兄夫婦と実母から

実母の介護費用を搾取されようとしています。



兄夫婦は介護費用を払わないどころか

毎月デイサービス利用料の半額を兄に送金していたのですが

そのお金も兄の借金返済に当てられていました。



デイサービスから半年分の利用料滞納で支払いを迫られて、私にそのお金を出すように言われましたが

3ヶ月前に、どうしてもすぐに現金がいると言われ

すでに五万円を貸しました。



月末には返すと言いながら一円も返ってきていません。

その上デイサービス利用料の滞納と使い込み。



その前に、60過ぎのおじさんが五万円貸してほしいって…そのことに私は焦って貸してしまった失敗。


私はずっとこの毒家族から搾取され続けてきています。



私の老後のお金をこの毒家族に使いたくない。



悲しすぎて話がまとまらない…




元夫からの養育費は意外にも長娘次娘それぞれ二十歳になるまで支払いは続き、二十歳の誕生月に支払いはピッタリ止まりました札束



延滞金何%とか取り決めていたけれど結果的にそれは無しになってしまったのと
支払いが抜ける月も何度もありました。


支払いが再開されて初めの一年は滞ることもありませんでしたが、二年目から入金される日にちが遅れたり入金されなかったりし始め
その度に元夫に電話をすると、一応ごめんと言葉の謝罪があって数日後入金が確認することができました。

それも三年目になる頃には催促の電話をした後も入金が確認できない時もあり
それでも元夫にはあまり強く言うと逆ギレして払わなくなると知っていたので、払うだけマシだと思い
完全に払わなくなったらまた調停しようと思ってました。


長娘も次娘も高校が私立だったのでこの再開された養育費がとても助かりました。



…
つかず離れずで付き合っていたa子が家族で名古屋に戻って生活するようになり、
a子の子ども2人も遊びに来るようになりました。
数年間、娘たちにとa子が送ってくれていた一万円の有り難さを感じながらそれも終わりにしてもらいました。あの元夫が兄で、元義父母が親とは思えない尊い人です。


a子から元夫とあやちゃんが離婚したことを聞きました。
あやちゃんが一人で出ていき、子ども三人を連れて元夫はまた義実家に帰ったそうです。
元夫が長距離ドライバーとして家を空けていた間、あやちゃんも子どもを家に置いたまま遊びに出掛けてネグレクト状態で見つかったらしいです。

あやちゃんには元夫のことで苦労して欲しかったけど、逆に元夫が全部背負った状態でした。
元夫にはすぐに彼女ができると考えられるし、子育ては義父母に丸投げなのも手に取るようにわかりました。
a子に義母は、子育て(孫)大変だから助けてほしいと何度か電話が来たそうですが、a子は『お兄ちゃんを助けて家に入れたのはお母さんだから私は知らない。』と言って突っぱねたそうです。
長男信者の義母にはそれで当たり前。
本当にa子は尊い人です。




…
…
20代を子育てと貧乏生活をしていた反動で、仕事に慣れた30代になって私はよく遊びに行くようになりました。

平日、夜ご飯を友達と食べに出かけていたある日
次娘から携帯に電話があり
元義母から家に電話がかかってきたと言い

『もしもーし、おばあちゃんだよ、元気?あのね、今、お嫁さんとかいないからお姉ちゃんと遊びにおいで、お母さんも来ていいよ。』

と言ったそうです。
〝遊びに来い?〟
全くふざけた話だわ。

その時一緒にいた友達も次娘からの電話に『聞きしに勝る姑だね。』と呆れていました。

その頃の友達はSNSのバツイチの集まりで仲良くなった人が多かったので、私が同居していた頃の話をすると〝ちょっと信じられない、話を盛ってるのでは?〟と思われていましたが、この電話で義父母の話は事実というのをわかってもらえました。


すぐに元夫に電話をして、義母から言われたセリフと、2度と掛けてこないようにも強く言うと
元夫はやっぱり〝ごめん〟と言い、年々話が通じなくなってきたんだと言ったけど
元々話なんて通じない人なのを気づかなかったのかと腹立たしく思いました。



