はじめに
岡本 今回はヨガ講師のリタさんと一緒に非二元とその悟りについて色々とお話ししていきたいと思います。
リタ よろしくお願いします。
岡本 まず、非二元あるいはノンデュアリティという言葉ですが、これは古いインド思想で八世紀のシャンカラというバラモンが提唱したアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)という思想が起源になっている思想で、近代ではラマナ・マハルシはニサルガダッタ・マハラジといったインドのグルが説いている教えです。
リタ 現代でも非二元・ノンデュアリティについて発信している人が結構多くいますよね。
岡本 それが非常にややこしくて、非二元の起源であるアドヴァイタ・ヴェーダーンタはアートマン(個我)とブラフマン(宇宙の根本原理)は同一であるとする梵我一如を説く思想なんですが、現代の非二元では、「私はいない」とか「全自動」であるとか「体感が事実」といったことが語られるケースが多いんです。こういった考え方は本来の非二元にはありません。非二元は「アートマンの実在」や「現象世界は幻である」ということを説いているからです。
リタ 確かに逆のことを言っているように感じますね。そういうねじれが起きる理由は何なのでしょう?
岡本 一つの問題は、「非二元」という言葉をその字面だけを見て「二つではない」というような意味で考えてしてしまっていることだと思います。非二元のアドヴァイタ・ヴェーダーンタの意味は、アは否定、ドヴァイタは二元論、ヴェーダーンタは梵我一如を説く一元論なので、二元論を否定した一元論ということですが、「二つではない」が先行して語られ、「自他を分けることが悪い」「全体が愛です」といった、個人存在を悪に、全体性を善として語る文脈ができてしまったことです。そのため、「自我は苦しみの原因です」とか「個人はいません」という本来の非二元とは逆の教説が、いわば目覚めのキーワードのように誤解されてしまっているわけですね。
リタ なるほど。岡本さんが非二元について話すきっかけはどういうものだったのでしょう?
岡本 このアドヴァイタ・ヴェーダーンタをYouTubeで解説したときに比較的興味を持ってくれる人がいて、意外に非二元って知られているんだなと感じたのが最初です。
それで、少し調べてみると非二元を語るスピーカーと呼ばれる人たちがたくさんいて、ただ内容を聞くと、なんだこれはっていうぐらい非二元の本来の教えから離れているんですよね。そこから少しそういった人たちの話しを聞くようになって、大和田菜穂さんとか金森将さんの本を読んでその内容を知ったという感じですね。
ですので、改めて基本に立ち返るという意味で、古典の非二元から昨今の非二元まで、そもそも非二元とはどのような思想なのかというのを簡単にご紹介し、その悟り観についてお話ししていくのか今回のテーマです。この現代の非二元と呼ばれている思想は、古典の非二元とは内容が異なるため、ネオアドヴァイタと呼びたいと思います。
リタ 良いですね〜。ちなみに、非二元が理解できずに迷ってしまう非二元難民と呼ばれる人たちがいるのは知っていましたか?
岡本 そうですね。ネオアドヴァイタの話しを聞いてみると、これは迷うだろうなという印象は受けました。誰か覚醒者みたいな人がいて、その人が目覚めとか覚醒とかを好き勝手に喋っていて、そういうのを聞くと、自分にも覚醒とか目覚め体験みたいなことが起きたら悩みのない境地に達するんだろうと思うわけですよね。それで、じゃあそれがどういう内容で自分にどう再現すればいいんだろうと考えて質問をしても、「それは思考です」とか、「目覚める人はいないんです」みたいな返しをされるわけですよね。
そのスピーカーさんたちもそれによって自分の悩みが解決したのかといえば、「全体から沸いているんです」とか「全自動です」といった運命論のような話しをするだけでなので、結局、目覚める人がいないとか全体から起きてるだけだったらどうしようもないわけですけど、ワークショップやセッションだけは高額なお金をとってやるという矛盾だらけの教説がたくさんあって、かなり怪しいですよね。
まあ、それについてはあまり批判しても始まらないので、まずは本来の非二元についてお話ししていきましょう。
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