「えっ、何? 今日、一番拍手大きい~」
笑顔の効用から口角の話題になり、
「口角は上げたほうがいいですよ。松田聖子さんみたいに」
そういって、聖子さんスマイルを再現するやいなや、
「♪あなたに 逢いたくて 逢いたくて 眠れぬ夜は...」
と、聖子さんの「あなたに逢いたくて ~Missing You~」を歌い出したkiinaの歌唱に、たしかに大きな大きな拍手が起こったのです。
ふたたび、
「♪逢いたくて 逢いたくて」
と歌うと、またまたいっそう大きな拍手に、
「えーっ! 一番大きな拍手。これまでの自分、何だったんだろう」
と(笑)。
「珍しいからですよ。ライブならではですね」
と、司会の西寄ひがしさんがフォロー。
そのとおりでございます。
サンシティ越谷市民ホールでのコンサート・昼の部でのこと。
絶好調のkiinaでした。
昼夜、参加させていただきましたが、オープニングの「歌は我が命」での熱唱に、もう、この1曲のためだけでも、ここに来ることができてよかったと思うほどに心ふるえる感動を味わったのです。
心の叫びを、その歌声にのせて、深い苦しみや悲しみを内包しながらも情熱をたぎらせた、その熱く、激しい焼け付くような歌唱に圧倒され
て、こんなすごい歌唱を聴かせてもらっていいのだろうかと思う自分がいました。
夜の部で、
「23年を振り返るショーになると思います。どうぞ最後の最後までおつきあいいただけたらと思います」
と、話していましたが、ほんとうに23年の生き様や、成長を体感できるショーになっていて、゛氷川きよし゛と出会った時期によってさまざまな味わい方ができそうです。
ちなみに、わたしは、「母」から始まる「みれん心」までのアコースティックバージョンのオリジナル曲を聴いていると、初めてその曲を聴いたときのことが鮮やかによみがえり、あのとき、これほどまでに味わい深い歌唱で聴かせてもらえる日がくることを想像していなかったなあと思い、自分自身もまた23年という月日を生きてきたことを感じて、胸にあたたかいものがあふれてきます。
ファンとして一緒に歩ませていただいてきたからこその、目もくらむような感慨に、ファンになってよかったと、心の底から幸せを感じていました。
昼の部では、ステージの暗闇の中、うっすらとうかびあがった和装のkiinaが静かにお辞儀をしたのが目に入った瞬間、電流が走ったような感覚になり、アコースティックなアレンジでの「白雲の城」の歌唱に、惹きこまれて、セリフのあとの拍手を忘れて...。
周囲の拍手に、我に返ったのです。
これまで生きてきて、それなりに海外も含めて様々なステージを観てきましたが、こんなすごい体験があるのだろうか? と思わずにはいられない歌唱とパフォーマンスに、夢の続きを見ているかのように聴き惚れたのです。
肉体から解き放たれて、自分の五感はもちろんそれ以上の次元の感覚までもが呼び覚まされて...。
わたしは、ただただその歌声に聴き入り、躍動感あふれるしなやかな肉体に見入り、ひたすらに酔いしれていました。
ところで、昨日、放送された、「1億3000万人のSHOWチャンネル」、ご覧になりましたか?
博多華丸さんとの糸島ロケもとても楽しかったですが、オリジナル曲の「ふるさと」をアカペラで最後まで歌ってくださったのには、驚き、とても感動しました。
その番組のことや、先週の「限界突破RADIO」での、”氷川きよしby kiina”の話題も書きたいと思いつつ、今、期間限定で新たなお仕事を引き受けたため、すごい労働の日々になっているので、ブログの更新ができずにごめんなさい。
そして、湯川れい子先生も快方に向かわれて、ほんとうによかったです。
先生からいたただいたある物や、歌碑巡りの裏話も書けないままで、ごめんなさい。
月末になるかもしれませんが、書いてみたい気持ちは変わっていませんので、お許しくださいませ~。
では、以下はサンシティ越谷市民ホールでのコンサートでのことをトーク中心に昼夜おりまぜで書いてみたいと思います。
オープニングトークで、”越谷愛”を言葉にすると、キャンペーンでらぽーれ(ヘルシーランドらぽーれ)という温泉施設を訪れた時のことを。
「キャンペーンで、越谷にあったらぽーれでも歌いました。
温泉があって、風呂上がりでハワイアンみたいなムームーとか着て、飯食って、酒飲んでるんですよね。
会場を回って、楽しかったんですけど、そのときに、おばあちゃんが千円札の礼をかけてくれて、びっくりしました。ありがたかったけど、お返ししました。
いただく人もいると思いますが、自分は、お金はいただかないって決めていたんですよね。
だからご祝儀も、みんなお返しします。そこはキレイにやっていきたいなって思って、その分、CD買ってくださいって。
