整合性など問うだけ野暮か | 音楽のこと?話しだすと止まんないからなぁ~

音楽のこと?話しだすと止まんないからなぁ~

バッハジミヘンデイトンファンク!
嗜好も思考も偏ってますし、おぼろげな知識と主観で語ってます。違ってたらゴメンナサイ。

のように大したことのない小人物は、あんな奴ぁ掃いて捨てるほどいるぜ、なんて言われちゃいます。別の言い方をすればゴマンといるってことですけど、ありがたいことにこの国にはその160倍、八百万の神サマがおいでになります。一説に因ればゴマンは巨万がなまったものとのことですが、それでも我々日本人15~6人に対してひとり(神サマってのはひとりふたりって数えるんでいいんですか?)の割合で神サマが付いていてくださってることに変わりはありませんから、こんなに心強いことはありません。ただ、数が多ければ質は下がるってのが世の常で、そうなるとすべてがポテンシャルの高い神サマかどうかは疑わしいもので、70年前にはあんな大事な時だったってのに風を吹かせてはくださいませんでしたし、どうも僕を担当してくださっている神サマも本来の職務に忠実とはいえないような気がしてなりません。でもまあ、そうやって大勢いらっしゃるおかげなのかどうか、近頃はそこら中でカミってたりカミ対応を受けたり神が降りたり・・・ねぇ、それはそれはもうもう、とてもとてもありがたいことでございます、ええ。

けれども一神教じゃそうはいきません。アッラーに至っては13億人をおひとりで面倒見なきゃいけないんですから、天網恢恢というわけにもいかないでしょうし、民を幸福にしようにも限界があるんでしょう。まあ、石油だけは出してやるからあとは自力で頑張れってことだったのかもしれませんが、却ってそのことが事態を悪化させちゃってます。争いごとというものは、どうもアカの他人様同士よりも骨肉相争うほうが深刻のようで、大天使ガブリエルがムハンマドに啓示を与えたというからには、回教は基督教の分かれみたいなもんでしょうから、お互い納得がいきません。こっちの神が正統で、オマエのほうは邪教だとなじり合う。正直僕に言わせりゃどっちもどっちで、ワニがトリになったという進化論には僕も納得はいかないものの、回教基督教ともに物理学や科学との整合性は無視してるようにしか思えません。敬虔な方々には申し訳ありませんが、ここだけのハナシ地動説がバレちゃった時点で基督教はう~ん・・・ってなっててもおかしくなかったと思います。

宗教は宗教、必ずしも物理科学などと合致する必要などなし、しなくて当たり前・・・かといえば、僕に言わせりゃ然にあらず、我がお釈迦サンの宇宙観なんて流石としか言いようがありません。弟子の弥勒って人が僕らの代わりにいろいろと質問してくれてるんですが、我々の世界の構造を問えば、太陽が千集まって小千世界、それがまた千集まって中千世界、それがまたまた千集まったものが大三千世界といって我々の世界なのだよと。広さを問えば、星ひとつを塵にくだいてそのひとつひとつを百千万億那由侘阿僧祗という、とんでもない距離を進んでは捨て進んでは捨てして、それが全部なくなっちゃうほどに広いとのこと。じゃあ肝心のホトケってのはどこに現れてくれるのかと問えば、どこへでも現れるんだよと。

これ、明らかに太陽系銀河系の集合体、そして外に向かって膨張している中心のないフーセン宇宙、即ち我々の宇宙のことですよ。しかも西方極楽浄土などという、我々の世界の外にも別の世界があるとも説いています。現代の物理学ではアノ世の存在も認めつつありますしね(ちなみに浄土宗浄土真宗の阿弥陀如来ってのはその西方極楽浄土、所謂アノ世のホトケさんで、僕らの世界のホトケさんじゃありませんから、取り扱いには気をつけてね)。アインシュタインは神を信じるかと質され、今言われている神を自分は信じないが、必ず本物があるはずだと答えてます。そこはさすが物理学者で、研究すればするほどそういった存在を意識するようになるんでしょう。法華経を知ったらおそらく興味は持ったでしょうね。けれどもホトケさんは創造主などという概念とはまったく違いますから、アインシュタインといえども東洋人のような理解がはたしてできたかどうか。ただねぇ、今どきは日本人でもジーザズの誕生日はご存知でも、お釈迦サンのそれは知らない人が多いしね。まあ、基督釈迦どっちも日本人じゃありませんからしょうがないけどね。

