言われたその瞬間は、それほどでもなくても
時間が経つにつれて思い起こすたびに苦しくなる言葉ってあるよね。
きっと、言われたその時は
自分を守るために感情がフリーズしていて。
でも、心の中に澱のように溜まっていて
いつまで経っても消えなくて
何かあるごとにかき乱されて苦しくなる、っていう感じ。
私にとって、
「リハビリに依存している」という言葉が、それです。
ずーっとここにも書けずにいたけれど
「臨床の造形」の原稿にも書いてしまったことだし、もう時効だろうし←
ちょっと綴ってみようかなと。
・・確か、リハビリが長期に及んで
標準算定日数を大幅に超えていたある日の帰り際
PTさんと、今後のリハの継続をどうするか、みたいな話題になった時でした。
前後の言葉は覚えていないけれど
「・・・みたにさんがリハビリに依存している、っていう意見もスタッフの中にあるんですよね」
って。
その瞬間は、たぶん
「ですよねー」
みたいな返事をしたような気がします。(覚えてない)
その場はそれっきりでした。
その後、当面リハ継続という流れになったので、PT.さんが反論して守ってくれたのだと思っています。とても嬉しかったです。
ただ、依存という言葉の破壊力はすごくて
後からじわじわ効いてきて。
表現は変かもしれないけど、
「患者としての矜持」というか、プライドというか・・・が
ガラガラと音を立てて崩れていくような気がしました。
いつも笑顔で出迎えてくれるスタッフたちを見ても「依存してると言った人がこの中にいる」という怖さを感じるようになりました。
リハ卒業直前の「私はもう大丈夫です」という言葉の中には、
大丈夫だから、もういいから、(ほっといて)、という気持ちあったのかもしれません。
(もちろん、9割9分は、本当に、もうリハビリの力を借りなくても生きていけるという自信です。念のため。)
・・・・・・・・・・・
その後、本の出版なんかもあったりしたけれど。
いただいた感想の中にも
同様の厳しい指摘が少なからずありました。
そんなこんなで、気持ちがこじれてしまい、
リハ卒業後、不調で不安な時に元担当さんに頼りたいと思っても
もう頼りたくない、依存なんかしてない、と、妙な意地を張ってしまうようになった、、、ような気がしています。
足の調子以外の連絡(原稿の感想等)は普通に出来るのに、ね。
我ながらめんどくさい奴だ・・・(^_^;