たとえば爆乳おねーさんが好みだとしましょうよ。だけどクビレてないのはイヤだと。大きさの程度にもよりますけど、爆ってことになりゃシリコン注乳以外にはまずスレンダーは見当たりません。ごく稀に発見されたとしても、そりゃ特別天然重要文化記念物ですから、そんなもん手に入れたらロクなことになりません。光悦の茶碗でオオサンショウウオごはんをいただくようなもんですから、捕まるかもしれません。さあそうすると次善の2択ということになります。すなわち、Aクビレなし爆かBクビレたそれなり。どうします?
何かを犠牲に、あるいは目をつぶらなければしょうがない場面って現実にはかなりあります、ってかほとんどと言っていいかもしれません。ところがメルツェデスの新車開発条件にはかなりの無理難題が盛り込まれていたそうで、空力特性とダウンフォースの両方を向上させろ、ボディー剛性を上げつつ軽量化しろ、全体をコンパクトにして室内を拡げろ・・・こんなのばっかり数百項目におよぶから担当者は頭抱えるんだそうです。ところが最終的にはこれをかなりのレベルまでキッチリ仕上げるもんで、他メーカー(トヨタ自工等、但しイタリアメーカーは除く)はすぐマネをします。逆にベンツがトヨタをマネたのは、後部座席のあんま器だけ。自動車本来の機能とは関係のない部分。僕は正直なところ装甲車みたいで無粋だから、あまりベンツは好きになれませんけど、ドイツ人、凄いなとは思います。
本来は何かを犠牲にしなけりゃほんとうの満足は手に入れられないと僕は思ってます。イタ車みたいに9割方犠牲にしちゃってても残る1割に他を寄せ付けない圧倒的な魅力があれば、僕はそっちを好みます。要は1が9を補って余りあれば、別にガマンがガマンでなくなります。満足のための不自由なら、文句垂れるのも楽しみのうち。まあね、痩せ我慢っちゃ痩せ我慢ですけど。
ところがバッハは流石ドイツ生まれ。この方の音楽にはふんだんに無茶が盛り込まれてます。テンポがあっても優雅、品が良いのに色気があって、軽妙洒脱で重厚、明るく切なく、パワフルなのに繊細、頑固で柔軟。字ズラ見ただけじゃこんなもの普通はありえませんが、このすべてがひとつの楽曲に包含されています。これを絶妙のバランスというよりは、完璧というほうが近いと思います。僕だけがそう思ってるのかもしれませんが、この世でただひとりバッハだけがなぜこういう創作ができたのか、不思議でしょうがありません。バッハを聴くたびこの世に生を受けたことへの喜びと感謝を想う至福に浸ることができます。・・・いや、ホントだって。
実はこのブログを始めた頃に同じような内容の記事を書いてます。そのときにはコーヒーカンタータ第8曲のアリアだけを、僕がこの世で最も好きな曲といって貼りました。それから少しの間にYouTubeの容量が増えたのか、最近同じ人たちの全曲ものでとても楽しいものを見つけました。ただし、僕は件のアリアも含めて前のバージョンのほうが演奏自体は好みなのですが、歌はこっちのほうがいいように思います。ほんの少しの違いなんですが、音楽ってのは本当に面白いもんです。話の内容はコーヒー狂の娘とそれをやめさせようとする父親とのバトルで、婿さん探してやるからということで最後はめでたし。
ところで僕は女性の外見にはまったくこだわりがありません。男も女も人間はもちろん中身。そしてその中身は必ず外見になって顕れるものだと思っています。
いったいどういう中身だとボンキュボンとなって顕れてくれるんでしょうか。
J. S. Bach - Kaffeekantate / ABO Koopman
13'10"から件のアリア。ナニ言ってるのかはさっぱりわかりません。
光悦「不二山」写し 片身替抹茶碗/佐々木昭楽
本物買うのはまず無理。
Coffee & Peasant Cantatas/J.S. Bach
も~・・・これだけは。ど~しても。