そこは(その後もずっと)こだわってきました」
と、キッパリ。
夜の部でも、らぽーれの話題をされ、
「らぽーれでのキャンペーン、楽しかったですね~。まだコンサートはしていなくて。自分がステージに出たら、フィーバーな感じでした。わーって喜んでくださって。
それで、自分は(これからこんなふうに)喜ばれることをしていきたいって思いました。
ファンクラブの会員も10人が50人、100人、500人と増えていきました。
今日までずっとそのときの喜ばれたいという気持ちでやってきて、今年23年目に突入しました。
このショーはその23年を振り返るショーになると思います」
昼の部で、松田聖子さんの「あなたに逢いたくて ~Missing You~」で大きな拍手を獲得したあと、
「はっきり見えます、皆さんのお目目が!」
と(喜)。
「マスクしていらっしゃるけど、目でわかります!」
そういうと、客席を2階席から順番に見渡してくれました。
コロナ禍について、
「自分を見つめる時間になりました。当たり前のように思ってると、仕事、なくすよ!」
と、西寄さんに。
「いや、実際、なくなった仕事あります」
との西寄さんの返答に、”そうだったんだ”と、優しいまなざしを返すと、
「感謝と愛を大切に、人とのつながりを大切にしたいですね。
父と電話すると、いつも父に、”人にだまされるな”っていわれ続けてきたけど、だまされ続けて...。
でも、だますよりだまされるほうがいいなって思うんです。
(自分でいうのもなんですけど)ピュアなので...。
ピュアなところがあるから、芸能の仕事ができるんだと思っています」
「1億3000万人のSHOWチャンネル」の話題になると、
「糸島にロケにいきました。自分は博多で、高宮中学校というところに。普通の学校ですけど、タモリさん、高橋真梨子さん、森口博子さん、博多華丸さんという先輩がいます。
自分は、あまりいい思い出がないんです。ひとりで通学していて。石投げられたりして、10代の頃はやられっ放しでした」
リップサービスもあってか、話を盛って、”岩も投げられて”というくだりでは、
「岩、投げられてたら、今、ここにいませんよ」
と、西寄さんが冷静にフォロー。
でも、”岩”にも匹敵する嫌な諸々を投げつけられていたのでしょうか
。
心が痛みます。
ここで「群青の弦」の話題になり、
「1位、おめでとう!」
西寄さんが祝福すると、
「ありがとうございます!」
と、晴れやかなお顔でお礼を。
すると、たくさんのお祝いメッセージを書き込んだボードやうちわが客席で揺れ、それをみたkiinaは、
「うちわ、ボード、すごいっ!
みんな、あげてください。どうやってつくるの? ワープロで? すごい、みんな上手~」
大絶賛。
さらに、
「何も持ってない方も上手!」
優しい言葉をかけてくださいました。
書を掲げている方に、
「お上手ですね~」
と。
そこで西寄さんがkiinaも字が上手だとほめると、
「小3のとき、書道教室に通ったんです。ウエムラ書道教室。でも3日でやめました。人と一緒というのになじめなかったから。独学です」
と。
「趣味の園芸」が1年をかけての、”グリーン・サム”のコーナーがいよいよ大詰めであることを西寄さんがインフォメーションすると、
「渡辺先生がいちばん好き!
ハーブの先生は、自分、張り合っちゃって。嫉妬? まあ嫉妬されてなんぼの仕事ですからね(笑)。
次回放送分は、スタジオで収録しました。初めて会う先生だったんでけど、ピースのやり方を教えてあげたら、少しちがっていて、あれ、間違えようによってはタイヘンなことになりますからね~」
埼玉大絶賛のkiinaでしたが、”キョウの国”としきりにいうので、何かしら? と思っていたら、
「さいたま、キョウの国! じゃなくて、彩の国だっ!」
ですって(笑)。
さらに、最近のプライベートについて、
「最近、全然、外に出てない。
ほとんど家でご飯つくってる。
やっぱり皆で食べるからおいしいんだと思うので、時々、2、3人呼ぶこともあるけど」
そこで西寄さんの”スタッフですか?”との質問に、
「スタッフは仕事の時だけ。東京のお姉ちゃんとか仲良しの人を。
でも、最近はひとりのことが多くて。
ひとりのときは、(めんどくさくなって)ワカメの味噌汁をご飯にかけて」
そこですかさず西寄さんが”猫まんま”と、いうと、
「おいしいですね~。
(ひとりのときは)それでも十分だなって思いました。
ここでココアちゃんの話題になりました。
「昨年の2月16日に死にました。
今、ラテくんとミルクちゃんがいますけど、ふたりは”人”です。
あの人たち、人!
