「~を生きる」とは | ♪ちひろの日記 with…♪

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♪CRPS type1(=RSD)と甲状腺がん。
二つの病と向き合い続けた記録です。結構壮絶だったと思うけど、振り返れば宝物とも思える日々☆彡
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こんにちは

またまたお久しぶりですニコニコ

 

正直、前記事を書いた頃は、心身共に疲弊していて余裕が無かったなあ・・と今、思い返しています。

 

その後、私には珍しく、

「不眠、体調不良のため仕事上の『とある負荷^^;』から外して欲しい」と、外来医長に申し出て配慮していただき、

 

元気を取り戻してきました合格

 

 

ゴールデンウィークの藤まつり

 

・・で、今日のタイトルです。

 

2月に書いた記事を読み返しながら、

リハビリ終了後の自分のペインについて

あらためて思いを馳せていました。

 

 

そして

 

私は、両親のもとに生まれ

大学教授と薬剤師のお嬢ちゃんとして生き

小中高大学生として生き

養護教諭として生き

妻・母として生き

 

怪我や病気をきっかけに

CRPS・甲状腺がん当事者として生き

 

ペインリハビリテーションを生き

ペインクリニックを生き

 

 

・・さて今、

これから何を生きようかと、

ぽつんと佇んでいるんじゃないかな、と気付きました。

 

 

負荷がかかると痛みが増すという事はあるにせよ

日常生活でのの障害はほぼ無い今。

 

CRPS発症してからの約15年を振り返って

何が一番辛いかというと

 

 

「痛みの強い時期の記憶が抜け落ちている」

・・という事なんです。

 

 

それに気付いたのは

4人きょうだいの下の子二人が

思春期以降に心が辛くなってしまった出来事からでした。

 

子どもの精神科主治医に

小学生時代のエピソードを尋ねられても、

ほぼ思い出せない

 

 

リハビリのことは詳細に綴っているし、

鮮明に覚えているのに、

それ以外の日常生活をほぼ思い出せない

 

・・辛いです。

 

 

この辛さに気づき、リアルタイムで語ることが出来ていたのは

元ペイン主治医の中谷先生だけでした。

 

 

先生は、肯定も否定もせず

ただ「CRPSの痛みは普通の人ならうずくまって動けないレベルです」「我々だって痛みが強いときは痛み以外の記憶は残りません」「自分の記憶に残らなくとも周囲の人はみたにさんの姿をしっかり覚えていますよ」と言って下さってました。

 

その言葉を救いに

 

私は、数週間に一度のペイン受で

「今は見た目何の不自由も無いけれど、ペインと共にある」

という今を生き、受診の度にそれを肯定=強化していただくことで日常生活を乗り切っていたのだと思います。

 

 

でも、それが途絶えて1年以上が過ぎました。

 

 

そして、

ずっと自責の念と共に見守ってきた子ども達も

元気を取り戻し

無事、親以外に共に生きたい人と出会い、

家から巣立っていきました。

 

ふと我に返り

さて、これからの自分は、

・・って立ち止まっている感じです。

 

 

 

 

・・実はこの前ね

大好きな中島みゆきさんのライブに行って

そこでの語りに胸を打たれたんです。

 

「私は、先案じばかりして、今を見失いがち」

 

私もまさにそれだったのかなぁと・・。

 

過去への憧憬と

未来への不安に潰されて

今を見ることが出来なかった。

 

 

 

 

脱線しちゃったね。

 

今日のタイトル

「~を生きる」とは。

 

 

例えば、自己紹介で

「私は○○と申します」と名前を名乗ったとして

次に、「私は△△です」と続ける時、

 

△に入る言葉が

「~を生きる」という事になると思うんだけれど。

私は、もう、CRPS関連の言葉がそこに入らなくなったのかなぁって思うんです。

 

 

闘病まっただ中だった頃

CRPSから回復した人の記録がまったく見つからない、と嘆いていたけれど

 

もしかしたら、

それは、PAINを生きることから卒業した(=だからもう痛みを綴らない)という事だったのかもしれないな、と、思うようになりました。

 

 

 

で、じゃあ、私が今、何を生きているのかというと

 

お酒が好きで、夫との居酒屋が好きで

医師事務作業補助者として医師をこよなく愛し

中島みゆきさんを愛してやまない、

子どもが4人成人して、孫が2人いる54歳おばちゃん・・

 

 

・・を生きている、って感じかな・・べーっだ!