7月28日、諏訪内晶子さんのヴァイオリンリサイタルを聴きに行きました。
会場は静岡音楽館AOI。今住んでいる家から自転車で行けちゃう場所にあります。
客席は700席弱でステージもオーケストラが乗るには小さく、室内楽の編成のためのホールという感じです。
今回初めて訪れましたが、とてもよい音響でした。
今回のプログラムはモーツァルト(第40番)・ベートーヴェン(第3番)・リヒャルトシュトラウスの計3曲のヴァイオリンソナタでしたが、どの曲も自分はこれまで一度も聴いたことがありません(笑)
それでも、特にシュトラウスは来月のオーケストラ演奏会のメインで自分が弾く曲の作曲者でもあるので、あえて予習なしで今回のプログラムを聴くのを楽しみにしていました。
これらヴァイオリンソナタは、正しくは「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」であり、本来はヴァイオリンとピアノのどちらも主役の曲です。
クラシックの歴史を紐解くと、実はベートーヴェンの初期までの古典の時代はピアノが主役で、ヴァイオリンはその味付けの役割という「ヴァイオリン助奏つきのピアノソナタ」でした。
それが、ベートーヴェンのソナタ第9番「クロイツェル」あたりからかなりヴァイオリンが主張を始めて(笑)、対等な関係がベーシックとなり、さらにロマン派の中期からは時代が進むほど「主役のヴァイオリンと、それを支える伴奏のピアノ」のような関係が多くなっていきます。
(もちろん、フランクのソナタのようにヴァイオリンとピアノが対等に語り合う曲もあります)
そういう視点からみると、今回はピアノが主役の古典が2曲とヴァイオリンが主役のロマン派が1曲という組み合わせなのですが、実際に聞いてみると古典の2曲はヴァイオリンが刻みや合いの手が多めではあるものの、「ピアノの合間に顔を出す脇役」のような印象はないですね。
諏訪内さんが弾く古典の2曲がまるでロマン派の曲のよう
初めてホールで聴いた諏訪内さんの演奏は、全ての音に芯があるという印象を受けました。
例えば、アマチュアの自分の場合は曲がちょっと長くなると「弾いて音を出しているだけ」の部分が多くなるのですが、彼女の場合は、ひとつひとつの音を無駄にせず、最初から最後までどの音にも感情が込められている感じ。すごく鳴ることで有名な楽器グァルネリ・デル・ジェズも彼女には合っているのかもしれません。目をつぶって聴いているとまるで男性奏者が弾いているかのように力強い音を出しますが、決して武骨ではない。
最後のシュトラウスのソナタは本当に良かったです。最初の出だしから「お、いかにもロマン派じゃん!」という感じで入る曲でしたが、時折彼の交響詩や交響曲の作品で聴かれるようなフレーズも顔を出したりして、ピアノとヴァイオリンしかないのにとても色彩豊かな曲でした。
3つのソナタのプログラムは、あっという間に時が流れていきました。
ホールの音が良いうえに、楽器が良く鳴り、何よりもその楽器の能力を引き出せる卓越した力量がある。
そんなすべてが揃ったリサイタルでの聴体験はスピーカーから聴く音とは格段に違いますから、やっぱり良いものですね。
諏訪内さんはヴァイオリンコンクールの最高峰であるチャイコフスキー国際コンクールを歴代最年少かつ日本人で初めて制覇された方で、こうした世界的奏者のリサイタルを地方都市の平日に聴ける日本って、なんて贅沢なんだろうと改めて思います。