「デビューした日は家にいたと思うんですけど、今日から、”氷川きよし”になるんだと思いました。
あっ、本名は山田清志です(笑)。
自分で思う名前はkiinaで、そうやってバランスをとってやっているんですよ。
今日から23年目...。
この中野サンプラザでは、2001年に初めて単独でコンサートをしました。
チャレンジステージ、24歳のときです。
それから、プロになったからには夢とロマンをおとどけしようという思いでやってきました。
2003年くらいからペンライトを事務所の人がつくってくれて。それまではサイリウムとかそれぞれが用意してきたものだったのですが。
(オリジナルの)ペンライトを皆さんが振ってくださるようになりました。
テレビ番組の「うたコン」とか「歌謡コンサート」でも振ってくれるようになって、(ステージの自分から見ると)お花畑のようだなって。
夢の世界を皆さんがつくってくださって、ステージより綺麗だなあっていつも感動しています。
そのおかげでこれまで歌ってくることができました。
歌って、スッとその世界に入れてすごいなって思います。
でも、歌が人生じゃくて、人生を歌っていくことが大事だなって思うようになりました」
2月2日、中野サンプラザホールで開催されたデビュー記念日コンサート・夜の部のオープニングトークはそんなふうに始まりました。
歌をつくってくださった先生がたの思い出も話され、他界された仁井谷俊也先生がとても優しい方だったことを懐かしそうに話すと、作り手の先生方の思いもまた歌うエネルギーになっていたことを語ったのです。
昼の部に参加されたOさんから教えていただいたのですが、デビューして間もなくかデビュー前キャンペーンだったでしょうか? 浅草のホールで歌ったとき、素敵なご夫妻が楽屋をたずねてくださり、”あなたの声が素晴らしいのでファンになりました”とおっしゃって、以後、関東在住の方でお仕事も現役の方でしたが、愛知のキャンペーンや色々なところに応援に駆けつけてくださるようになったのだそうです。
ワイドショーで紹介されたこともあるのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、そのMご夫妻はご主人も奥様もとても素敵な方ですよね。
そんなおふたりが自分のことを応援してくれることに、”こんなに素敵な方たちが応援してくれるなら、自分はこれからこの世界でやっていかれるんじゃないか”と、大きな自信になったことを、公の場では初めてお話しされたのではないかと思います。
そういえばあるときの「きらめき歌謡ライブ」で、きよしさんが生放送で、数フレーズ歌えなくなってしまったことがありましたね。
それは、客席にそのご夫妻が応援に駆け付けてくださっていて、”おふたりが今の自分をどう思っているんだろう?”と思ったら、言葉につまってしまったのだと、その翌日に出演された大竹まことさんのラジオ番組でお話しされていました。
わたしは、初期からのM夫妻のような特別なファンの方とさえも、もはや直接お話しすることが許されず、それこそライブで歌と表情で思いを伝えることしかできないということを知って、スターになるって、なんて孤独なんだろうと、大きなショックをうけ、胸が痛んだのです。
でも、ようやく、この日、kiinaは、M夫妻との思い出と感謝の思いを誰に気兼ねすることなく話せたのでしょう。
残念なことにご主人は他界されたそうですが、でも、kiinaの真心は奥様にはもちろん、ご主人にもとどいていますね。
和のコーナーで、デビュー曲の「箱根八里の半次郎」までを歌うと、22周年のお祝いコーナーになり、スタッフさんがケーキをステージに運んでくださいました。
長方形の大きなケーキには十七弦の琴が描かれていて、上に22という数字の飾りも。
それを目にすると、
「昼もやった」
と心持ち小声で(笑)。
そんなkiinaに、”何いってるんだか”という視線を司会の西寄ひがしさんが送ると、スイッチオン!
「ありがとうございます。
皆さんが幸せでありますように~!」
と、声高らかにいうと、ブーン! と大きな投げキッスを(喜)。
もう~、落差が激しすぎるんだからっ!
「ずっと付いてくれている、上東マネージャーがつくってくれたんですよ。
ケーキの上には抹茶のお粉、ちょっと乱雑だけど。
あと、前にkiinaって入ってます。きよしがナチュラルになってkiina!
何か、発泡スチロールみたいのを楽屋でつくってるなって見てたら、ケーキだったんですよ。
コロナだから、買わないでつくることにしたって。経費も浮くしって(笑)」
ケーキを購入しても、今のご時世では切り分けて食べることは控えることになるでしょうから、作ってくださった方にも申し訳ないとう思いがあってのことなのでしょう。
上東さんは絵も上手と初期のファンの方から伺いましたし、衣裳デザインにも参加されているそうですから、手先が器用で美的センスがある方なのですよね。
それなのに、あろうことか”乱雑”だなんて(笑)。
*なんとか2月1日の”1”が判読できます?
