はじめまして!自己紹介 | 不登校ママの歩き方 365共育カウンセリング&コーチング「テトワ」

不登校ママの歩き方 365共育カウンセリング&コーチング「テトワ」

365日安心して親もこどもも成長できますように。
◇現役スクールカウンセラー7年目(小中高)
→約3000名のカウンセリング実績
◇私もこどもも優しく認められるようになるヒントを発信
◇共育カウンセリング&コーチング講座「テトワ」主宰

 

 

こんにちはおねがい

365共育カウンセリング&コーチング「テトワ」主催のnaoponです🧡



(娘が描いてくれた♡)

 

 

このブログに辿りついてくださり、ありがとうございます。

ご縁に感謝です♡ご縁で人生が進んでいっています♡

 

 

はじめまして。なおぽんと言います。

 

 

 

 

現在、こどもの可能性が開花する共育カウンセリング&コーチング「テトワ」を主宰しています。

テトワの由来についてはこちら↓

 

 






【これまでの経歴】 山あり谷ありで読むのが苦しくなりそうだったら、さら~っと流し読みでお願いします。

①専門商社(正社員OL)時代  

22〜24歳頃

新卒で、専門商社の総合職として採用される。営業希望であったが、配属先はなんと、システム管理課。

同期の中で1人その部署に配属。正社員としてこの会社にずっと務めることが正義だと思い働き始める。

会話のない職場、無言の圧力、やりがいを感じられない業務内容。さらに通勤に実家から1時間半。アナログ人間の私は完全不適応だったww

2つ上の姉は、大手の会社員として勤務し、私にとって憧れのキャリアウーマンにうつる。「お客さんが~」とか会社の話で盛り上がるが、私は「今日何したっけ?」と虚しくなる。同級生の華やかな会社員生活を知り、さらに無力感↓

この頃は、完全に他人の評価が自分の評価だった。

2年務めたが、この中で1年ちょっとで3か月の休職も体験。ある日降りないといけない駅で降りられず・・・

病院で抗うつ薬も飲んでいました。臨床心理士のカウンセリングも受けました。真っ暗なトンネルにいるような感覚だった。

その後、会社復帰する中で、「私の人生このままで終わりたくない。もっと人と関わり続けられる死ぬまで現役のお仕事がしたい。人と繋がるためにお仕事がしたい」と、退職を決意。

 臨床心理士になるための大学院を目指す。親は反対してたと思う。

 

②スポーツジムの受付(フリーター)時代 

25歳頃

心理学を勉強したことがなく、農学部だった私は分からないことだらけ。1年間、塾を利用しながら、平日は週40時間お仕事をしていた。ここで、営業向いてないやんって気づく。入会者数が下位ランク。お客さんと一緒にヨガしたり、トレーニングしたりは楽しかった♡何とか、大学院に受かり、晴れて4月から学生へ。

 

③2年間の大学院時代

25歳から26歳頃

毎日福祉、教育、医療機関へ実習に行きレポート作成の日々。入学したばかりは、産業分野でのカウンセラーをしたいと思ってた。実習の中で小学校での経験(あるこどもとの出会い)が、私が今教育分野に携わる原点になった。こどもの変化は大人1人の力ではなく、こども本来の力と集団の力があってこそだと痛感。こどもの持つ力はすごい!!と。

 

毎日毎日、目の前の出来事や人との関わりの中で、どう自分が感じたのかなどをレポートに書いて提出。今まで感じていることがばれないように、にこにこ仮面で蓋をして生きてきたからか、今振り返ると、すごく苦しかった。自分の人生の棚卸しをしっかりできていなかった。目の前のひとに向き合うことは自分自身ととことん向き合わないとできないと痛感。正直、自分に向き合うことから逃げ出したかった。

 

 

