せっかく介護の勉強をしたので
そのまま流れに乗って4件は高齢者向けの施設関係で、1件は訳ありの方が入る福祉施設、あと1件は事務職員の仕事を受けることにしました。

職業訓練校に入る前の事務のパートで残業込みの手取りで17万だったので、最低でも5万円は増やしたいと思って希望先を選びました。

2月に入ってすぐ新聞の求人で見た事務員の面接に行くと新聞では月給が25万だったけど、面接で私が子どもを扶養に入れたいというと今までそんな人はいなかったので難しいです、とか
月給なのに1日休むと給料から8千円引きます、など言われ、『うちはまだ何人か面接するからまたこちらから連絡しますね。』と早々に面接は終わり、その後なんの連絡もなく、私もここで働く気はなかったので連絡しないまま終わりました。


高齢者向けの施設も2月中に3件面接を受け、幸い3件とも合格をもらいましたが、どの施設も1週間以内に4月から働くという承諾書を提出するようになっていて、その中で条件が良かった施設にだけ承諾書を提出しようと思っていたら担任から
今後の職業訓練校の卒業生のことを考えて、承諾したら必ずそこで働くように言われ、残りの高齢者施設と福祉施設は準公務員扱いだったので試験も受けずに終わることはできず、3件とも辞退しました。


その後の結果、幸運なことにどちらも合格して、ひとつは断ることになってしまったのですが
自分でもたくさんの希望者の中から選んでもらえたことと、これで支払われない養育費の心配をしないで娘たちと暮らすことができると安堵しました。


どこに就職したかは書きませんが
とりあえず今までより安定した生活が出来、数年後もらっていた母子手当も給料が上がって支給停止になり、元々望んでいた自分の稼ぎだけで暮らせるようになりました。


就職先の施設は
職業訓練校から3人が受験して、3人とも合格。
ひとりは私と同じシングルのママで、もうひとりは〝明るいさとちゃん〟でした。

クラス30人のうち、7人が看護学校、あとは民間の施設と、福祉に関係のない仕事をすることになり30人全員で3月に職業訓練校を卒業しました。


私の就職先での配属が、なんとなく離れたかったさとちゃんと同じ場所で、シングルママは違う場所でした。
さとちゃんの暴走は就職先でも激しくて
お年寄りのお世話をするにも、自分の好き嫌いで全部通して、施設の先輩達もさとちゃんに対してはお手上げ状態なのを見て
さとちゃんと離れたい一心でほかの場所での仕事を希望し、異動が叶いさとちゃんと離れることができてホッとしたのを覚えています。

私から絡んだことはないつもりでしたが、なぜかさとちゃんは私が気に入らなかったようで
人伝に聞いた話では〝あんな子(私のこと)なのに結婚したことがあって、子どもがふたりもいて腹が立つ〟らしいです。
あんな子ってどんなのかわかりませんが、私が何かしたわけではなさそうなのでスルーしていたのが余計に気に障ったようでした。



私は自分の休暇を使って一番やりたかったことを始めました。


  ※25年くらい前の話です※

現在の職業訓練校やハローワークのことは全く知らないので私の話とかみ合わないことも多いかもしれません驚き


私が通っていたのは介護系のクラス。

世の中就職難で、今までそれを仕事にするなんて考えなかった人たちも介護を仕事にする流れが出来つつある年代でした。
年齢は10代から60代、仕事を探す全ての年齢層の人がいました。
高学歴の新卒でも正社員採用は少なく、ここに高卒・30代・シングル・子どもふたり、なんて負けの要素しかない私。

ただ、世間一般正社員になれない時代だからこそ私でもねじ込めるスキマがあるのでは?という気持ちがありました。


クラスでは同じことを学んで、取れる資格はみんな一緒だけど、前職は一人一人違うので毎月の失業保険金の額にも幅があり、
入学直後に担任からそのような質問はお互いしないように、と言われていたにも関わらず
自称〝明るいさとちゃん〟(ひとつ年上)がおとなしめな人に金額を聞いてまわっていました。
私にも来たので、あなたはいくら貰ってるの?と返すと『私ずっと同じ仕事を15年やってきたから。』と、答えにならない返答をして席に戻りました。

私の周りの人たちは性格が濃いタイプが多いです。




10月から3月の半年間、個性の強い30人で過ごした学生としての時間はそれなりに楽しく
学割が使えたので、堪能した人もいたみたいですが私は通学定期券と映画代に使うくらいでした。

さとちゃんは、認められない自家用車で通学し、コインパーキング代をケチり
近くのマクドナルドに止めて、度重なる無断駐車に貼り紙で優しく注意されたのを逆恨みして『一台くらいよくない⁈マックなんてみんな行くのやめた方がいいよ!』としばらく吠えていましたが、彼女以外マクドナルドに悪い印象を受けたものはいませんでした。


半年の中で、バツイチで子どもを育てている数人と仲良くなり、プライベートでも子どもも一緒に遊んだりして
4月からどうするかみんなでよく話をしていました。

介護系の資格と言っても
それで就職が有利になるようなものでもなく
職業訓練校からの斡旋は一切無かったので
年明けには自分たちで就職活動をする人もちらほら出だしました。


