ダウンタウン松本の活動休止には大きな話題となっている。

事実はどうあれ、天才芸人であることは間違いない。

時代が変わったのかもしれない。芸人だからなんでもいいわけではないし、コンプライアンスはあるけど、芸人は特別であるという世の中もなくなってきた。

天才芸人と言われた過去の人たち、横山やすし、島田紳助と通じるところがある。芸人としての晩年はトラブルのあった人たちだ。破天荒で浮世離れしたところが芸人にはあってもいいのかなと思う。昔と今は時代が違っただけ。自己責任の中で何をするかは個人の自由だろう。それで失うことがあっても仕方ない。

 

キムタクも嵐も以前の勢いはない。時代の流れかなと。そして昨日は八代亜紀の死去のニュース。年末には亡くなっていたそうだが。もはやあまりテレビに出ていない人なので大きな混乱はないが、昭和の時代を活躍した元紅白の常連が亡くなったことに驚いた人も多いだろう。紅白最低視聴率とタイミングが重なった。

良きものが失われつつあるような気はするのだが、時代とともに変わることも受け入れていかないといけないのだろう。

それが松本人志であり、キムタクであり、嵐であり。

 

昨日は人口減少社会に警笛を発するニュースがあったが、政治が目先のことばかり言っているのに意味をなさないような気がする。すべてが場当たり的な対応。根底から変えようとか長期的な問題解決をしようとかそんな考えがない。

人口減少社会に警笛を鳴らしながら、出生率の上昇の必要性を話すのはどうかと思う。出生率などは個々の事情があって、簡単に子供を産めというわけにはいかないのだ。それより人口減少社会になった日本でどうするかだろう。ならないようにどうするかではない。なる前提で対応策を考える。

 

失敗しないようにするにはどうしたらいいかも必要だが、失敗したときの対応はどうしたらいいかの方が大切なのではないか。人は失敗するものであるから。人口減少社会についてもそうならないようにするためにはではなく、人口減少社会での国家作りをどうするかではないか。簡単なことではない。もう右肩上がりなんてないし、ようやくそれは気づいたけど、今度は下がることを受け入れる。ブータンは経済大国ではないけど幸せな国。そこを目指してもいいのかもしれない。