉を止めれば、たとえ捕れなくとも前にこぼしたものであるなら褒めていました。驚いたことに、はじめは確かに監督が言ったとおり、まったくダメだった子が、ハードルを少しずつ上げていっても1球ごとに上手くなってくるのがわかります。しかもタフな子で疲れたり怯んだりがまったくありません。最後の1球などは、いくらなんでもこれは獲れないだろうという玉を放ったんですが、蛙飛びでみごとにキャッチ!本人どうだとばかりに鼻を膨らませてそっくり返ってます。いや素晴らしい。君はもうどんな玉でも捕れるよ。

次は投手。この子がまた僕の子供の頃とまったく一緒で、見るからに集中力のカケラもありません。だからみごとなノーコン。ただし、玉には力があって速い。けれどもストライクが1球も入りませんから、これではフォアボール連発で、試合になれば負けてしまいます。暴投するたび監督に「肩・肘・手首(の順に腕を振れば理想のフォームとされています)って教えてるだろ!」なんて怒られてます。そんなこと言われても、どうすりゃいいのか小学生にわかるのかと思っている傍から彼の頭から「?」マークが出て、フォームはバラバラ、暴投がいっそう酷くなってます。そりゃそうだろう・・・でもいったいどうやって教えたらいいのか。そう思いながら僕が自分でやってみると、あることに気付きました。投げる時に胸を張って、張って、張って、これ以上は無理だというところまで我慢して、我慢して、我慢しきれなくなったところで投げてごらんよ。すると、ズドーンとど真ん中にキレのいいストレートが決まりました。お~~~~!監督以下本人含めて全員ビックリ。でもまあ、1球じゃあまぐれだろう。もう1球!もう1球!もののみごとに3球続けてドーーーン!ということで、さすがに僕自身も驚きましたねぇ、これには。子供って、こんなちょっとしたことで変わっちゃうもんなの?しかもど素人のオレがたったの数分ですよ。こりゃますますオトナの責任は重大です。

こうなってくると面白くて面白くて、僕はもうやみつきです。しかも周りの子供たち含めて全員が僕を崇めてますから、こっちは教祖にでもなった気分です。この子達は僕の言うことを聞けば野球が上手くなると錯覚しちゃってますから、なんでも言うことを聞くでしょう。隣の駄菓子屋からラムネ一本上手に盗んでくれば、盗塁のコツがわかるからやってこい、ってなもん。

だから僕は一回限りで辞めました。

基本的に相手は未熟者で、こっちは彼らよりはるかに経験豊富ですから、そりゃ楽ですよ。僕がその時に思ったのは、小学校の先生たちは偉いなということで、うまく言えませんが、僕のような中身がほとんど子供時分と変わっていない者が、こんな麻薬的なことを日々やっていたら、恐らく自分を見失います。向学心はなくなり、上からもの言うようになり、威張り、蔑むようになるでしょう。僕が教わった先生たちの中には、そんなオッサン教師も多くいました。しかし本当の人格者も少なからずいらっしゃいました。これは感謝すべきことで、こういう立派な方々は自身を見失わず、ただ生活の糧としてではなく、教育者指導者としての自覚をお持ちだったに違いありません。

数年前、偉大な指導者との誉れ高い男が、自分の孫を年度ナンバーワンと認めたからこそドラフト1位指名してくれた日本ハム球団を「非常識」とまで詰りました。孫を息子が監督を務めるクサレ球団に入団させたいからで、日ハム球団がルールに反していないにもかかわらずです。ところがこれに納得しているのが世間の風潮で、僕はこれを非常に恐ろしいことだと思っています。こんな人物に指導されれば、己の都合が最優先という考え方が浸透してしまうことになります。球界の盟主だかなんだか知りませんが、この孫が入らされた球団は昔からこんなことばかりやってます。僕がこの孫だったら、新人育成に定評ある日ハムに入団して、打倒読売(あ、言っちゃった)~!などと叫ぶところなんですが、本人恐らくそういう気持ちを抑えて「立派な指導者」のクソジジイに従わざるを得なかったんでしょう。その結果伸び盛りの一年間を棒に振ったのですから、若い本人には気の毒でした。

被害者の父親が、息子もケガから復帰したことだし、もういいじゃないかとつぶやいても、なぜか世間様はま~だ日大を許しません。学生たちの声明文(とはいっても学校からの圧力があったのか、中身にみるべきものはありませんが)にあるとおり、指導を受ける側は指導者に盲目的に服従します。ならば、指導者側は聖人君子であるべきで、なれずともせめて人格者を目指す気概くらいは欲しいところです。前稿で「氷山の一角」と書いたのは、僕のような己にその資格なしという人物が指導者として世に跋扈していると知れるからで、そういう人物に指導を受けた者がやがて指導者になるのですから、これが連綿と引き継がれ、それならパワハラセクハラ暴力反則など当たり前のこと。だから僕はスポーツを通じた人格形成なんてウソッパチだと言ってるんです。

ならば結論として、僕らはそういった閉ざされた世界で起きている出来事には目をつぶり、殴られても蹴られてもついていく選手たちだということをすっかり忘れて、彼らの表面に現れたパフォーマンスだけを楽しめばいいじゃないかとも思っています。大学生ともなれば、本人どうしの合意に基づいてやっていることなんですから。

たとえ日大をコテンパンにやっつけたところで、この悪しき伝統はどうせなくなりゃしませんよ。世の中は指導者ジャンキーのオトナで溢れかえってますから。