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ラージャ・ヨーガの目的

 

 これからスートラを読むにあたって、まずはこのラージャ・ヨーガの目的を明確にしておきましょう。パタンジャリはスートラの冒頭から、ヨーガとは何かという結論を述べています。

 

それではヨーガを教えよう。

ヨーガとは心の働きを止めることである。

1章1~2節

 

 さて、いきなりの難問です。この、「ヨーガとは心の働きを止めることだ」とは一体どのような意味でしょう。ヨーガをポーズの練習だと思っている人は、まずこの言葉で大きな壁にぶつかることになります。スートラを最後まで読んでも、ポーズの話は一切出てこないからです。現代では多くの人がヨーガはポーズの練習だと思っていますので、スートラを読むためには、その固定観念を一度捨てなくてはいけません。

 では気を取り直して、もう一度「心を止める」という節について考えてみましょう。普通私たちは、心こそ自分の本質であると思っているので、「心が止まってしまうと、私は一体どうなってしまうのだろう」と不安になります。しかし、スートラは、

「いやいや。不安になるのは分かりますが、ぜひ心の働きを止めてください」

と言うのです。

では、質問を続けてみましょう。

「心の働きが止まったとき、その人はどうなるのでしょうか?」

スートラは答えます。

「そのとき、その人は悟ります」

「では、悟りとは何でしょうか?」

「悟りはサンスクリット語でモークシャと呼ばれます。この言葉は『自由になる、解放される』という意味です」

「では、一体何から自由になるのでしょうか?」

「それは苦しみです。苦しみや悩みから解放され、私たちは完全な至福を手に入れることができるのです」

これが、スートラの主張です。

 まずこのようにお話ししたのは、「心の働き止める」という不可解な言葉が、一体何を目的としているのかという点をはっきりさせる必要があるからです。つまり、心の働きが止まったとき私たちに何か利益がなければ、それを実践しようとする人は誰もいないでしょう。

 ですから、このヨーガの思想は私たちを苦しみから解放し幸福にすることを目的としている、という前提でこれから読み進めていきましょう。この本を読んでいる方の中に、「私はできるだけ苦しんでいたい、不幸になりたい」と思っている人はいませんよね? もしあなたが、「私は苦しみから逃れ幸福になりたい」と感じているとすれば、スートラを学ぶ価値は十分にある、ということになります。

 

 

なぜ心の働きを止めるのか?

 

 

 では、なぜ「心の働きを止める」ことが幸福につながるのでしょうか? 普通私たちは、心を喜ばせることこそ幸福の最大の条件であると思っています。恋人と遊園地でデートをしたり、友達と飲み会をしたり、美味しい食事をしたり、新しい洋服を買ったりすることで心は喜びます。このような喜びを得ることが一般的な幸福です。しかし、「心を喜ばせることでは幸福にはならない」と考えているのがこのヨーガ思想なのです。なぜなら、心は相対的に苦楽を生じるので、喜びを求めることで同時に苦しみを生み出しているからです。

 この点は非常に重要な問題なので、後の章で詳しく解説していきますが、喜びが苦しみの原因になるのであれば、常に喜びを追い求めている私たちは苦しみからは逃れることができないということになります。もちろん、泣いたり笑ったりすることが人生の面白さだと考えることもできるでしょう。全くトラブルの起きないドラマなど見ていて面白いはずがありません。しかしスートラは、このような苦楽が生じること自体もまた苦しみだと言っているのです。

 

 

この世界で生きることは苦しみ

 

 

 このヨーガの思想では、私たちは本質的に苦しみの世界に住んでいると考えています。もちろん、私たちは一般的にそれほど生きることが苦しいとは思わないでしょう。人生の中には当然、楽しみも喜びもたくさんあるからです。しかしパタンジャリは、この世で生きることが楽しいと思っている人は物事の道理を正しく知らないのであり、この世で苦しんでいる人の方が世界のあり様を正確に捉えていると述べるのです。

 仏教でも同じような考え方があります。初期仏教には四聖諦(ししょうたい)という教えがありますが、これは苦集滅道(くしゅうめつどう)という四つの真理を表したものです。この四つの言葉の意味は、この世は苦しみである(苦)、その原因は執着である(集)、その苦しみを取り除くには執着を手放す必要がある(滅)、それは八正道(はっしょうどう)*1による(道)、となります。つまり仏教でも、この世のあらゆるものは苦しみである(一切皆苦(いっさいかいく))という認識から始まるのです。これは、「この世は苦しいものなので悟りを求めましょう」というだけではなく、「この世が苦しいものだという真理を見抜けない限り、悟りに向かうことはできない」という意味で捉えることもできます。つまり、世界で楽しんでいる人は一般的に成功者だと思われていますが、そうではなく、苦しんでいる人の方が悟りには近いと考えることができるのです。

 ですから本書では、この世で悩み苦しんでいる人こそ成功者であるという視点でお話ししてみようと思います。この世で生きることは楽しいと思っている人は、物事に対して無関心であるか、美食やお酒やセックスなどの表面的な快感に酔っているか、あるいは若さなどの(つか)の間の幸福に浸っているかです。結局それは一時しのぎのごまかしにすぎません。この世で生きることが辛いと感じているなら、その人は世界に対してむしろ真剣に向き合っているのです。

こういった意味で、このスートラの教えは、世渡りが上手くこの世を楽しんでいる人のための教えではなく、不器用で物事を深刻に捉えすぎてしまう人のための教えだということになります。日本では毎年数万人の自殺者が出ていますから、自らの手で自分の体を傷つけてまでこの世を離れたいと感じている人がたくさんいることになります。こういった方は、世の中の深刻な面を捉えていて、生きることは辛いものだと考えているはずです。このヨーガの思想は、こういった人たちの悲観的な感情をむしろ歓迎しています。

「私は生きるのが辛い、苦しい、死んでしまいたい」と言う人がいれば、スートラは、「なるほど、確かにあなたは正しく世界を見ている。それでは、その苦しみを取り除く方法について一緒に考えましょう」と言って、喜んでその人を迎え入れることでしょう。もしあなたが「人生は苦しいものだ」と感じているなら、そのとき真理への扉は開いていると言えます。苦しみの原因である心を探求する動機は備わっており、自分の心がどのようなものか把握したなら、今度はそこにある苦しみの原因を取り除けば良いからです。この動機こそ、何よりも重要です。

 それではこれから、私たちの悩みや苦しみがどのように生じているのか、どのようにその苦しみから解放されるのか一緒に考えていきましょう。

 

 

*1 八正道(はっしょうどう) … ブッダの教えで、正見(しょうけん)(物事を正しく見る)・正語(しょうご)(正しい言葉使い)・正業(しょうぎょう)(正しい行い)・正名(しょうみょう)(正しい人生の目的)・正精進(しょうしょうじん)(正しい努力)・正思惟(しょうしゆい)(正しい考え)・正念(しょうねん)(正しい精神統一)・正定(しょうじょう)(正しい瞑想)の八つ。

 

 

 

 


 

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