数時間後、看護師さんや母に何回も促されて、ようやく病室に入ることができました。

いっぱいいろんな管に繋がれて、もう私達のこともわからない、意識朦朧の父。
でも、実際見たら、意外と平気でした。
(もっとすんごい何かを想像してました笑)

でも、看病の母も家のお金も私達の生活、精神状態も
限界をとっくに超えていました。

それから数週間、父が亡くなりました。
いつものように学校に行ってて6限目が終わった時に、先生から亡くなったことをききました。ホームルームは参加しなくていいからお姉さんとすぐ帰りなさいと言われ、小学校の隣に中学校が建ってたので、姉と合流し、2人とも無言で超早歩きで帰りました。

家の庭が見えだして、車がいっぱい停まっている。
父が亡くなったことより、
鍵をあけて誰もいない家に帰るんじゃないことが嬉しかった。

あぁこれで、
お母さんももうずっと家にいる。

父が亡くなっても悲しくない私はヘンなのかなと、誰にも言えなかったけどそう思っていました。

お葬式の日、担任の先生やクラスメイトも参列しているのが見えました。
めちゃめちゃ泣いてる母と姉。
あんなに喧嘩してたのに、お母さんそんなに泣くほど悲しんや?
と、不思議でした。

私も泣かないとヘンに思われるかな、と思って泣きました。

今思うと父の気持ちも母の気持ちや行動もめちゃくちゃわかるけど、当時の私は疑問だらけでした。
そして、10歳までの経験から自分の感情をコントロールするのがとても上手くなっているんだと、最近気づきました。

それから半年間くらい、平和な3人暮らしでした。
母子家庭になったことで、金銭的にもちょっとラクになったようでした。
私は小6になり、姉は高1になり、しばらくしておじいちゃんが肝臓ガンで入院しました。
またか。
そんな感想しかなかったです。
(おじいちゃんごめん!)

今回は母の1番上のお姉さん(私からみたらおばさん、母は家を継いでるけど4女なのです)
が、病院に泊まり看病してくれることになりました。
ホッ。


それから数カ月、おばあちゃんが脳梗塞で倒れました。
救急車を呼び、おじいちゃんが入院してる病院と同じところへ行ってと
頼みました。
同じ病院でも、男性と女性で階が違うため、おばあちゃんの看病は母がすることになり、
11歳と15歳、また姉と2人暮らしが始まりました。

人間って本当にどんなことでも慣れるんだなと思いました。
その頃は辛くも悲しくもなく、はい、またこれね、って感じで、特別に覚えてることはありません。


人間の記憶ってすごく悲しかったり寂しかったり辛かったりが残るのか、安定してることは忘れていくのかもしれません。

11歳の間に祖父が亡くなり、右半身不随になった祖母は施設に入りました。

母は病院か仕事、姉は部活を頑張ってて、お留守番が多かった私は
組の集金や配り物、初七日のお経読み、11歳の夏休みは父の初盆で、12歳の夏休みは祖父の初盆で、仏壇の守り、なども含め、
いろんな経験を12歳までにしました。

『嫌なことは嫌って言っていい』とかもうそんな次元じゃなく、生きていくのに必死でした。

割り当てられた担当を、それぞれがこなす。余ってる人間はいない。やるしかない。
そんな感じ。



次回へ続きます🍀