このために周囲の皆さんにお断りして
フラッシュたきました~
2の飾りがふたつ付いて22ということになっていたのですが、その飾りにkiinaがさわったので、”あっ、そんなにしたらくずれちゃう”というようなことを西寄さんがいうと、”くずれちゃう”という言葉に、待っていましたとばかりに、
「モレない、ズレない、クズれない?」
と(笑)。
皆の、いやあねという反応に、してやったりと、
「モレない、ズレない、クズれない、ウィスパー パンティーライナー!
子供の頃、゛便所゛に母のパンティーライナーがあって、何だろう、自分もつけてみようかなって(笑)」
そう思いつつ、できないままだったそうですが、西寄さんは2度ほど使ったことがあることを告白(笑)。
なんとトイレットぺーバーがきれていたときに、拝借してしまったということでした。
なんか、男の人たちって、皆さん、トイレでそんなこと考えたりしているのでしょうか(笑)。
すると、トイレットペーパーの話題から、よみがえった記憶があった様子で(笑)。
西寄さんのお顔をうかがいながら、そのことを言おうとすると、西寄さんの目が”NO!”と。
それでも話したそうなkiinaに、
「こんなおめでたい日の、私のそんな話、やめてくださいっ!」
と西寄さんがおっしゃったのですが、”話したいよ~”という熱い視線に、渋々ゴーサインがでたのです(笑)。
「20代最後の年に、旅行に行きたいなって思って。初めてニューヨークに行ったんです。西さんと、あと、あのときは誰だっけ?
あっ、うちの社長だ。
20代最後の年に初めてのニューヨークに行って。西さんとふたりで五番街を歩いていたんです。石鹸のお店に入って、”サンキュー!”、”ディスカウント!”なんていって(笑)。
それで道、歩いてるときに、西さんが急におなかが痛くなったって言って、大丈夫なのかな?って思っていたら、バーッと消えて。
そのあと、元気にもどってきたんですよね」
そこまで話して、そのことをどう表現しようか思いあぐねていると、西寄さんが、覚悟をきめて、
「私が言います!
スーパーの紙袋でふいたって。
それもアメリカの独立記念日でした」
と。
トークライブでよくおなかにまつわるお話をされますが、ほんとうに、西寄さんはかなりおなかが弱いのですね。
とても健康そうにみえるので、今までちょっと盛ってるのかなって思ってきいていたのです。今回、思わぬところで、誇張していたわけではなかったのだと腑に落ちたのでした(笑)。
*お友達のOさんがコンプリート!
「9.11(アメリカ同時多発テロ事件)の現場にも行きました。
(現場をこの目で)見て、泣きました。
一青窈ちゃんとはお友達なんですけど、彼女はあの現場を見て、「ハナミズキ」を作ったそうなんです。
(実際に自分もこの目で見て)ああいう思いがあの歌を生み出したんだなって思いました。
自分も、これからもたくさん詩を書きたいです」
そう話すと、松井由利夫先生のことを。
「松井先生にはデビュー曲から書いていただいていますけど、全然偉ぶらないんですよね。素晴らしいなって思います。
自分もそうなりたいって思いますけど。
最近は、マウントとって、自分の方が偉いって思ってる人いるでしょう? 意味わかんない。
ああいうのってなんでしょうね~」
そして、あらためて自身のこれまでを振り返ると、
「(デビューして以来、自分の)1年は、人の10年くらいに思えます。
はっと気づいたら、皆、(家庭をもって)幸せになっていて...。
自分だけ、チーン!」
少し自虐的なトーンにきこえたのですが、そこで、
「やっぱり自分は気持ちで歌いたい。
年を重ねてきて、自分の人生を歌いたいと思うようになりました」
と明るく話すと、突然、
「もう、皆さんと目を合わせます~」
と、2階席から順番に視線のビームを放ってくれたのです(嬉)。
「そっちが嫌だって思っても、こっちは目を見ますよ~」
というと、
「うー、わー、うー」
と力を込めているのだと声に出してアピールを(笑)。
「うー、わー、うーー! ミッキーマウスだよっ!
あっ、ミッキーマウスも好きですけど、でもスヌーピーの方が好き!
哲学があるから」
とさり気なく、スヌーピー押しまでアピールしながら、熱い視線を客席にくまなく送ってくれたので、心とろけておりました。
*おやき処 れふ亭さんのおやき!
