#73 水谷実雄 | Naoto's Gallery

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最近時間が取れなくなってしまったので、ブログを簡易版的に変更しようと思います。

名前も「Naoto's Gallery」と改めて、再スタートいたします!

かなり手抜きな感じになるかもしれませんが、引き続きよろしくお願いいたします!


今日の1枚-101228_2025~01.jpg



今日の1枚は、タカラや旧ゲームカードより、水谷実雄。


広島が長かったですが、阪急での活躍が忘れられないですねぇ~。


…なぜなら、パ・リーグ党だから!



水谷って、宮崎県出身なんですね。

プロ入りは1965年、広島のドラフト4位。


ピッチャーだったんですね。


2年目に外野手に転向したんですが、なかなか苦労をしたようで。



5年目の70年、ようやく103試合出場。



阪急の時は本塁打バンバン打ってましたが、レギュラー定着から6年間は75年の13本塁打が最高。


あ、75年と言えば、赤ヘル旋風で広島が初のリーグ優勝をした年ですね。


この時代は…というか、80年代いっぱいまでは広島といえば山本浩二、衣笠で、水谷はその影に隠れて地味な存在でしたね。


ちなみに75年の日本シリーズ、相手は後に移ることになる、阪急ブレーブスですよ。


このころの阪急は、強かったなぁ~。


自分も小学校低学年で、この阪急の強さが原体験としてあるので、「巨人なんかよりパ・リーグだ!」ってことになったわけですね。


…ま、そのころから性格がひねくれていたわけで(笑)



76年に26本塁打。


これが広島時代の最高本塁打数なんですね。


あの、本塁打の出やすい広島市民球場なのに!


この76年に初の打率三割(.306)を記録すると、3年連続三割を記録。



78年には.348で首位打者を獲得。


なんかねぇ~、水谷ってあんまり打率ってイメージないんですけどね。


81年にも.337打ってますからね。



そう、79、80年は広島は近鉄を下して2年連続日本一になってるんですよね。


79年の日本シリーズは、山際淳司氏の「江夏の21球」でも有名ですね。


あの時は水谷はどこにいたのかな?


衣笠が一塁にいたということは、外野か、もしくはベンチに下がってたのかな?



82年、広島が4位に低迷し、水谷も18本塁打に終わると(ただし打率は.303打ってたんだけどね!)、チームはm泉谷を放出。


なんと、阪急の加藤英司との1対1のトレード!!!



そして83年、水谷は3番蓑田、5番ブーマーに挟まれ、4番打者として活躍。


130試合フル出場で36本塁打114打点で打点王を獲得。


指名打者ってのが合ってたんですかね。


交換相手の加藤英司は広島で75試合、10本塁打、.261に終わってすぐ近鉄に放出されましたからね。



大活躍で終わった阪急1年目。


ただ、好事魔多しというんでしょうか、翌84年の開幕戦、ロッテの土屋から、頭に死球を食らうんですね。



この死球で、ほぼ水谷の選手生命は絶たれたと言っていいでしょうね。


この84年は阪急はリーグ優勝をして、日本シリーズに出場たんですが。


相手は水谷の古巣、広島だったんですけどね。


この時代はまだ、日本シリーズは指名打者制度が取られてなかったので、水谷も出番はほとんどなく。


チームも、3勝4敗で広島に負けたんですよね。



ちなみに日本シリーズで指名打者制度が採用されたのは、翌85年だったんですよねぇ~。


優勝が1年遅かったら、水谷も日本シリーズでガンガン打ってたかもしれないんですよね。



で、85年は13試合の出場に終わって、現胃液を引退。


引退後は打撃コーチとして各球団から引っ張りだこ。


コーチとしても、名声を得ました。



…そんなわけで、今日は水谷実雄でした!