介護認定 | 今日のスイッチ!

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若年性パーキンソン病を発症して6年目。おしゃまなお姉ちゃん(三年生)と元気すぎる妹(5歳保育園児)に振り回される二児の母です。オンとオフの間で見つけた日々のスイッチ、元気のもとを記録していきます。

この冬は、なかなか身動きがつらく、何とか状況を打破したい一心で、介護認定を申請した。明日、初めてケアマネージャーさんが家に来る。慌てて言いたいことを忘れないように、いままでの経緯と、困っていることをか書き出してみた。自分でも改めて振り返ると、もう、6年もこの病気と付き合っているんだなあ…。


病歴  20043月(36歳)現住所に移転。当時3歳の長女が、保育園に転入、次女を妊娠中に、左手に違和感を自覚。20047月、次女を出産、おむつを取り替える、洗濯を干す、たたむなどの日常的な動作に不都合を感じ、9月に厚生病院を受診、はじめ、腱鞘炎を疑い整形外科へ。そこでは異常はなく、脳神経外科を紹介されるがそこでも異常は見つからず。そこから神経内科に移り、初めて『若年性パーキンソン病』という病名が下る。大学病院にて、各種検査を経て10月病名確定。そのころには足を引きずるようになっていた。



大学病院で主治医となった、若い先生は、「進行性で治療法がない」ということを、強調したことから、精神面での打撃が大きく、家に籠りがちとなった。引っ越して間もないころで近くに知人、友人も少なく、悩みを打ち明ける相手は主に家人に限られた。


病状も一気に進み、車の乗り降りもおぼつかず、生まれたばかりの我が子を抱くことも難しくなった。投薬治療が始まり、母乳も与えることができず、将来に大きな不安がのしかかった。見かねた主人に進められ同じ神経性の難病、脊髄小脳変性症の患者会『かたくりの会』に参加。そこで、多くの患者さんたちに励まされる。そこで紹介された、パーキンソン病の患者さんが劇的に症状が改善されたことを聴き、初めて闘病生活に希望が持てたように思う。



その後、その方の勧めで、別の病院の経験豊かな先生を紹介され、病院を移る。投薬の内容ががらりと変わり、症状も大いに改善する。何よりも、『大丈夫、よくなるから』と自信たっぷりにかけてもらった言葉が功を奏した。これほどに医師の言葉が病状を左右するとは自分でも信じられないほどだった。



特定疾患の認定を受け、1ヵ月半に一度の割合で受診を続け、現在に至る。緩やかに、進行はしている。オンとオフの差が次第に大きくなっていると思う。

現在の状況
・朝起き上がるのが非常につらい(筋肉の固縮)特に冬の寒い朝。


・物をもったまま歩けない、こぼす、落とす、つまづく。


物を順序立てて考えられない、一度にいろんなことをしなければならない状況だと 考えも身体も硬直する。(一つづつならできる)


・声が小さくなった。話すことが相手に伝わりにくい。話すと疲れる。


・字が小さくなった。(筆ペンだといくらかまし?なときもある)



・出掛けるのが億劫になった。(靴をはく、車に乗り込む、ドアを閉める、ドアを開ける、車を降りる…時間がかかるのでつらい。




・姿勢が悪くなった。前屈み、腰が曲がる。⇒背中、腰、首の痛み。筋肉の固縮)


困っていること

・朝、身体が動かないので、娘を送り出せない。(主人が朝食の支度から見送りまで代行してくれている。)⇒自分でできるストレッチなどで、なんとか動けるようになりたい。12月、娘が入院した時に、付き添いで泊まり込んでいた時には、起きて体操することができた)…適度な暖かさ、障害物のない広い廊下などおかげ、と思う


・脱衣所と浴室の段差がこわい。狭い。⇒入浴時、手伝ってもらっている。⇒洗濯ものの出し入れが難しい。(主人がほとんど代行してくれている。⇒干すまで)___(洗濯物の取り込み、たたむのは子どもたちが手伝ってくれている。)いない日はランドリーに行って乾かす・・・体調の良い日、運転できれば。


・家の中の、整理整頓が苦手、忘れ物が多い。工夫してなるべく自分で家事をできるようにしたい。


ほとんど、口にすると、愚痴やぼやきになることばかりだが、まとめてみると、解決策も見つけやすいかも。明日実りある話ができますように・・・。

  

・細かい作業ができにくい、(野菜を切る、財布からお金、カード、診察券などを取り出す、洗濯物をたたむ、書類を重ねたり、捌いたりする、

・狭いところで足がすくむ、バランスを崩す。