星野君の2塁打という小学校で教科書に取り上がられる題材がなくなるようだ。
星野君の2塁打は、サインを無視して打って結果は2塁打といういい結果だった。でも監督の采配に従わなかったことがよくないということらしい。
みんな一緒である教育というのを求めるのは時代錯誤と。日本社会も協調性より創造力や企画力が求められるようになってきたと。
組織の中で1人でいいのに数人で同じことをやっているというシーンがある。3人で行う必要がないものであれば、1人で行ったら、他の2人は他の仕事ができる。これは、仕事や働く人の役割が多様化しているのに、意識がついてきていないからだ。それぞれの働く人が日本的なみんなで行動しようとなっている。
野球でたとえれば、外野に抜ける球を全員が追いかけるようなもので、非常に無駄。みんながそこに行けば、塁上はガラガラになる。組織のリーダーも通常業務の役割は決めることができても、臨機応変対応には対応しきれていない。
星野君の2塁打は教材として残してもいいのかもしれない。時と場合によっては必要であるのと、日本社会の考え方がどう変わってきたかというのを伝えるためにも触れるのは必要かなと思う。年代によって学びが異なると多様な年代で仕事をしていくときにお互いがお互いを理解できなくなる。そういった乖離がないように伝えるべきだろう。また自己犠牲という感覚は必要ではないかなと思う。教材そのものは同じでも伝え方によって活用はできるのに。