いこんにちは照れ

 

今日はサイモン・シネックが教育について話している動画を訳してみました。

 

初翻訳なので、自信のないところもありますが、大まかなことは理解できると思います。

 

 

 

〜以下、訳文〜

 

なぜ私は教育について語るのかおはなしします。

 

 

 私たちは次の世代のために私たちはどんな準備をしているのかを見なければなりません。

 私達は若者が生き抜いていくために十分な支援をしているでしょうか。

 

 私が学生だった頃に悩んでいたことは、クラスでどのようなパフォーマンスをしたかについて生徒を評価するときに1つの評価方法しかなかったことす。私は決して良い成績を取ることに魅力を感じるようなタイプの子供ではありませんでした、私が学校で学んだことは「認められない」「褒められない」ということでした。私はDD(発達性ディスレクシア)で集中することは全くできず、読むことも困難でした。本当に読むことができなかったので、どうやって良い質問をするかということを学ぶ必要がありましたし、放課後、先生のところへ話に行く必要がありましたし、友達に説明を頼む必要がありました。だから、質問するのが上手くなりましたし、人の話もよく聴ける人になりました。私が小さい頃にみつけた困難の解決法は大人としての能力になりました。私たち大人ははこのようなことを学校でやっているでしょうか。いま、私たちは子供たちが大人になった時に彼らの能力になる自分自身の問題を解決する方法を見つけることができる手助けができているでしょうか。

 

 何が教育なのかについて考えるとき、私たちは一般的に成績、教室などについて話しますが、もし「教育のなぜ」について話すとすれば、全く異なった問いをたてるでしょう。私たちはどうすれば子供たちがもっと好奇心を持つことができるのか、どうすれば彼らが共感性を学べるかを考えながら実践するでしょうし、いい成績を取ることよりも、どうすれば彼らのやる気を育てていけるかを見つけていくでしょう。

 

 多くの人々はいま存在する職業が20年、30年前には考えもつかないものだったと知っていますし、20年先、30年先の職業にももちろん同じことが言えると分かっています。人々は常に役割を担っていかねばなりません。仕事とはどういうものなのかという多くの再定義があるでしょう。私はAIやロボットが全てにとって変わるということのすべてに賛成しているわけではありません。私たちは人と人との交流が好きですし、教育システムは私たちがより人間らしくあることに備えるための大きな役割を担うことができると思っています。私たちは学生のパフォーマンスをテストでどれだけ良くできたかで評価しますが、全人的(身体、心理、社会的地位位など)な測定基準は学校にはありませんし、彼らの先導能力(リーダーシップ)を無視し、コミュニケーション能力を学校は無視しています。ですから、子どもに教えるときは、将来必要な「どう団結するか、どうまとめるか、どう意見を持つか」という能力こそが必要なのです。そして、学生は私たちの教えたことをするでしょう。

 

 学校の試験ももちろん大切ですが、全てにおいてそれが大切というわけではないのです。私たちは子供たちに良い成績をとるように多くのプレッシャーをかけています。私たちは教育をまるで学校だけが全てであるかのような終わりのあるゲームのように扱っていますが、教育は私たちの生涯において必要です。ですから、私たちには子どもたちが彼らの生涯において学びを続けていくように準備ができるように学校をどう利用するかが大事なのです。私達は「もっと学ぶことがある」という考えに完全に心を開いた状態でありたいと思うのです。

 

 私はみんながみんな単に算数(教科)を教えるためだけに教育大学へ行くとか、先生になりたいと思っているとは思いません。先生になるには、より高い目的である何かをするために与える、というサービス要素があります。それは彼らの教える教科には全く関係なく、その根底にある、彼らを教師にさせた理由が前提にあるのです。先生が学校管理者は自分たちの後援をしてくれていると心強く思えるような、先生が行きたいと思える学校環境を創ることを真剣に考えなければなりません。どの学校の管理者に最優先順位はなにかと聞いても、それは生徒であるとこたえます。それは全くの間違いで、リーダーシップにおいての責任は結果とは全く関係がなく、リーダーは結果に責任のある人に対して責任があるのです。学校管理者は先生達に尽力し、先生達は生徒に尽力するのです。もし学校管理者が数字が全てであると考えているとしたら、先生は彼らのリーダーから自分たちを守る姿勢をとるようになり、最終的に生徒達が苦しむのです。

 

 私がZ世代(1990年以降に生まれた世代)についていいなと思うことに、かれらの心の広さ、受容力、彼らが真の包含力や受容力で活動していることがあります。それは社会の未来にとってとても有益です。彼らは活動家の世代であり、私は彼らが大好きです。彼らは単に彼らの不満にハッシュタグを付けること(SNS上の活動)ではなく、集会を繰り返し、実際に人の前に姿を見せるのです。彼らの世代はもうすぐ成人します。彼らは世界が紛糾している時に大人になるのです。彼らは自国の緊張状態や、私たちがかつて見たこともないような政治分裂を目の当たりにするでしょう。これがかれらの世界観を作っているのです。彼らが直面し対処しなければならない責務は私たちが見ているSNS中毒と不安からくる鬱による自殺の割合の増加です。 私たちは若者に自ら成長することと解決策が見つかることを願うだけです。なのになぜ、彼らに教えないのでしょうか。なぜ、彼らにどのように他者と関わり合うか、何が適切で、なにが不適切かということに導いていかないのでしょうか。私たちはそれらの教育の技能に責任を持つことができます。

 

  教育システムの改革でもっとも難しいことは私たち大人には責任があるということを受け入れることです。もし、いま世界が私たちが今生きている状況とは違うと想像すると、私たちはみな、いくらかの責任を取らなければならないのです。未来のリーダーは今ある学校から出てくるからです。いま、子ども達に、未来はどうなるかということをもっと携えさせることができれば、私たちの世界はより良くなるのです。これは先生や生徒に限ったことではありません、私たち一人一人が自分たちの役割を担い、私たち一人一人がお互いにどの年代の人々にも責任を持たなければならないのです。そして、とくにいま学校に通っている子ども達に責任を持たなければならないのです。

 

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本当にその通り!

 

コロナもしかり、今までとは180度異なった見方、考え方のできる人を育てていかないといけないのはもう明確ですよね。

 

私たち大人の昭和な考え方では今の子供たち(Zジェネレーション)は未来を生きていけません。でも、それを変えられるのも今の大人!

 

今こそ、大人たちが思考転換すべき時ですねグー