一神教の場合はその性質上宇宙の法則に逆らって、聖地とか何とか強引に中心を作ろうとしますから、エルサレムなんかあんなんなっちゃうし、メッカだって人が死んだりして大変みたいですよ。そこだけ考えても神様より仏様のほうが合理的。それにヤオヨロズのカミってのも、実際はどこにでも現れるという仏サンの思想に影響を受けているのかもしれません。だって、万世一系よりもお釈迦サンのほうがずっと古いですからね。ただもちろん良くも悪しくも宗教は理屈じゃありませんから、要は清濁矛盾すべて併せ呑むことができるかどうか、きっとそれで幸せになれるかどうかが決まるんでしょうねぇ・・・。

特攻隊を生んだ我々日本人が自爆テロを非難はできませんが、それにしても7歳女児の自爆テロというものが、僕には到底理解できません。回教徒なら理解できるんでしょうか。両親が9歳と7歳の姉妹に、十字軍が憎いか、アッラーのもとにいくのだ、などと鼓舞している動画がネット上に流れているとのことで、これに対して罵声を浴びせることは簡単ですが、彼らがそこまでしなければならない背景というものを、我々はいったいどこまで認識しているのか。また、いったい誰がため、何のための宗教なんでしょうか。

まあね、人様の信仰のことですから、教化してさしあげたいとは思うものの、そっちは間違いでこっちが正しいとは言いづらいし、相手さんは相手さんで言い分があるでしょう。ただ、僕は愛よりは慈悲じゃないかと薄々そう感じておる次第でございまして・・・たとえば日頃から神がどうのと言っているアメリカ人が、よりにもよって広島と長崎で大量虐殺をやったということが、どうにも僕は引っかかってます。即死した当時の広島市長はクリスチャンでしたし、長崎といえばご存知バテレンの本拠地で、しかも本来福岡だったはずがまさかの変更。それでいて京都や皇居には普通の爆弾すら落としてません。この事実をいったいどう考えたらいいんでしょうか。軍需工場があったからといえばそれまでですが、そんなものは日本中いたるところにありましたしねぇ。

それにしても、日蓮サンじゃお釈迦サンじゃと常日頃おっしゃってる創価学会の方たちって、ホントに日蓮サンやお釈迦サンを理解してるんですかね。集団的自衛権だの改憲だのカジノだのもろ手を挙げて大賛成してるんでしょう?政権離脱しねぇんだから。前にも申し上げたとおり、あなた方は日本の最高権力者に等しいんですから、頼むからその自覚を持ってくださいよ。宗門叩きなんてくだらねーことをいつまでもやってんのは、政権批判の目を他所に向けさせるための常套手段だと、ハタ目からはよくわかるんですけどね。あなた方には「仏知見」が具わってんでしょ?そんならなんでわかんねーのよ。とりあえず婦人部サンの力が働いて、都議会ではケツ捲くってくれたようですけど、その調子で国政のほうもお願いしますよ。

う~ん・・・なんか歯切れが悪くてスンマセンねぇ。だってオレ小心もんだからさぁ、ここらが限界なんですよ。だったら何も言わなきゃいいじゃないかってハナシなんですけど、でもヘタレのクセになんか言わなきゃ気が済まないんス。申し訳ありませんねぇ・・・ヘンな信仰してるから世の中が治まらないんだ、なんてことは恐ろしくて口が裂けても言えないじゃない(って言っちゃってるじゃないかなんてツッコミ入れないでね、後生だから)。

あ、とりあえず明けましておめでとうございますけど、今年はいっそ明けないほうがよかったんじゃないかと思うような年になりそうな気はします。でも清く正しく明るく楽しくをモットーに、不退転の決意で養生に邁進いたしますので、どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。