夜、元夫が早く眠るように
お腹いっぱい食べさせ
ビールも好きなだけ飲ませるようにしました。



でも元夫は自分のために甲斐甲斐しく世話を焼いていると思ってか
ビールの本数は増えるばかり


そして、お酒のせいでなかなかイカナイガーンガーン

密着度は増すばかり…悪循環ショボーン



筋腫があると思うと痛みも強く感じるようになってきて
嫌いなだけではなく私を傷つける憎い相手にしか思えなくなっていました。




元夫は万人ウケする外見で
家族で一緒にいる時

公園でしか会わないママ友とか学生の頃の級友にバッタリ会うと必ず
「ステキなご主人ね!」とほめられたけれど
見た目だけです、と答えても謙遜と受け取られていました。

嗜好品のせいでクサいのにショボーン

元夫は好物のお肉におろしにんにくを付けて食べるのがこの頃ハマっており
私は滅多ににんにくを食べることはなかったので
ひとりが食べて、それで迎える夜の時間は拷問でした。



日に日に別れたい気持ちが強くなっていき
離婚の準備をしなければいけないと思いつつ

手に職もなく、実際パートタイマーでスーパーのレジ係をしているだけ。

これがフルタイムになったとしても正社員の子のお給料を聞くと子ども二人抱えて暮らせるとは思えない


だったら我慢して子どもが大きくなるまで一緒に暮らすしかないのか


どうやって我慢すれば死ぬまで一緒にいられるのかも考えていました。





しかし、無反応で
その度に痛い!と言う私にだんだん触れなくなり
帰って来ない日が多くなりました。


浮気して離婚なら、相手からも慰謝料とれるし絶対良いと思っていた甘い考えの私。


その時の私は
あんなに待ち望んでいた夫の浮気なのに


生活できなくなるかもしれない不安から
帰ってきたら優しくしようとか
お小遣いを増額しようとかも考えて


だけど無理だ!とか
やっぱり一緒にいたいかも とか


気持ちは上がったり下がったりでしたが
当時低学年だった娘たちが
不穏な私の態度に一生懸命おてがみを書いてくれて

いつもありがとうニコ
おかあさん大すきラブ
いっしょにあそぼうねウインク


と、何枚もテーブルの上に置いてくれて
眠っている姿を見て
次に進まないといけないと自分を励ます夜も増えていきました。



そして元夫は外に出られない日があった時
娘たちも家にいるのに
子ども部屋にいけと私たちを追いやり
居間で声のトーンを落とすこともせず
愛人に電話をかけ、愛を囁き続けるという行動を取りました。



その頃20代後半でしたが
毎月の生理が二週間くらい続くようになっていて
体調も気分もスッキリする時がありませんでした。