そこで記念して(?)
生まれてから今までの私の変化の物語をお伝えしてみたいと思います😌
こんな仕事をしておりますが、なんせ子供の頃はめちゃめちゃ人見知りで、大人しくてあまり言葉を発しない子だったので、
なんで今この仕事(ヨガ講師)してるんやろ、と自分でも思います💦
でも、私の経験が誰かのお役に立てれば、と思います。
人生長く生きてたら皆さんそれなりに色々あることと思います、いえ、色々あるのが当たり前でしょう。
なので、あえて言う必要もないかと思ってたのですが
(これ、私よくやってしまうやつ)
物語の本でも読むつもりで、気軽にご覧いただけると嬉しいです😊
1976年1月27日
松阪市で生まれ育ち、2歳の時に母の実家の多気の方へと引っ越しました。
その時は父方の性、山際直美でしたが、引っ越して少し経った頃、母方の性へと変更し、野呂直美になりました。
父は養子さんとなりました。
家族は他に、4つ上に姉がいます。
幼い頃ですが、名字が変わることってあるんだと衝撃で?なんとなく覚えています。
姉は小学生だったので、同級生に親が離婚したのかと囃し立てられたようです。
4歳の時に母がパートに働きに行くようになり、年中さんから幼稚園に行きだしました。
無口で人見知り大発揮のころ、給食の好き嫌いも多く、めちゃめちゃ行きたくなかったです笑
5.6歳ごろから、父が私にだけ厳しくなってきました。
常に姉と比べられ、おねーちゃんのように『出来ない』私は怒られる。
おねーちゃんは褒められるけど、私のことは全く褒めない。
庭から車で出発するのに、左右から車が来ないか道に出て見て欲しいと父が姉に頼んだことがありました。
褒めてほしくて、
そのくらい私にも出来る!
と言って、私がする!!
って勢いで走って道に出て、
車に引かれそうになりました。
あと1秒遅かったら引かれていたでしょう。
そして、
おどろいた父に殴られました。
『だからお前には出来ないんだ!!!』
怖くて怖くて悲しくて悔しくて辛かった。
『私には何も出来ない』っていう思い込み
(固定観念とかラベルとか言いますね)も確立されました。
その後も、、
食べ物の好き嫌いが多いため、夕食で偏ったものしか食べずに、怒られて押し入れに数時間閉じ込められました。
覚えてるのは2回くらい。
最初はびっくりして、悲しくて怖くてお父さんキライ!
って思って泣いてました。
相変わらず言葉にできない子だったので、常に思うだけ。
が、そのうち、泣くとお父さんが困るかも、私が泣いたらお父さんが悪者になる、
と思って、わざと泣いてました笑
お父さん、知恵を働かせてくれて、ありがとう。
父と母もよく喧嘩していました。
私と母が台所で洗い物をしてる時に母の顔数センチのところへ陶器のコップを思いっきり投げてきたのもびっくりしたので覚えています。
祖父母と父も仲が良くなく、祖父母の顔すらまともに見ない父。
自分のこと棚にあげて、私に厳しい父。
お父さん怖い、お父さんキライ
で、10歳まできました。
ここまでお読みいただきありがとうございます😊
次回へ続きます🙏🏻