今日の1枚は、タカラや旧ゲームカードより、水谷実雄。
広島が長かったですが、阪急での活躍が忘れられないですねぇ~。
…なぜなら、パ・リーグ党だから!
水谷って、宮崎県出身なんですね。
プロ入りは1965年、広島のドラフト4位。
ピッチャーだったんですね。
2年目に外野手に転向したんですが、なかなか苦労をしたようで。
5年目の70年、ようやく103試合出場。
阪急の時は本塁打バンバン打ってましたが、レギュラー定着から6年間は75年の13本塁打が最高。
あ、75年と言えば、赤ヘル旋風で広島が初のリーグ優勝をした年ですね。
この時代は…というか、80年代いっぱいまでは広島といえば山本浩二、衣笠で、水谷はその影に隠れて地味な存在でしたね。
ちなみに75年の日本シリーズ、相手は後に移ることになる、阪急ブレーブスですよ。
このころの阪急は、強かったなぁ~。
自分も小学校低学年で、この阪急の強さが原体験としてあるので、「巨人なんかよりパ・リーグだ!」ってことになったわけですね。
…ま、そのころから性格がひねくれていたわけで(笑)
76年に26本塁打。
これが広島時代の最高本塁打数なんですね。
あの、本塁打の出やすい広島市民球場なのに!
この76年に初の打率三割(.306)を記録すると、3年連続三割を記録。
78年には.348で首位打者を獲得。
なんかねぇ~、水谷ってあんまり打率ってイメージないんですけどね。
81年にも.337打ってますからね。
そう、79、80年は広島は近鉄を下して2年連続日本一になってるんですよね。
79年の日本シリーズは、山際淳司氏の「江夏の21球」でも有名ですね。
あの時は水谷はどこにいたのかな?
衣笠が一塁にいたということは、外野か、もしくはベンチに下がってたのかな?
82年、広島が4位に低迷し、水谷も18本塁打に終わると(ただし打率は.303打ってたんだけどね!)、チームはm泉谷を放出。
なんと、阪急の加藤英司との1対1のトレード!!!
そして83年、水谷は3番蓑田、5番ブーマーに挟まれ、4番打者として活躍。
130試合フル出場で36本塁打114打点で打点王を獲得。
指名打者ってのが合ってたんですかね。
交換相手の加藤英司は広島で75試合、10本塁打、.261に終わってすぐ近鉄に放出されましたからね。
大活躍で終わった阪急1年目。
ただ、好事魔多しというんでしょうか、翌84年の開幕戦、ロッテの土屋から、頭に死球を食らうんですね。
この死球で、ほぼ水谷の選手生命は絶たれたと言っていいでしょうね。
この84年は阪急はリーグ優勝をして、日本シリーズに出場たんですが。
相手は水谷の古巣、広島だったんですけどね。
この時代はまだ、日本シリーズは指名打者制度が取られてなかったので、水谷も出番はほとんどなく。
チームも、3勝4敗で広島に負けたんですよね。
ちなみに日本シリーズで指名打者制度が採用されたのは、翌85年だったんですよねぇ~。
優勝が1年遅かったら、水谷も日本シリーズでガンガン打ってたかもしれないんですよね。
で、85年は13試合の出場に終わって、現胃液を引退。
引退後は打撃コーチとして各球団から引っ張りだこ。
コーチとしても、名声を得ました。
…そんなわけで、今日は水谷実雄でした!