はじめまして、齋藤 直美です。

私が大学を卒業した1997年という時代は
ちょうど就職氷河期時代です。

100社受けても、受かるのは数社という過酷な時代でした。

友人たちは、企業展に通い
いくつも履歴書を書き、面接に行き、そして落とされる・・・。

 「人間不信に陥る」
 「自分がすごくダメな人間に思えてくる」

 こんな言葉をよく聞きました。


周りが就職活動をする中、私はまったく「就職活動」に興味がわきませんでした。

時代背景から
「自分の行きたい会社に行けない」
「自分がしたい仕事に就けない」ということは十分にわかっていました。

さらには、就職活動で心身ともに弱って行く友人たちを見て

 「私は、就職活動はしない!」
 「行きたくもない会社には就職しない!」と心に決めたのです。


しかし、就職をしない代わりに何をするかなんて
まったく決まっていません。。。

 「フリーターか。。。。?」

 時代的には、就職できなかった者はフリーターがお決まりでした。

 
 なぜか「フリーター」にはなりたくなかったんです
 また両親の手前、フリーターはまずい・・・・。

 困りました。。。


 最終的に私が選択したのは「カナダ留学」でした。

 学部も英米語学科で英語も好きだし、留学経験もあったので

 「“とりあえず”カナダへ行っちゃえ~」のノリで決断しました。
  今、考えれば「逃げ」だったんです。
  とにかく日本を離れたい
  今のこの環境から逃げたい
  カナダに行けば、何かがある、変わるはず!と期待して。


 もちろん、両親は大反対!
 留学費用も出してもらえません。

 そこからは、みんなが就職活動を頑張ってる中
 私はアルバイトに朝から晩まで明け暮れる日々でした。

 そして、ついにビザ申請に必要な額を貯め
 申請することができたのです。



 ビザ申請も通って、ルンルンの卒業式。
 卒業した年の夏にカナダに向け旅立つ予定でした。


 しかし、事態は急変。
 父が身体を壊し倒れてしまったのです。

 「こんな時に!!!!」

 母から
 「いつ何があるかわからないから
  カナダ行きは諦めて欲しい」とお願いされました。




 迷いに迷ったあげく
 カナダ行きを諦めることに。。。




 「私が思うような人生を歩めないのはこの時代のせい!」
 「やりたいことができないのは両親のせい!」

 と、時代や両親のせいにして
 自分の可能性を信じれることもなく、閉じて行ったのです・・・・。





 そして
 私がなりたくなかった「フリーター人生」が始まるのです。



 「この先、私の人生はどうなって行くのだろう・・・?」

 「私、これから何やって行くの・・・?」

 「私の能力ってこんなもの・・・?」




 フリーターをしながら、こんなことを考えていました。

 資格を取ろうかなって考えたり
 就職しようかなって考えたり
 自分の向いていること、できることはなんだろうって考えたり・・・・

 考えても答えはでません。
 模索の日々です。




 結局、私が選んだのは
 「結婚」でした。



 当時の彼、今の主人と大学卒業後2年経つか経たないかで結婚しました。

 自分の人生や可能性を諦めていた私は「結婚」という道を選び
 そこそこにアルバイトしながら生活して、
 早く子供を産み、それなりの幸せを感じれればいいかなと思ったのです。


 当時の私としては、他に選択肢が思い浮かばず、
 それが最善の選択だと思っていました。


 しかし、今思えばカナダ留学同様、「逃げ」だったんです。


 そして1999年世紀末に結婚。

 
 結婚後も、大学時代からアルバイトしていた会社で働きました。


 人生とは面白いものです。
 諦めたとたん、諦めるなと言わんばかりの出来事が起こるのです。



 当時の上司にこんな一言をもらいました。

 「お前ならできる、お前に任せるよ。」

 という言葉でした。


 その上司の一言を聞き

 「私にできることってあるの?」

 「こんな私に任せてくれるの?」と半信半疑ながらも、
  その言葉に自分の可能性を感じたのです。



 そこから、私の人生は大きく変わりました。



 スタッフ約30人を抱える管理職へ昇進、
 そして約8000人のスタッフを教育する人材教育部署へ
 昇進し社内講師となり、社内の人材教育制度の構築や
 教育風土を定着化させる仕事を任されることになるのです。


