人間の最期

外科勤務医だった若い頃は、

急変した患者さんには

何でもかんでも、心配蘇生をした。


どんな背景であろうとも、

心肺停止した患者さんには、

気管内挿管をして、

人工呼吸をして、

心臓マッサージをして、

ボスミンをたくさん注射して…。

とにかく1分でも1秒でも長く生かし、

少なくともご家族が到着するまでは、

汗がダラダラになって蘇生した。


口腔内や両上肢には管がたくさんあって、

腹部や胸部には

オペ後のドレーンが入っていることもあった。

当然、肋骨はバキバキに折れていた。


とてもとても自然な姿の最期とは言えず、

変わり果てた姿…といっても、

人為的に作られた変わり果てた姿で、

家族の気持ちの受け入れもないままに、

時間の確認だけをした。


否定的に書いたが、

当時はこれがスタンダード。

少しでも長く生きてもらう、

復活して死の淵から戻ってきてもらう…。

これは間違った考えではないと今でも思う。




開業してから行なっている在宅看取りは、

完全に息を引き取ってから

オンコールされるので、

ほとんどは冷たくなってからのご対面。

その時点での時間の確認だ。


最期の時間が迫ると、

医師はその場を外して、

家族水入らずの環境を作らなければならない。

それも必要なことだと思っている。


父親を看取った時は、

心拍モニターが平坦になって、

時間の確認をした。

心拍モニターの音が消えた時、

お別れを実感した。




医者になってから、診た患者数、

お看取りした患者数は

平均的な同期の医師より多いとは思うが、

今回、初めての貴重な経験をした。





15年前の開業初日から診させてもらっている

思い入れの強い大切な患者さん。


トイレから戻ったら意識と呼吸がおかしい。

すぐに来てほしい。


とのことで緊急往診した。



自分の到着を待っていたかのように

到着と同時に

意識は混濁。

呼吸は浅い。

血圧は血圧計で測れず、

わずかな拍動触知。


自然経過を待って約20分。

呼吸回数と脈拍が徐々に落ちていき、

ついに力尽きた。


元気な時と同じ顔貌で

目だけ閉じて、

天国へ旅立って行った。


霊が上がっていくのが見えた気がした。

自分への言葉も聞こえた気がした。


自然な形の老衰の最期。

人間の最期だった。



当たり前にある光景なのだろうが、

ここまで自然経過を見続け、

大切な患者さんから

無言の言葉を感じたのは初めてだった。


特別なご病気がない方の最期。

大往生の方の最期。



厳しい時代を生き抜き、

我々にたくさんのことを残してくださった。


身内への感謝の言葉と

それを言葉で伝えること。



人間に生まれた以上、

いつか最期がやってくる。

これに例外はない。


最期の脈を取らせていただいたことに感謝し、

これからの人生と

医者としての取り組み方を

改めて考え直そうと思った。



長い間、頼りにしてくださり、

本当にありがとうございました。


この日を決して忘れません。