盲目的な信者の僕でもジミヘンやザップでほとんど聴かない曲もあります(ってことは盲目的じゃないのかしらん)。それもヒットしたもののほうに案外多くあります。ザップでいえば「コンピュータラヴ」や「アイウォナビーユアマン」なんてのがそうで、それまでのサウンドを下地にした、それこそ集大成的な紛れもないザップ節なんですが、う~ん・・・ってなもんでした。だからこそヒットしたんでしょうが、なんか毒や変態的要素が足りない気がしてます。それ以前のものならてんこ盛りでしたんで。だからあの辺りがヒットしたときには、商業的に成功してよかったね~という、我が子が難関校に合格した喜び(がどんなものかは知りませんけど)的な感想は持ったものの、だからといって曲そのものはほとんど聴きませんでした。で、その後リリースされたロジャーのソロを聴いた時にウェルカムバックとなったわけです。
ジミヘンの初期のものでも僕は「紫の煙」みたいなロックロックはほとんど聴かず「ストーンフリー」のあのファンクでリズミカルな方針ばかり聴いてます。これ昔からです。ただし、ジミに限っては「風の中のマリー」や「リトルウイング」といったスローも秀逸ですから、ちゃんと聴くんです。
問題はバッハですよ。
この方は人類の奇跡ですから、作った曲にハズレなんぞあろうハズがありません。だからもしこの曲はちょっと・・・なんてものがあれば、それはそいつが悪い。理解が足りないだけ。と、思われても仕方がないんです。ないんですけど、実はあるんですよね~、僕がどうにも受け付けないものが。
管弦楽組曲という作品群があります。1番から4番まであって、組曲ですからダンスミュージックです。サラバンドとかジグとかあります。で、これがまた3番のアリアってのが例のいわゆるG線上のアリアです。バッハベスト10には必ず入ってくる。でも僕は昔からど~~~しても苦手。1~4番までそっくり苦手。はじめHogwoodって人のCD買ったんですけど、演奏がよくないんだろうと思ってコープマン師匠のを買いなおしました。結果ホグウッドさんごめんなさい。曲が悪い。聴いててちっともおもしろくありません。なんだかドラマチックで思い入れたっぷりのウケ狙いなような、バッハにしては異色作としか思えません。はじめはなぜかわからなかったんですが、やっぱり理由らしきものがありました。
バッハの晩年はバロックも終焉に近く、ストイックなポリフォニックものが敬遠されつつあって、あっけらかんのドソミソホモフォニーがぼちぼち台頭し始めてます。ハイドン生まれちゃってますし。バッハへの世間の評価も昔の技を今に伝える頑固ジジイ。時代の波には逆らえなかったのか、あるいはほんの出来心なのか、何を思ったかセバスちゃん、こともあろうにほとんどホモフォニーで作曲してしまいました。それが管弦楽組曲。どうりで。でもその後はまたポリフォニーの鬼と化して、遺作は究極のポリ、フーガの技法です。指が10本じゃ弾けないほどのこれでもかフーガ。だからもしかするとご本人もひと通り作ってはみたものの、こんなものかで気が済んじゃって改心したのではありますまいか。ということで・・・
この際だからハッキリ言います!G線上のアリアはバッハの失敗作です!・・・って言う人も中にはいらっしゃるかもしれません。ボクはそこまでは言いませんよぉ。
Bach - Orchestral Suite 3 - Air / 一応 Koopman
う~ん・・・やっぱり沁みませんねぇ。古楽でもゆるいっす。
Bach - Concerto for 2 Violins - Adagio / Schroder, AAM Hogwood
口直し。・・・やっぱり沁みますねぇ。ぜんっぜん違います。
J.S. Bach / AAM Hogwood
問題作。この人が悪いんちゃう。
バッハ:ヴァイオリン協奏曲集/エンシェント室内管弦楽団 シュレーダー(ヤープ)&ホグウッド(クリストファー)
この曲はこのCDが一番好みです。