③福祉関係のお仕事

27歳頃

大学院卒業後、福祉分野に勤めるが、OL時代の苦しい毎日の感覚になる。人は怖いし、お仕事自信ないし、実家で生活していたので、親への申し訳なさなど、何だか常に苦しかった。何だかまた日常生活も回らない。迫りくる奨学金(200万)の引き落としや様々な税金などに、働かないとと焦りだけが先走る。

周りのお友達は結婚出産や、キャリアを積んでいっている。学生になり世間?のレールから離れてしまったけれど、また戻れると信じていたのも束の間、完全に自信喪失ガーン自己否定の毎日。

もう家族にも迷惑かけて生きてる意味ないのかもと。当時付き合っていた彼に結婚したいと伝えてもNOでした。そりゃそうだ。

カウンセラーになって、肩書きがあれば生きていけると信じてた。今思うと薄っぺらすぎる。地盤ができてないのに、ペタペタ外装だけつけてた。メッキはすぐにはがれていく。


④どん底で見つけた離島での住み込みアルバイト3ヶ月

27歳後半頃、行ったことのない小さな島へ。片道切符だけで。とにかく毎日朝から晩まで働いた。知り合いもいない。島の人との繋がりや、家族、地元のお友達、彼との繋がりが愛おしくなる。お金も肩書きもない私だけど、大事な人がたくさんいることに気付く。自分が勝手に距離を置いていただけだった。もう一度がんばろうと、島で毎日業務終了後、大阪で働くために就活をした。履歴書や職務経歴書を書いて、面接日が決まったから、帰阪することに。この島での人との出会いも宝物です。

肩書きもお金も無くても、動ける身体だけで何とかなると体感。


⑤A通信制高校の先生

28歳頃〜30歳頃

 大学の時に取得していた理科の教員免許を使って、通信制高校で先生をした。全日制の高校から転学してくる生徒や、小中と色んなしんどい経験をしてきた生徒や、一度高校を辞めた生徒や、社会人を経てから高卒をとるために通う方など幅広い人と出会いました。ここでの出会いで、レールを外れたと思っていた自分の概念が変わりました。レールなんてただの思い込みでした。キラキラ成長していく目の前の生徒たちに、可能性って誰にも備わってると思わされました。生徒の可能性を信じていくうちに、私自身の可能性も信じられるように。

その頃、プロポーズを受け結婚へ。夫婦でフルマラソンも挑戦できた。2人でいるとさらに可能性が開花してきた。

2年勤めたA通信制高校から、新しく立ち上げるというB通信制高校へ転職。


⑥B通信制高校の立ち上げメンバー

30歳〜31歳

今では大きくなった全国規模の通信制高校の大阪立ち上げメンバーに。終わりのない業務量。聞ける上司はそばにいない。電話で聞きたいが忙しくタイムラグばかり。現場は生徒保護者からクレームばかり。毎日クレーム対応。クレームから業務全体像を把握するような感じ。全身じんましんが出る。喫煙所そばのデスクで、たばこの匂いに苦しむ。毎日疲弊するが、クレーム対応していた生徒たちと心が通う瞬間が増える。

娘の妊娠発覚。育休産休制度があるが、また戻りたい現場ではないと決断し、退職。生徒たちからはたくさんベビーグッズや優しい言葉をもらいました。


⑦妊娠中に、臨床心理士試験勉強。

臨床心理士は大学院修了後受けたけど落ちた。娘出産後も働けたらと必死に勉強。からだはしんどいけど、何だか娘のおかげかパワーが出る。

産後3ヶ月に受験。合格!!


⑧スクールカウンセラー

32歳から現在。

公立小中高と通信制高校にて、生徒・保護者・教員などのカウンセリング/コンサルテーションをしています。

のべ2000人以上の方のカウンセリング。

スクールカウンセラーと並行して、不登校支援事業の通所施設のコーディネーターとして勤めていたこともあります。



現在2人の子育てとお仕事を楽しんでいます。





最後までお読みいただき、ありがとうございますニコニコ