自我と愛

 

 

岡本 例えば、美紀さんが自分の恋人と愛し合うという場合、そこには個別の自我の働きがあって、それぞれが他者を慈しみ、他者の価値観を尊重し合い、そして愛し合うということがあるわけですよね。そういった愛が生じるのは、人間の自我があるからです。ですので、自我は苦しみの原因であると同時に、愛や慈悲が反映する媒体でもあることになります。

 

美紀 自我がないと愛が表現できないんですかね。普遍的な愛みたいなものもあると思うんですが。

 

岡本 まず一つの例として、恋人同士のような愛がありますよね。美紀さんが自分の恋人を「好き」という場合、その相手は個別の人格を持った人で、普遍的なものではないですよね。つまり、普遍的な愛であれば誰でも良いはずで、道ゆく人は誰でも恋愛対象になるはずです。しかし、そうはなりません。

 このとき、私たちは個別個人の存在の中に愛を探していて、誰でも良いわけではないし、またその相手にも自分という一人の個人存在を愛して欲しいと思うわけです。そういった意味で、私たちが一般的に「愛」という場合、自我の働きは不可欠で、自我によって互いに愛し合うということができるわけですね。

 

美紀 確かに、誰でも良いわけではないですね。個別の人間関係の中に愛を感じるってことですね。

 

岡本 そうです。それはまた、1対1の関係から、自分と家族、自分と地域、自分と国、自分と世界というように、その対象を広げていくことができます。しかし、一方で、それらに働きかける自分の自我は必要です。自我がなければ、主体的な行動は何も生まれないからです。

 ヨーガ心理学では、この自我の愛や慈悲の面を育てていくことが重要であると考えていて、それを高級自我と呼びます。

 

 

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