母親が入院して2日、兄から電話があり

ました。

 

兄:「お袋、暴れて薬飲まないから拘束具

   つけらてるらしい。面会行ったときびっ

   くりすると思うけど、気にしないで。」

 

母は数年前から心臓が悪く、薬を飲んで

いました。

 

 

その薬を飲まないので、命の危険がある

ため、仕方なく拘束具をつけているとの

こと。

 

 

次の日、ぼくは面会に行きました。

 

母はベッドに縛り付けられ、鼻に管を

通していました。

 

寝ていたので、肩をたたき起こしました。

 

ぼくの方を見て、

 

母:「苦しい・・・、外して・・・。」

 

自分:「今は無理だよ。薬飲んでないんだろ?

    お医者さんの言うことちゃんと聞かない

    と外して貰えないぞ?」

 

自分:「また会いに来るから、ここにいればお袋

    のこと誰も傷つけたりしないよ。だから安

    心してお医者さんの言うこと聞いて。」

 

次の面会のときも、その次も拘束具はついたまま

でした。

 

そんな中、今年の10月に東京の兄の娘が結婚

することになっていました。

 

ぼくの今年の目標は、母を東京に連れて行くこと

にしました。

 

母にそれを伝えました。

 

自分:「今年の10月に結婚するからさ、体調

    良くなったら東京連れて行くから結婚式

    行こうぜ。」

 

母にとっては孫なので、可愛いに決まって

ます。

 

結婚式に行けるというのを糧に、頑張って

ほしいと思ったのです。

 

 

自分:「まだ半年くらいあるから、ちゃんと

    お医者さんの言うこと聞いて、元気

    になったら東京行けるから、頑張ろ

    うぜ。」

 

しかし、内心はこの病気はおそらく治らない

んじゃないかという気持ちがありました。

 

普通の病気じゃなく、精神系の病気って治る

ものなのか・・・。

 

 

それから1か月・・・。

 

兄から電話がありました。

 

兄:「お袋、拘束具取れたらしい。見に行って

   くれないか?」

 

いい知らせでした。

 

確かに、この1か月、何回か面会に行きました

が、気性は穏やかになった感じでした。

 

あれ程言っていた妄想も無くなっていました。

 

面会に行くと、母は個室のベッドから大部屋

に移ったとのことでした。

 

車いすで母は現れました。

 

入院する直前より、さらに痩せていました。

 

顔も小さくなってました。

 

自分:「入院してスタイル良くなったな?(笑)」

 

薬のせいなのか、どこか元気が無いというか

、ボーっとしてる感はありましたが、普通に会

話できるし、昔の記憶もありました。

 

ぼくはこのとき、始めて入院させて良かったと

心から思いました。

 

 

入院させる前、母は病気が発病してからどれだけ

の時間独りぼっちだったのでしょうか?

 

 

飯も食わず、風呂も入らず、テレビを大音量でつけ、

携帯で誰かに電話するも相手にされず・・・。

 

この時僕は、兄弟のありがたみを知りました。

 

もし自分が一人っ子で、頼れる人がいなかったら、

こんなに迅速に入院させることはできなかったは

ずです。

 

兄はケアマネージャーとも密に連絡を取って、

これからのことも考えていました。

 

正直ぼく1人ではできる自信がありません。

 

本当に正直なことを言えば、家族があんまり

好きではありませんでした。

 

母が死んだら、婿に入りたいとも思ってました。

 

でも家族は暖かい、家族はありがたい、ぼくは

帰りの車で涙が止まりませんでした。

 

 

奇跡なのか、そういうものなのか、母はそれから

急激に回復していきます。

 

 

食欲が戻ってきました。

 

前はドリンクを差し入れしても、一口二口、しか

飲みませんでしたが、今はプリンもペロリと全部

食べます。

 

面会中に話すことはもっぱら昔話ですが、元気

が戻ってました。

 

はたから見る限りは、ただの車いすに乗った年

取ったおばあちゃんに見えます。

 

ただ歩くことはできませんでした。

 

入院する前はかろうじて歩いていましたが、今は

完全に車いすです。

 

おそらくもう、歩けるようにはならないでしょう。

 

でもそれは仕方ないと思いました。

 

もう80前ですから、体の1つや2つガタは来ても

おかしくありません。

 

そして、入院前、入院期間はとりあえず3か月、

3か月見て、回復の兆候が見られない場合は

どこか施設か何かに入れるみたいな約束でし

た。

 

その3か月が経とうしていました。

 

 

続きは次回に。