葛飾北斎の「富岳三十六景 神奈川沖浪裏」 私は子ころからこの絵がとても好きで、今でも一番好きな絵はと訊かれたらこの絵が一番に上がります。

 

この波の様子も、現代の高解像度カメラを使って撮影した時とそっくりだったそうで、作者の葛飾北斎はさすがは天才! という感じがします。

 

この絵の構図も、黄金比率を使って描かれているそうで、このあたりも観る人を惹きつけるものがあるのだと思います。

 

さて、この見事な形の波について。波は海の表面に現れたものとして存在する訳ですが、もともとは海。その海に、風とか海流とか、水温、気温などいろんな要素が組み合わさって「波」として表出することになります。

 

人間の存在もこの「波」みたいなものと考えると分かりやすいかと思います。生命が発生する「海」の様なものに色んな要素が関与する=ご縁を持って関わることで、私たちがこの世界に現出することになります。

 

生みの親はもちろんのことですが、さらにその先の先祖とかずっと遡っての関係性とか、その時々の時代背景とか社会状況とか、あるいはその時の星の配列とか、いろんなものの組合せで今の私がいることになります。

 

また、「過去に存在したパターンの波」とものすごく似た形の波が出てきたときに、傍から見れば「あの人の生まれ変わりだ!」みたいに見えるかもしれません。

 

そして、海の波と人間が異なるのは、人間は意識によって自分が存在する「波の形」を変えることができるということ。量子論的に見れば、観測によって素粒子の状態が変わることが確かめられています。

 

「こんな風に生きたい」とか「こんな人の様になってみたい」というのも、「こんな形の波になってみたい」みたいな感じに近いものだと思います。こう考えていくと、もともとは海の水なので、「周りに影響を与えずに、あるいは、周りからの影響を受けずに自分だけが変化する」ということは、ありえないことが分かります。常に、自分のあり方が周りに影響を与え、周りのあり方が自分に影響を与える。

 

「自己実現」のようなものも、自分単体で成し遂げるのではなく、周りの色んなものの波の組み合わせや相互作用があって表面にそうした形で現出するということですね。これに気が付いたときに「ありがとう」という感情が出てきます。

 

そして、波も決して止まることはなく、無常。やがては大きな海に還っていって、また新しい波が発生することになります。