 「自分が思うようになれないのは時代のせい」

 「私には特別な能力はないから、選択肢が少ない」と

 自分の可能性を諦めていた私を変えたのは

 その上司のたった一言です。


 私にとって、その上司の一言は

 「私の可能性を信じてくれる人がいる」という

  安心感、喜び、自信、そして誇りにさえ感じたのです。



 そして私は、そこから仕事に明け暮れる日々。
 楽しくて楽しくてたまりませんでした。


 成長していく自分、可能性がどんどん広がって行く自分が
 たまらなく好きになりました。

 男性組織の中、女というだけで偏見があったり、

  辛いこともありましたが、そに上司に期待に応えたく、

  頑張り続けるのです。


 男性と対等に仕事ができるようになりたく、

 女性ということも忘れ、サイボーグ化して行きました。
 


 それなりの成果も出し、ポジションも確立でき
 自信もついて来た頃です。

 仕事に夢中になっていた私の
 ワーク・ライフバランスはめちゃくちゃでした。

 出張が多く、3週間家に帰らないようなこともありました。
 
 急な仕事や徹夜もありました。
 
 充実していた分、家庭を振り返ることさえ忘れていました。


 自分のことばかり考えていたんですね、きっと。

 自分が幸せならそれでいいと。。。

 家庭や旦那さまのことは二の次でいいと。。。



 しかし年齢は、もう30歳近い。

 子供もそろそろ考えなくてはならない・・・・と思い

 人事部に、「産休制度」について問い合わせました。


 すると
 「すぐにはわからない、調べて折り返します」とのこと。


 どうやら男性が多い職場のせいか
 産休をとった前例がないため、すぐにわからなかったようです。


 この時に、私は会社を近い将来辞めようと決めました。
 もちろん、制度があるのだら、とれないわけではないです。
 しかし、制度を活用しにくい風土の中、またそこに力を
 注ぐほどの時間も、熱意もその時の私にはなかったのです。

 キャリアの充実はあるし、
 捨てがたいポジションでもありましたが

 このままでは
 私のワーク・ライフバランスは崩れたまま。
 女性としての幸せを失ってしまうのではないかと思ったのです。



 そして私が次に選んだ道は「起業」でした。



 自分の可能性をもっと試したい!

 仕事を通して成長し、社会貢献もしたい!

 女性としての幸せも味わい尽くしたい!

 欲張りで、わがままな想いかもしれませんが
 それを全部、実現できるのが「起業」だと思い決断しました。


 

ロストジェネレーションで、貧乏くじ世代と言われ

自分の可能性を諦め

その時代を象徴するかのような人生を歩んでいた私ですが

 ある上司の一言で人生が180度変わりました。


 自分の思うような人生を歩めない最悪な人生に生れたとしても

 「私には可能性があるんだ!」

 「私にもできることがあるんだ!」

 「私だからこそやれるんだ!」

 と思える私になれたのです。

 女性としての幸せを味わいながら
 仕事を通して自己成長や社会貢献をする人生。

 自分の人生を自分で創り出し、動かして行く生き方。


 誰しもが、そういう人生、生き方ができるのです。


 
 諦めていた私が、今度はそれを伝え実現するお手伝いをする番です。

 自分の可能性を信じ、
 自分が本当にやりたいこと、
 自分らしさが十分活かせることをする人生、生き方にしませんか?

 私はミュゼを通し、女性たちが仕事と家庭を両立させて
 女性としての幸せを味わいながら
 仕事を通して自己成長や社会貢献をし
 バランスのとれた幸せな生き方ができるようになる社会創りに貢献します。