それから長娘が二十歳になる数ヶ月前のある夜、なぜか私の携帯電話に直接元義母から電話がかかってきました。

『もしもーし、◯◯(自分の名前)よ、わかる?あのね、長娘ももう二十歳になるでしょ、いつまでも親からお金もらってないで自分でやっていくようにって思って電話したんだよ。』

私は頭に血が上り
「あんたから電話してくるなんていい根性してるね!しかもその話◯◯(元夫)から言えって言われたの!?」



と、私はどうして携帯番号を知っているのかとかどうゆうつもりなのかと言うのを捲し立ててしまいました

途中で義母から変な感覚で元夫に代わり電話口で
『え?にい那?何?』

となり、今帰ってきたら義母が電話しながら騒いでるから代わったと言いました。


結局全部義母が勝手にやったことらしく
毎月の養育費の振込を義母がやっていて
もうそろそろやめていい頃だと思って、その感情のまま私に電話してきたんだそうでした。



振込なんて自動送付を一回届け出るだけなのに毎回義母から振込まれていたなんて。だから携帯番号を知っていたのと、だからたまに振り込まれなかったりしたんだなぁ、故意…だったのかなぁ…とも思いました。




この後も数回、全然懲りない義母はうちの電話番の次娘に電話をしてきては遊びに来いと言っていたみたいですが
それを私に言うとまた揉めるので言わなかったとだいぶ時間が経ってから次娘から聞きました。



…
今、元夫と元義母たちがどうしているのかは知りません。
a子も話題にしないので聞くこともしなくなりました。


ただ、今の職場関係の人と今まで住んだことのある住所の話をしていたら、元夫とあやちゃんの子どもと同級生の親だということがわかり、世間の狭さ、悪いことはできない怖さを感じました。

サラッと関係を言ったので深く聞かれることもありませんが、もう、元夫とは何の関係ももちたくありません。


完了


他人から聞かれる度に『養育費はもらってない。』と答えていた私。
聞かれなくちゃ、答えなくちゃいけないの?
大げさに『子どもの権利』『あなたが有責?』なども言われ
ただ、わかっていたのはもらっていてもいなくても聞く人はシングルマザーのことが大嫌い。
そして言葉に詰まる私を見て満足するのだ。


彼女たちは〝うちもダンナの仕事が忙しいから私ひとりで子育ても家のこともやってるからにい那さんと同じよ〜〟と、専業主婦ほどアピールしてきた。

仕事してないんだよね?同じなわけないよね
それを言うと嬉しそうに〝そんな生活変わらないって本当に〟と言ってドヤ顔。



長娘は現在離婚して子どもを3人育てている。
学生時代の友人に〝仕事が好きなんだねーそんなに頑張らなくていいんじゃない?〟と言われたらしい。
このやりとりは昔も今も変わらないのね。



…
離婚する時、せっかく近所のママ友から公正証書の重要性を教えてもらったのに
自腹を切って(元夫と折半)養育費に関する公正証書をつくったのに作ったままにしていました。


いつか時間ができたら養育費の強制執行を必ずしようと思っているうちに時間が経ってしまい、でも忘れたことはありませんでした。
今更この公正証書に効力がある?と思い、色々調べてみると『一定期間返済や請求がなければ「時効」によって支払義務がなくなる可能性があります。 または10年が目安とされるケースがありますが、10年以上放置していれば必ず支払義務が消えるわけではありません。』これを見て
あと少しで10年経っちゃう!とやる気がでてきました。


今の仕事ならある程度自分の都合で休暇がとれる。
それまでは休暇を取るのが難しかったのと、ほとんど書いていないけど、元夫からDVにあっていたので関わりをもつことが怖かったのもあります。
でも公証役場が間に入ってくれるなら怖くありません、数年ぶりに公証役場に向かいました。


…
細かいことは忘れてしまいましたが、まずは強制執行を申し立てました。
申し立てをして、元夫に申立書を送付、それから話し合いだったと思います。

何度目かに伺ったときに言われたのが、公正証書は有効ですが子どもふたりで毎月10万円の養育費は多いです。あちらには小さい子どもが3人いるようですし、あなたの今の収入を考えたらそこまで金額あげなくてもいいのでは?

