2024年のはじまり^^; | TODAY´S SPECIAL(’-’*)♪

TODAY´S SPECIAL(’-’*)♪

長女(32歳)が2014.5月~「特発性肺動脈性肺高血圧症(IPAH)。2017.5月~「再生不良性貧血」2019.11.14(三女をドナー)造血幹細胞移植。長女の病気と家族や日常の色々を書いています♪

2024年の元旦の16:10、私は仕事中でした。

午後の3時間の透析患者さんが終わる時間、患者さんが「また能登で地震あったみたいや」と言った途端にJアラートがなり、大きく長く揺れました。私が生きてきた中で体験したことのない大きく長い揺れ、患者さんには「大丈夫ですか?大丈夫やからね」と言いつつ、自分自身に落ち着け落ち着けと言い聞かせながら、またいつ地震来るかもしれないという不安と恐怖、気持ちが落ち着かないまま、何とか夜の患者さんの透析も終えました。

職場のかほく市は停電はなかったものの断水で、昨年同様給水車のお世話になりました。全国からの自衛隊や救急車や消防車などの救急車両が道路を列をなして走ってたり、1日中聞こえるヘリコプターの音、地震の度に鳴る市の放送。

心がそわそわして落ち着かない日々が続きました。

私の生活は数日でほぼ日常に戻りましたが、連日放送される被災地の映像、未だ避難所に避難されてる方々に心が傷み、支援、救助、復旧に関わって下さる方々にはホントに感謝しかありません。輪島や珠洲などの奥能登だけでなく、羽咋市や近くのかほく市から内灘町も凄い被害で、同じ県内にいながら、状況の違いに戸惑いながら過ごしています。

私はアパートにいて、何の被害もなく、地震当日もいつも通り布団で寝れること、電気がつくこと、たった数日の断水でも水の有り難さを痛感しました。


氷見の実家は、危険シールが貼られ、志賀町の義実家も断水で、義母は4日から福井の義姉の家にいます。

津幡町の家も数軒隣が崩落して、避難指示が出てますが、建物は大丈夫でライフラインも復旧して、モラ夫は1人で家にいます。


先の見えない状況でも、時間とともに、前に進もうと、厳しい選択や決断をしなければならない人たち、避難所で苦しい生活を余儀なくされてる人たちが、少しでも早く震災前の平穏な日常が取り戻せることをただただ願うばかりです。


昨年の12/14に次女が里帰り出産で帰って来ました。年越しは次女と犬3匹と。年明けてから長女が来て、2人でアパートにいるときに地震。私は夜勤だったので、次女のことも心配でしたが、案外娘たちは冷静でしたアセアセ給水所に水を貰いに行ったり、トイレは防災用に準備していた粉で固めるのを使いました。近所に住んでいる元同僚の先輩がわざわざ井戸水を運んで来てくれて助かりました。


そして、1/16の朝、次女が無事に男の子を出産しました赤ちゃん


今ある命を大切に、毎日を丁寧に生きたいと思います。


こんな私を心配して、メッセージを下さったブロ友さん、白い恋人など沢山送ってくれた札幌の奥ちゃん、みっちょさん、ホントに有り難うございますピンクハート