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『バガヴァッド・ギーター』はインド古典のうちで最も有名な著作で、その成立はおおよそ1世紀ごろとされています。本書の中に登場するクリシュナはヒンズー教で信仰されているヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)で、現代のインドでも根強い人気があります。また、本書が戦争の直前の場面であるというのも特異な点で、ヒンズー教のヴィシュヌ神の化身であるクリシュナと戦士アルジュナの問答の中でヨーガの奥義が説かれるのです。

 

『バガヴァッド・ギーター』が広く読まれているという一方で、このヨーガの教えは難解で分かりにくいという意見が少なくありません。そこにはいくつかの理由があります。

一つ目には、この本が『マハーバーラタ』という長編の一部を抜粋したもので、『バガヴァッド・ギーター』からその全体のストーリーを読むことはできないという問題です。1章では唐突に様々な登場人物の名前があがり、読者を混乱させます。また、アルジュナと敵軍の大将ドルヨーダナはなぜ戦っているのかという点も本書の中では語られません。これらの経緯を読み解くには、『マハーバーラタ』を参照しなければならないのです。

二つ目に、クリシュナの説くヨガの哲学体系が非常に難解であるという問題です。『バガヴァッド・ギーター』は戦士アルジュナとクリシュナの間で交わされた問答であり、クリシュナ自身がその哲学体系を詳細に解説することはありません。したがって、読者はそれらの会話を聞きながら、その背後にある哲学体系を読み解かなければならないのです。

このように、『バガヴァッド・ギーター』を理解するにはいくつかの障害があります。しかしながら、本書の内容はインド哲学における最高峰であり、ヨガの奥義がヴィシュヌ神(クリシュナ)の口から直接説かれているという意味でも非常に重要であり、ヨガを学ぶ上で欠かせない経典となります。ヨーガを深く理解したいと思う方は、この難題にチャレンジする価値は十分にあるでしょう。

 

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1章は、盲目の王ドリタラーシトラ(ドルヨーダナの父)にサンジャヤ(ヴィヤーサ仙*によって千里眼にされた従者)が戦況を語り始めます。

 

*ヴィヤーサ仙は『マハーバーラタ』の著者とされる仙人

アルジュナは敵対するドルヨーダナとの戦闘を前に、御者クリシュナと戦車を駆り立て、戦場の中央へと進みます。そこでアルジュナは、敵の中に親族や友人の姿を見るのです。親族を殺すことをためらうアルジュナは、敵軍と戦うことに迷いが生じ、戦意を喪失してしまいます。
 

クリシュナよ、戦おうとして立ち並ぶ親族を見て、私の手足は力を失い、口は渇き、身体はふるえ、身の毛がよだつ。カンデーヴァ弓は手から落ち、皮膚は焼かれるようだ。私は立っていることができない。私の心はさまようかのようだ。私はまた不吉な兆しを見る。そしてクリシュナよ、戦って親族を殺せば、良い果報は得られない。クリシュナよ、私は勝利を望まない。王国や幸福をも望まない。ゴーヴィンダよ、私にとって王国が何になろうか。享楽や命が何になろうか。我々はあの人々のために王国と享楽を望んだが、この彼らが、生命と財産を投げうって、この戦争に臨んでいるのだ。師、父親、息子、叔父、義父、孫、義兄弟、その他の縁者たちが。彼らが私を殺しても、私は彼らを殺したくない。たとえ三界の王権のためでも、この地上のためであっても。1章28~35節


アルジュナはこのように考え、戦場の真ん中で弓を投げ落としてしまいます。さて、この後アルジュナはどうなったのか。また、クリシュナは迷えるアルジュナに対してどのようなヨーガの教えを説いたのか。クリシュナとアルジュナの対話が始まります。

 

 

バガヴァッド・ギーターの解説動画はこちらから 全10本 9時間半

 

 

 


 

 

 

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