と言われました。昔のことだから言われて当たり前のこと?私は公証人の発言にびっくりして『転職とか頑張って今の仕事をしているのに、それは減額の理由になるわけですか?』『離婚する時に養育費以外は一円も払わないと脅された。』『(元夫が)年収800万を超えてることは知ってますよ。(a子より自慢してきたというのを聞いた)』

というと公証人は〝知ってたのか〟みたいな感じになりました。誰のための強制執行なのかというのと、男の味方をする感じに思いました。
何しろ見た目で人をごまかせることを元夫はずっとわかっているのですから。

その次に公証役場に行った時、事務員とみられる女性が私のそばに来て『気をつけてください、奥様(あやちゃん)があなたに仕返しをすると先日ここで騒いだんです。』その女性は私のことをとても心配してくれましたが最後に『私から聞いたのは内緒にしてください。』といわれました。

敵か味方かというなら味方だけど、内緒にすることを話すのはダメかなと思いましたが、よっぽどあやちゃんの騒ぎ方が大きかったんだろうな、多分コロスとか言ったんだろうなと思い、公正証書を作っておいてよかったと思いました。



それにしても仕返しか…私は何もしてないし。
あやちゃんに慰謝料も請求したこともない。
ただ、あやちゃんには元夫とずっと一緒にいて苦労して欲しいとだけ思っていました。



…
…
…
こんな感じで公証役場でのやりとりは長く続きましたが、結果子ども1人4万円で二十歳まで。当分2人で8万円の決定がされました。
もちろん支払われなくなった時からの金額になるのでそれなりに金額も大きくなるとは思っていたけど
元夫のことだからまた払わなくなるだろうと予測はしていました。

本当にとても疲れたし、子どもの権利とばかり言われるけど、何度でもやる気はありますが、実際にはとても厳しい時間でした。


思い出してもうろ覚えばかりですが
離婚後に養育費を払ってもらえることになったお話でした。


せっかく介護の勉強をしたので
そのまま流れに乗って4件は高齢者向けの施設関係で、1件は訳ありの方が入る福祉施設、あと1件は事務職員の仕事を受けることにしました。

職業訓練校に入る前の事務のパートで残業込みの手取りで17万だったので、最低でも5万円は増やしたいと思って希望先を選びました。

2月に入ってすぐ新聞の求人で見た事務員の面接に行くと新聞では月給が25万だったけど、面接で私が子どもを扶養に入れたいというと今までそんな人はいなかったので難しいです、とか
月給なのに1日休むと給料から8千円引きます、など言われ、『うちはまだ何人か面接するからまたこちらから連絡しますね。』と早々に面接は終わり、その後なんの連絡もなく、私もここで働く気はなかったので連絡しないまま終わりました。


高齢者向けの施設も2月中に3件面接を受け、幸い3件とも合格をもらいましたが、どの施設も1週間以内に4月から働くという承諾書を提出するようになっていて、その中で条件が良かった施設にだけ承諾書を提出しようと思っていたら担任から
今後の職業訓練校の卒業生のことを考えて、承諾したら必ずそこで働くように言われ、残りの高齢者施設と福祉施設は準公務員扱いだったので試験も受けずに終わることはできず、3件とも辞退しました。


その後の結果、幸運なことにどちらも合格して、ひとつは断ることになってしまったのですが
自分でもたくさんの希望者の中から選んでもらえたことと、これで支払われない養育費の心配をしないで娘たちと暮らすことができると安堵しました。