(2人を)ココアちゃんより長生きさせたいと思って。
(体に良い)食べ物を取り寄せています。ガンになりにくい体質をつくるパウダーとか、ビフィズス菌とか、錠剤を砕いたりとかもう、いろんなものを入れています。
朝、8時になったら2人に起こされて、それが幸せです。
この間、2人が健康診断、受けたんです。2人で6万円!
高いんですよ~。だから自分はみそ汁とご飯でいいかなって。
自分のことはいいから、2人を生きさせたいんですけど、でも自分がいなかったら2人は生きていけないから、自分もがんばらないと。
だから、命ある限り。
でも、自分はステージでバーンッて倒れたらなって思うことあります。
(そうしたら本望、思い残すことはないし、皆さんにさよならが言えると、以前、お話しされたことがありましたね)
でも、しぶといんですよ~。
皆さんも、しぶとく生きましょう!」
声高らかにそういうと、
「ヘイッ!」
「イヤッ!」
「ヘイッ!」
と(笑)。
ここで、ようやく(失礼!)、グッズ紹介となり、アンコールでのピンクの衣裳をモチーフにしたクロスと、パーカーが紹介されました。
昼の部のアンコールで、
「最近の楽しみのひとつは詩を書くことです。過去を振り返って。
18歳のときに詩を書いていました。上京したばかりで相談する人もいなかったから、悩みを詩にしてノートに書いていました。
『18才』という詩があります。
自分の思いを自分の言葉で、声で伝えていきたいなって思っています。
日本は出る杭は打たれる世の中でしょう。
だけど(そんなこれまでの世の中を)個性を生かすことのできる世の中に変えていかれる歌い手になりたいと思います」
夜の部で、「箱根八里の半次郎」を歌い終えると、たくさんのボードやうちわに視線を走らせ、
「ボード、ありがとう~。
でも、後ろの人、見えなくならないかなって思ったり。
(と、つい本音がでてしまったようで・汗)皆さん、素敵ですね~」
とセルフフォロー。
「人をほめるのは得意ですけど、貶すのは苦手です」
そんなkiinaの言葉に、
「このお仕事がいちばん天職だと思いますけどね。
人をもてなすのが上手だから、もし営業のお仕事していたら、すごかったでしょうね~」
と、西寄さん。
すっかりその言葉に、同感した様子のkiina、
「3年半、アルバイトしていましたけど、サービス業。いろんなお客様が来るんですよ。クレーマーの方もいて。
レストランで2年、ウェイトレスやってました。
ミニスカートはいてね!」
ぽかんとする皆に、
「ウソ、ウソ、ウソ! やってない~!」
というと(笑)、
「♪馬鹿にしないでよ、ダダダン!」
「♪そっちのせいよ、ダダダン!」
と山口百恵さんの「プレイバック Part2」を(笑)。
「ウェイターと厨房をやっていました。
あるとき、すごい怖いおじさんに、”芸能界、めざしてるなからここに電話して”っていわれたことあったけど、電話しなかった。
あとは代々木上原のコンビニで半年、レジやってました。9時から5時。月曜から土曜までampm(エーエムピーエム)で。
11時30分くらいになると、サーモンクリームフェットチーネとか、ジャージャー麺とか、20個くらい温めていましたね。
ランチ時間には行列ができるので、並んでいる人に、”まだかよ!”っていわれないようにって、緊張しました。
あのとき、お札の数え方、身に着けたんですよ。(こうやって! とデモンストレーションしてみせてくださり)、手にアブラあるので、ツバつけたりしませんよ(笑)。
まあ、そうするときもあるけど(汗)」
さらに次のアルバイト先の思い出も話してくれました。
「そのあとは、国立音大近くの喫茶店でした。朝8時に入って、お店にある材料でランチメニューを考えてつくっていました。
その頃は、事務所、(今の事務所に)決まっていたので、事務所の仕事があるときはお休みさせてもらっていたんです。
アンティックローズっていう個人でやっているお店でした。
そこで、よく女の人に声かけられてましたね。
”あなた何やってる人なの?”って。
今年、1年、務めさせていただいて。
来年はファミリーマートで働こうかな?
えっ、ダメですか?
だって、犬のためにも稼がないとならないから。
ファミマ、好きなんです。
国産豆腐と、お母さん食堂が好きだから」
と。
もしそうなったら、お店に大行列ができますねっ!
だって、わたしも行っちゃうも~ん。
ここで自ら座長公演の話題を!
「座長公演は、これまで時代劇をずっとやってきましたけど、今回は洋モノです。中世ヨーロッパが舞台なんですけどね。ついこの間、パンフレットの撮影したんです。
西さんもね、笑っちゃう!