kiinaちゃんセットを
お友達がプレゼントしてくれました
「2月5日に、うちの父が79歳になるんですよね。
父に、この間、初めて、”体に気をつけろよ”っていってもらいました。
ありがとねって言いました。
ほんと、そんなこと言われたの初めてです。
やっぱり九州男児なので、めんどくさいところがあって。
(自分が)28歳の時、父に”おまえの仕事のせいで迷惑かかってる。俺の世間体があるんだ”って言われたこともあったんですよ。
それが今は丸くなって、仏様みたいです。
この間、実家に帰ったときに、父と(コンビニに)買い物にいったときかな、父が歩くのが遅くなっていて。ゆっくりゆっくり歩くのを見ていたら、涙がでました。
母は、母が32歳のときにおばあちゃんが亡くなって、その悲しみで子供返りしていたようなところがあって、父は6人兄弟の末っ子。
だからあまり親に甘えられる環境ではなかったので、自分でなんでもやらなくちゃならなかったんです。
それで鍛えられて今の自分があるのかなって思っていますけど」
まだまだたくさん話したいことがある様子でしたが、
「このまま話していると3時間くらいかかっちゃいそうだから...。
グッズ紹介しましょう」
と、自ら仕切ってグッズ紹介へ。
あーん、もっともっとトークも、”もういいや!”って思ってくれるまできいていたかったんですけど...。
でも、こんなにもたくさん心のうちを話してくれて、ありがとう。
と、ここで、
「あっ、昼の部は(グッズ紹介)やらなかった!」
とkiinaが言うと、
「いえ、やりましたよ!」
と、西寄さんが自信満々に即答。
すかさず昼の部に参加された方たちが、”やってません”信号を送ると、スタッフさんからの合図もあったのかもしれませんが、
「すいません。やってませんでした」
と西寄さんが訂正されました(汗)。
すると、kiinaが
「ほーらっ!」
と鼻高々に言ったのです(笑)。
もう、意地悪kiina!
西寄さんは、オープンハートなあなたをサポートするために、持てるエネルギーをすべて注いでくれているんだから、仕方ないでしょ!
kiinaは、パーカーとガーデントートを紹介したのですが、すっかりご機嫌になってしまったようで(笑)、
「こちらは、パーカー。私はパーカー(おバカさんのイントネーションで)?」と(笑)。
「ファスナーが全部開いてかぶりではなく前開きなのでお化粧していても、くずれません。
後ろにも、な、な、なんと! kiinaとHKのダブルネームのロゴがっ!!」
と。
そして、ガーデントートについては持ち手がしっかりしていることや、マチが広くて使いやすく、和装にもぴったりと、肩にかけてウォーキングされ、大宣伝をしてくれました。
「WALK」を歌い終えたラストトークで、
「歌っていいなって思います。
自分の気持ちをメロディーにのせて伝えられるのが歌のいいところだと思っています。
2022年2月2日。
一生に一度しかない特別な日にお逢いできて嬉しいです。
自分に自信のない子供だったのですが、それは克服できたかなって思います。
人のやさしさやぬくもりって何気ないときに感じたりしますよね。
この喜びを共有できるっていいなって思います。
それは平和だからですよね。
平和でなければこうして歌っていられない。
だから自分も平和のお役立てになれる歌い手でありたいです。
自分で詩を書くようになりましたけど、最近、どんどん言葉がうかんで、詩があふれだしてきて...。
スマホに書きとめていますけど、もう、死に急いでいるんじゃないかって思うくらいあふれてくるんです」
と、その思いを伝えてくれました。
ここで、ココアちゃんの目線でkii名で作詩した「きみとぼく」についてお話しされ、
「テレビでに歌いたいですね」
とひと言。
ほんとうに、実現してほしいです。
皆さま、リクエストしませんか?
さらに、お友達のOさんによりますと、昼の部で、ココアちやんが旅立ったときのことをあらためて話してくれたそうです。
それはこんな内容でした。
「ココアが亡くなった日、ココアは生きようとして、ごはんをたくさん食べたんです。
それで少し安心していたら、そのあと、自分の足元に寄ってきたので、これはもしかしたらと察知するものがあって、すぐに胸に抱きました。
ココアは、”(まだ)死にたくないよ、もっと一緒にいたいよ”って、言ったのですが、自分の心臓の上でココアの心臓がとまりました」
夜の部では、
「昨年の2月16日にココアちゃんが亡くなりました。
ずっと二人暮らししてきて。
子供のように一緒に寝起きしていました。
だから1日でも長く生きてほしいと心から思いました。
亡くなった時は、自分の心臓の上だったので、ココアの心臓が止まったことを自分の心臓が確認したような形になりました」
また「You are you」について、
「44年生きてきて、いちばん嬉しい思いになれるのは自分が肯定されたときでした。
コロナ禍になって、自分自身のことを考えてみたとき、自分というものを大切にしていかないと、そしてそういう思いを伝えたいと思いました。
ロスに行ったとき、”キーナさんはキーナさんのままでいいんだよ、日本が遅れてるんだよ”って言ってもらって。
その一言でバーッと世界が広がりました」
と、話してくれました。
先の記事に歌への感動を書いていますが、
オープニングの「歌は我が命」に始まって、このアンコールの「きみとぼく」、「You are you」まで、25曲のめくるめく歌の花たちに酔いしれました。
そして、ラスト26曲目の「碧し」でのkiinaの歌声と涙に、わたしは大きな生きる力をもらったのです。
これからの人生で、耐え難い大きな困難にぶつかって、生きていることが辛くなったとき、きっと、わたしはkliinaのこの日の「碧し」を思い出すでしょう。
kiinaと一緒に泣いて、心で歌った「碧し」を。
そのとき、どれほど絶望のなかにいたとしても、わたしはまたこの地上で、命ある限り、生きようという気持ちになれるはずだと確信にも近い思いを抱いたのです。
kiina、ありがとう。