昨夜はなんばの地下街の大衆居酒屋で飲んだ。

無駄なようで無駄なことは何もないと思いたい。

自分の領域は思った以上に狭いものだ。

 

たとえば住んでいる地域以外のことのかかわりはどうなのか。

高校生になれば学校によってレベルや校風も違う。多様なかかわりをもっているようで同じような人に囲まれることになる。大学、専門学校もそうだ。まだ大学、専門学校は学校以外の場所での活動をもつこともあるので少しは多様する。

働く場所になると余計にかかわりが限定するのが普通だ。

多くの人は自分の世界って意外に狭いと思っていい。

 

逆にいうと自分の世界を拡げることも大切だ。

行ったことないところ、店、学びなど人のかかわりも含めて異質なものと触れ合うことはいいことだと思う。そしてその異質を身近に受け入れることも。

 

身近にそういうものはある。でも今は情報が多すぎて、手軽に情報も行きつくので逆に世界を狭まているのではないかと思う。何かを調べるのも簡単に調べられる。調べるものが決まっている場合は便利でいいが、何かを選ぶとかいうときに情報量がいっぱいありすぎてかえってわからない。

 

テレビがわかりやすく大事な情報を流してくれればいいのだが。

桐島容疑者のニュースでかなりさくけど、事実だけ伝えるでいいのではないか。ダウンタウンの松本もネタとして取り上げるだけ取り上げといてもうそろそろいいかみたいな。興味を引くことを取り上げるのだが、それは人のためにはならない。視聴率がとれる題材となるのだろう。なんか大学の授業と構図は似ている。講師は評価も考えるので役立つ内容を考えながら学生に評価される授業となる。そうなると受ける授業となる。確かに見られなけらば意味がないという考えはあるが、先々のことを考えると役立つとかためになるでないといけない。

 

もうすぐダウンタウンの松本の声が聞こえない時が来る。何気にあの声、しゃべりをよく聞いていただけに変な感じやなあ。でも紳助の声を聞かなくなって久しいけど慣れるのか。トミーズ雅は松本は天才、浜田はすべて及第点のバランス人と言う。