このまま就職はしないで看護学校に進むことにした数人が入学試験を受けるために予備校に通い出したり、私も4月からどうしようか考えながらハローワークに行ったり新聞の求人欄を眺めていました。

自分がやりたくて、仕事だけで暮らしていけそうな仕事が6件みつかり、多分書類で落とされることがほとんどだと思いとりあえず全部受けてみることにしました。



A社を急遽辞めることになったのは、今回の経理部長の件があったからなのですが
武藤さんの、今で言うマウントが限界だったことと、もう三十路を超えていたので一歳でも若いうちに転職しないとパートで働いている時間がもったいないともずっと思っていました。


武藤さんは私と同じパートでしたが給与形態は全く違い月給式でした。毎週水曜日に休みがちだったり、退勤時間が15時だったりするのは経理部長の一存で決められていたそうです。
夫婦の夜の話を真剣にすればセクハラではないと信じている経理部長。教養として聞けば、私の約1.5倍、拘束時間を考えたらそれ以上の収入…正直羨ましい…⁈でも、エロ話(夜の話)を聞かせたい相手は私ではない。その前に、私に経理の仕事は無理でした真顔


退職の手続きをしてくれた常務にダメ元で〝会社都合での退社〟と言うことにしてほしいと言うと、二つ返事で承諾してくれました。

次の仕事の目星はついているのか問われ、何もないと答えると『次が見つかるまでここにいるか?あーもう辞めるの辞めるか?』と言い、にい那さんが辞めるのは僕にとっては痛手だよ、などと労ってくれてそれは素直に嬉しかったです。


しばらくして、A社の軽作業の部署にいる福田さんから
『経理部と営業部にそれぞれ新しい事務員が来たよ、経理部は大卒だけど、営業部は顔だけの高卒。』と言い「また履歴書見たの?」と聞くと
『常務が見せてくれた。』と、相も変わらずのA社。
次の仕事は年齢的にうまく見つけないと後がない、と思いながらハローワークに向かいました。


私がブルーカラーの仕事を考えていたのは、実家を含め父方も母方も親戚関係ほとんど肉体労働系の仕事だったのでなじみがありました。
勉強が苦手で体力もないから選べるところは限られている。

働く条件の第一希望は金銭面の自立だったので、希望どおりの働き口は無いに等しく、現実は本当に厳しいものでした。

ハローワークの職員はイライラしていてあまり私の話を聞いてくれません…

初めてハローワークに行き、怒られながら(そう感じた)離職票にぐるぐるボールペンで色んなところに丸を書かれ、元に何が書いてあるかわからないくらいになって私は離職票を机の上から取り上げました。
その時、壁に貼られた一枚のチラシが目に入り
〝雇用保険をもらいながら勉強しよう!〟みたいなことが書いてあり

詳しく書くと色々あるので流しますが
職業訓練校に雇用保険をもらいながら半年間勉強して資格を取るというものでした。

興味があったのでそれをハローワークの職員に言うと『試験があるんだよ!すごい倍率だから 無理だよ!』と面倒くさそうに言われました。
でも締め切りまで一週間無い!

「ダメ元でいいからこの試験を受けたいんです!」と言うと渋々受付をしてくれて、3日後までに病院の健康診断を受けて提出ということでした。


30人の募集。
試験科目は一般常識と面接。
当日、試験会場に向かうと100人くらいの人であふれかえっていました。



結果は合格して、半年間女性ばかりの職業訓練校に通い、半年後にここから仕事を斡旋してくれるのかと思っていたらそうではありませんでした。



私の態度、性格が
人を陥れたいと思う人の気持ちを助長させることは小学生の頃から自覚していました。

それを治す方法があるのも図書館に通っているうちに知りました。
だけど、治った人をリアルでは知りません。

育った環境を覆すことが可能なのか
我が強いのも優しすぎるのもダメ
どっちに視点を置いても本は出せるんだなぁと
6年生の夏休み、友達と遊べない子どもだったので図書館で本を読み漁りながら矛盾を論えていました。



9時始業のA社。
毎日15分前に出社して簡単な掃除とフロア全員分のお茶を淹れて配り、仕事が始まる。

その日は武藤さんがいないのでいつもより気楽な朝のはずでしたが事務所のオーラが黒く澱んでいました。


常務は毎日9時前に出社して、のんびりとお花に水をあげたり朝から冗談を言ったり…A社で好感の持てる上司は常務だけでした。
A社の駐車場に落ちてる犬のフン問題をどうしたらいいかと雑談になった時「番犬をおく。」と私が言うと『いいね!にい那さんのそうゆう返し僕好きだよ。』
両親とも毒親だったので、父親ほどの男性がこんなに穏やかなことにある意味衝撃を覚えました。