何の役なんですか? って、まだ言っちゃダメなんですよね(笑)。
自分で仕上がり見たら、綺麗だなって!
自分で、これだなって思えたんですよ。
目がパッと開くような感じです」
うわあ~、どんどん楽しみになってきますね。
黒木瞳さんからお電話をいただいたそうです。
「黒木瞳さんから電話があって、”テレビ見てるよ、キーナ、見てないの?”って。WOWOWの自分のポップスコンサートの再放送を見てくれてたんですね。
宝塚みたいって。女らしさの中に男らしさがあるって言ってくれて。
ほいだらね~、”明治座で公演するんでしょ。なんで私に監督やらせてくれないの!”って。
黒木さんは監督して映画を作っているんですよ。
”ごめんなさい、また今度の時”って答えましたけど。
よかです!
私は全部、自分でやります!
テレビのこと言われたので、見てみたら、あの時はまだアイライン入れてなかったので、のっぺりしてるなって(笑)。でも懐かしかったですね」
また、過去の座長公演の再放送が続々決定していることを西寄さんがインフォメーションすると、
「『銭形平次』 のときは、毎日、お医者さん呼んで、点滴打ってもらってました。
心に身体がついていけなくなって、だんだん離れていって...。
やるからには”生きる平次”を演りたいと思ったから。瞬間、瞬間が勝負で、命がけでした。
ねずみ小僧のときも、”生きるねずみ小僧”を演りたいと思って必死でしたね」
グッズ紹介(クロスとパーカー)をすると、
「皆さん、外食とかされます?
私は外食していません、一切合切。
油断したスキに(コロナに)やられるっ!
皆さんも油断しないでくださいね」
というと、突然、
「おまんら、許さんぜよ!」
と、「スケバン刑事」のセリフが(笑)。
なんでも、2代目の南野陽子さんのバージョンが大好きで、DVD全巻購入されたのだそうです~。
夜の部のアンコールで、「WALK」を歌うと、
「あらためて、今日、お越しくださってありがとうございます。心の底から感謝します。
歌が好きなんですね。
色んな人がいて。映画だったら(人生模様)を2時間半くらいかけて描きますが、、歌は、3分、4分でその人の生き様が見える。
色んな人になれるのがいいなって思います。
今、詩を書くのが好きです。演歌枠からはみ出して。
上京してから、詩を書いていました。
ノートに書いてまして。
人って信用できないって。人の気持ちってどんどん変わるものでしょう。
自分も変わりやすいですけどね。
上手い、下手じゃなくて、自分の思いを伝えたい。
自分の思いを歌で伝えるのが自分の枠割かなって。
その歌を聴いた人の生きる力になったり。
絶対に何があっても死んだらいけない。死んだら何もないから。
何を話しても告げ口したりしない信用できる人がいてくれたらいいですよね。そういう良い人とつながっていかないとって思います。
ひとりひとりの命の尊さを歌っていきたいです。
『きみとぼく』の主人公は、15年間、自分の心を支えてくれた人物です。
28歳の時からずっと。
4つ足の毛むくじゃらの”人”です。
私だけを求めてくれたので、嬉しかった。
昨年の2月16日に、自分の心臓のうえで、彼の心臓が止まったんです。
お子さんを亡くされた方のお気持ちを思うようになりました。
そして、”あなたは尊いんだよ、大好きだよ”という思いを歌ったのが『You are you』です」
と。
そして、「碧し」については、自身のデビュー記念日の”2月2日”という歌詩から始まる、大切な歌であることを前置きし、「きみとぼく」をステージに胡坐を組んで、ココアちゃんの目線になって歌いだすと、次第に涙声になっていきました。
ココアちゃんがどれほどkiinaを愛し、信頼してその存在のすべてを預けてくれていたのかを思い、だからこそ、彼の前でだけは、ありのままの自分にもどることができたのでしょうか。
k魂の叫びそのものの「きみとぼく」のkiinaの歌唱に、わたしの心もシンクロして、涙がじゅうっと音をたてそうなほどあふれだしてきました。
ココアちゃん!
多くの人に愛され、愛と幸せを送ってきたkiinaの愛の源はあなただったんだね。
「きみとぼく」という歌が生まれて、あなたの愛が、あなたの愛するkiinaの歌声で、どこまでも広がっていくと思います。
この歌を聴くと、切なさがあふれてくるけど、同時に温かなものもあふれてきて、少しだけ優しくなれたような気になる。
自己満足かもしれないけど、でもそんな思いになれるって、やっぱりすごいことじゃないかな?
「きみとぼく」を聴くたびに、あなたに会えるなんて奇跡のようです。
ありがとう。
※駈け足での更新で失礼します。
今、ある仕事のために、朝、暗いうちに家を出る日々。
朝、ものすごく弱いのに、信じられません~。