どこに就職したかは書きませんが
とりあえず今までより安定した生活が出来、数年後もらっていた母子手当も給料が上がって支給停止になり、元々望んでいた自分の稼ぎだけで暮らせるようになりました。


就職先の施設は
職業訓練校から3人が受験して、3人とも合格。
ひとりは私と同じシングルのママで、もうひとりは〝明るいさとちゃん〟でした。

クラス30人のうち、7人が看護学校、あとは民間の施設と、福祉に関係のない仕事をすることになり30人全員で3月に職業訓練校を卒業しました。


私の就職先での配属が、なんとなく離れたかったさとちゃんと同じ場所で、シングルママは違う場所でした。
さとちゃんの暴走は就職先でも激しくて
お年寄りのお世話をするにも、自分の好き嫌いで全部通して、施設の先輩達もさとちゃんに対してはお手上げ状態なのを見て
さとちゃんと離れたい一心でほかの場所での仕事を希望し、異動が叶いさとちゃんと離れることができてホッとしたのを覚えています。

私から絡んだことはないつもりでしたが、なぜかさとちゃんは私が気に入らなかったようで
人伝に聞いた話では〝あんな子(私のこと)なのに結婚したことがあって、子どもがふたりもいて腹が立つ〟らしいです。
あんな子ってどんなのかわかりませんが、私が何かしたわけではなさそうなのでスルーしていたのが余計に気に障ったようでした。



私は自分の休暇を使って一番やりたかったことを始めました。


  ※25年くらい前の話です※

現在の職業訓練校やハローワークのことは全く知らないので私の話とかみ合わないことも多いかもしれません驚き


…
私が通っていたのは介護系のクラス。

世の中就職難で、今までそれを仕事にするなんて考えなかった人たちも介護を仕事にする流れが出来つつある年代でした。
年齢は10代から60代、仕事を探す全ての年齢層の人がいました。
高学歴の新卒でも正社員採用は少なく、ここに高卒・30代・シングル・子どもふたり、なんて負けの要素しかない私。

ただ、世間一般正社員になれない時代だからこそ私でもねじ込めるスキマがあるのでは?という気持ちがありました。


クラスでは同じことを学んで、取れる資格はみんな一緒だけど、前職は一人一人違うので毎月の失業保険金の額にも幅があり、
入学直後に担任からそのような質問はお互いしないように、と言われていたにも関わらず
自称〝明るいさとちゃん〟(ひとつ年上)がおとなしめな人に金額を聞いてまわっていました。
私にも来たので、あなたはいくら貰ってるの?と返すと『私ずっと同じ仕事を15年やってきたから。』と、答えにならない返答をして席に戻りました。

私の周りの人たちは性格が濃いタイプが多いです。




10月から3月の半年間、個性の強い30人で過ごした学生としての時間はそれなりに楽しく
学割が使えたので、堪能した人もいたみたいですが私は通学定期券と映画代に使うくらいでした。

さとちゃんは、認められない自家用車で通学し、コインパーキング代をケチり
近くのマクドナルドに止めて、度重なる無断駐車に貼り紙で優しく注意されたのを逆恨みして『一台くらいよくない⁈マックなんてみんな行くのやめた方がいいよ!』としばらく吠えていましたが、彼女以外マクドナルドに悪い印象を受けたものはいませんでした。


…
半年の中で、バツイチで子どもを育てている数人と仲良くなり、プライベートでも子どもも一緒に遊んだりして
4月からどうするかみんなでよく話をしていました。

介護系の資格と言っても
それで就職が有利になるようなものでもなく
職業訓練校からの斡旋は一切無かったので
年明けには自分たちで就職活動をする人もちらほら出だしました。


このまま就職はしないで看護学校に進むことにした数人が入学試験を受けるために予備校に通い出したり、私も4月からどうしようか考えながらハローワークに行ったり新聞の求人欄を眺めていました。

自分がやりたくて、仕事だけで暮らしていけそうな仕事が6件みつかり、多分書類で落とされることがほとんどだと思いとりあえず全部受けてみることにしました。