木を見て森は無視 | 音楽のこと?話しだすと止まんないからなぁ~

音楽のこと?話しだすと止まんないからなぁ~

バッハジミヘンデイトンファンク!
嗜好も思考も偏ってますし、おぼろげな知識と主観で語ってます。違ってたらゴメンナサイ。

代社会は僕にとって理解に苦しむことばかりで、このままでは置いてけ堀にされてしまうこと必至・・・ってかとっくにそうなってます。いわゆる時代についてけてない子ちゃん。なんと言えばいいのか、僕からみると今の主流な人たち、おそらく前回の総選挙で自民公明に投票したであろう人々は、拡大解釈や都合のいい解釈をする能力に長けていて、これに僕はついていけません。例えば元々は年配者のためのものだったシルバーシートが、優先席になった途端にガキ連れご家族様専用コーナーになっちゃったこととか。なんでバカ親までヘッチャラで座れるのか、僕にはその神経がわかりませんが、誰も咎めないところをみると、まあ、僕のほうが間違ってるんでしょう。このことはしかし、なにも日本に限ったことではないようです。

米国にはコロンブスの日というのがあるそうで、これに反発する連中がデモをやって騒いだとか。彼らの言い分によれば、原住民を大量虐殺したような人物を祭り上げるのは正義に反するということのようで、しかし映像で見た限りではどうもジェロニモやチェロキーの人たちではなく、一般市民が主体のデモのようでした。そうすると彼らの言ってることは自らの国をそっくり否定するようなもので、だったら居抜きで原住民に返せばいい話。そんな気はサラサラないくせに、そもそも今現在彼らがそうやっていられるのもコロンブス様のお陰。コロンブスが殺戮をしたのかどうかは知りませんが、その後に土地も資源もそっくり奪って、アフリカからさらってきた人間をこき使ったのは、他でもないデモ連中の御先祖サンじゃない。イニシャルコストもランニングコストもタダなんだもの、そりゃ儲かるさ。だから米国は今の地位を築けたってだけのこと。要は他所の人間から散々搾り取った血と汗と涙の結晶の国だというのに、今更ナニを言ってるんでしょうか。そこは御名御璽の誕生日が祝日でも文句の出ない日本の方がまだマシで、世の中に米国人の善人ヅラ正義ヅラほど不愉快なものはなく、反吐が出るほどです。

そもそもどこの国も建国ストーリーなんてみな同じ。所詮ヤクザの縄張りみたいなもんで、国なんて切った張ったで奪うものですから、神武とコロンブスに違いなどあるはずもなく、あと三千年も経ちゃコロンブスも神様です。もちろん僕はそれを肯定してはいません。縄張りなんてもんがあるから喧嘩になるんで、今日は首尾よく奪えたところで、明日にはきっと奪われます。歴史を遡って批判してみたところで事実は事実なんですから、それをどう学んでどう将来に生かすのか、それのみが大事なんだと思いますけどね。

米国の偽善者連中がやってることは、自分たちの先祖の悪事をなかったことにしろと騒いでいるだけのことで、当の本人たちがそれに気付いていませんから始末に負えません。こういう「一見正義」ほど厄介なものはなく、この種の人々は平気で木を見て森は無視します。殺戮者を讃えてはいけない、コロンブスは殺戮者だ、だからコロンブスを讃えてはいけない・・・今はどこの国でもこういう幼稚な連中ばかりですから、間もなく世界は終焉を迎えます。何によらず始まりには終わりが付き物ですから、それそのものは仕方のないことですが、僕らの浅知恵でも少しは延命ができたかもしれないのに、まったく残念でしかたがありません。

批判覚悟で言わせていただけば、すべて物事には必ず功罪あって、普通選挙の民主主義にだって弊害がないわけがありませんし、どんなものにも経年劣化があることは我々が散々学習してきたとおりです。ならばいっそ、まったく新しい社会のあり方に変えたほうがいいかもしれず、それを皆で議論する時期に来ています。民主主義なんて、今のところ他にいい方法がないからそうしているだけのことで、もっともっといい方法が必ず見つかりますよ。少なくとも僕ら愚衆愚民に主権者などという、おこがましいことが土台無理なのは、今の日本を見ていてもよくわかります。

まあ、いつか来た道を辿ってしまうのか、それとも辿らないですむのか、僕らの民度は日曜の晩にハッキリするでしょう。