経理部長は毎日判で押したように9時10分に出社してきて、この日も9時10分に黒縁メガネを押さえながら私の前を横切りました。

事務所の一番奥に社長と常務のデスクがあり、その手前に経理部長と武藤さんのデスクがあります。


私のいる営業部は入り口からすぐの左側。
右側に所長と角西部長、田辺部長諸々がおり
パーテーションなどはなく、ワンフロアが事務所でした。

角西部長は早くても10時、出勤しない日もあるので急にお休みなんてないよね⁈など考えて仕事が手につかずパソコンの前に座っていたらいつも以上に尖った角西部長が9時半に出社してきました。


所長と私に〝おはよう〟と言って
そのまま経理部長の前まで行き

『好き勝手ゆうてくれよんな!』と一言


常務、経理部長、角西部長がもみ合い
何か喚きながら経理部長が早足に私に近づき
つかみ掛かろうとしました。


常務が経理部長に落ち着いてと連呼
所長が私にとにかくここから出てと言ったところまで覚えていますが、その後の事は記憶にありません。


翌日の朝、いつも通りに仕事に行くように角西部長から言われていたので出社して掃除と湯茶を淹れていると所長から武藤さんはしばらくお休みすると報告がありました。

9時10分になり、経理部長が出社してきて私の隣の事務員に挨拶をしてそのままデスクに向かいましたが、すぐにこちらに来て大きな声で『昨日は大変申し訳ないことをしました!』と言われ、きちんと返事をすることができない私は「あ、はい、すみません…」と言うと経理部長は何か聞き取れないことを言いながらデスクに戻っていきました。


角西部長はその後事務所に顔を出し『武藤はもう辞めるわ。』と言い笑っていましたが
日を空けず、私もA社を辞めることになりました。


久しぶりにa子からの手紙があり、
元夫に待望の男の子が生まれたことと
義実家を出てから元夫家族は義家族と連絡を取ってない事を知りました。

私が元夫から養育費がゼロになったことを伝えると、翌月から少ないけど娘たちにと一万円を送ってくれました。

それは数年続けてくれて何度か断った時にa子は
私ではなくて長娘と次娘にだからと
父親(元夫)が微塵も見せない愛情を注いでくれました。




元夫が養育費を10万から6万に下げてから半年後、6万円がゼロになりました。


もう一人家族が増えたことと、不服があるなら調停でもしてくださいと手紙には書いてありました。



受け入れるつもりもないけど、仕事を休んで調停をする時間まで無い。

パート代とひとり親家族手当で生活はなんとか出来ていましたが、毎月ギリギリの収入で貯金をすることなど出来ず

これから先の生活を考えると不安しかありません。

仕事が正社員でないことが私の一番の心配事でした。


強制執行承諾文言を付した公正証書を持っている。

ただそれだけで、払う気のない人は払わない。払わなくてもそれ相当の罰がない(当時)。


強制執行がうまくいかない周りのママ友を見て、

自分が稼げればこんな思いをしなくていい。

信用できない人に養育費を払わせる努力をするより、公的な手当を貰わないで生活したいと考えていました。



学歴も、仕事に秀でるスキルも無い。


学歴重視でない仕事。ブルーカラーを狙えばなんとかなる?

だけど転職は出来てもなかなか希望の収入にならない。


でもやってみないとわからない

少し頑張ればなんとかなるかも…

離婚後振り込まれていた養育費は出来る限り手をつけなかったので250万くらいある。


根拠のない自信がまた、私に湧き起こってきました。





角西部長に話したいことがあると言うと

所長も交えて3人で会議室に移動しました。


一通り話し終えたことろで角西部長の顔つきが変わりました。

武藤さんが私に経理部長の言ってることを話したのはその話を面白がっているからだと

それを聞いて普通に仕事続けられる方がおかしいだろ?『任しとけ。』と言って会議室を出て行きました。



武藤さんが面白がっていたかはわからないけど

私なら本人に話さない。


武藤さんは子どもが好きではなく、好きでないのは人それぞれなので問題ないけど、

武藤さん夫婦はDINKSで、子どもがいかに必要悪な存在かということを私に説くこともありました。


ご主人の年収は高く、働く必要はないけどここで経理部長の話を聞いているだけでお給料がもらえるから楽。とも言っていました。


高卒だと夜仕事した方が稼げるよ、でも子どもいるから無理ね、いなければよかったのにねと困った顔をして私を見ることもありました。


仕事量と時給が合わず、言われる必要のないことを田辺部長や経理部長に言われ、確かに角西部長の言うとおり武藤さんは面白がっているかもしれないと思いました。


A社で働き出してお昼を2人で食べるようになり、簡単な経歴を話した時に『すぐに足開くから子どもできちゃうんだー。』と言った武藤さんに違和感を覚えたけど

私の周りにいる〝変わった人〟のひとりだとスルーしていました。




角西部長は武藤さんがお休みの日(だいたい水曜日に休みを取ることが多い)に経理部長に話をすると言いその日が来ました。


所長はいつも疲れていて、その日の朝も正気がない顔をしてデスクに座り私に

『ははっ…今日は仕事できないな。』と力なく呟きました。