
昨日から仕事を休み始めた。
昨年、共通テスト直前に職場でコロナに感染し、さらに数ヶ月前に、インフルに感染したからだ。
嫌だな、嫌だな、と思っていると感染するもの。
これも、引き寄せの法則。
人によっては、感染症への意識の低い人もいる。近寄らないことが一番の対策だ。
感染しないためなら、周りに何を思われてもいい。
この1年、ずっと十字架を背負ったような気持ちだった。息子の人生に影響を与えたのだから、忘れられるわけはない。もちろん、息子にも、何があっても合格できる実力がなかったのだろうが、あの頑張りを3年間見てきた私には、そうは思えなかった。
そんなこんなで、久しぶりに長めの休みを取り、スタバにでも行ってお茶をしようか? と頭をよぎったものの、なぜ休んでいるかを考えると、うちから出ることができなかった。
息子は、不安になると、塾長と話しがしたくなる。
昨年、国立大二次試験の直前、息子は塾長に会いたそうだった。残念ながら会えずにそのまま東京へ。LI NEからのメッセージをもらったが、かなり不安だったのだろう。
「塾長、今日いないの?」
一昨日、息子がそんなことを話していた。体調不良の先生の代わりに、別な校舎へと向かった後だった。相当不安だったのだろう。だからこそ、共通テスト前日には何とか話をさせてあげたい。そう思っていると、昨日、塾長のほうから息子に話があったようだ。
「木曜日か、金曜日に共通スト前の面談をしよう?」
昨日の夜、息子を迎えに行くと、明るく車に乗り込んできた。息子の空気で、心を理解する日々。
長く同じ時間を過ごしたからこその信頼感なのだろう。東大がダメだった日にも、息子は塾長と電話で話をしていた。隠すことなく涙を流しながら話す姿を、私はただ見つめていた。
浪人生活が始まったとき、「共通テスト直前はメンタル的にいちばん苦しい」と、塾長から聞かされていたようだ。息子は覚悟をしていたものの、今までにない怖さにどう対処したらいいか分からない様子だった。
「いやぁ、想像以上にきついっすねぇ……」
「そうだよねぇ……」
そんな言葉を交わしたようだ。
私は浪人生の辛さを、心の底からは理解できない。それでも、その辛さを理解しようと寄り添うことはできる。
入試に限らず、誰かの辛さを本人と同じように理解することは不可能に近い。だからこそ、私は、下手に人に同情されたくないから、分かってもらおうとせず、一人で耐えることが多かった。
人は分かり合えない。
若い頃の私は、いつもそう諦めていた。
それが、大人になること、そうやって辛いことを一人で耐えられるのが大人の心だと思い込んでいた。アメリカ文学を専攻した私が、卒論で取り上げた作品も、心の孤独について書かれたものだった。
そんな私だったのに、息子が生まれてからは変わったように思う。息子を理解したい。そう思うようになったからだ。
心が傷つかないように、オブラートのようなもので心を覆って誰にも見せずに過ごしていたが、息子はその私のオブラートを溶かしてくれたように思う。
息子を理解しようとすればするほど、寄り添いたいと思うほど、孤独感がなくなっていったからだ。
理解しようと寄り添うこと、それが愛情だからだろう。寄り添うことで、私自身もエネルギーが得られていった。
息子は、同級生より生き方がうまくない。
社会の歯車に合わず、よくも悪くも、いつも飛び出してしまう。人と同じようにできないとき、私はいつも苦しさを感じてきた。私の育て方が悪かったのかと自分を責めてしまうからだ。
息子がギフティッドだと分かったとき、息子の魅力を見つめればいい、人より上手くできなくていい、そう割り切れるようになった。
人と違っていてもいい。
そう思えるようになったけれど、浪人したときは、また子育てに自信がなくなった。
私が、息子を信じて任せすぎたのではないか?
キーキー言って、我が子の成績ばかりを心配していた親の子どもたちは、皆うまくいっていたからだ。
息子は、自分に大きな期待を持ちすぎ、身の丈を知らないのではないか?
息子は、正常な判断ができているのだろうか?
そんな疑問にまた突き当たってしまった。
つらい浪人生活を見つめながら、改めて思う。
合格すれば、子育てが正しいわけではない。
どんな子育てにも、良い面があれば悪い面もある。
息子と過ごした19年で、私は、育てながらも、息子に育ててもらった気がする。
よいこともたくさんあったけれど、息子を育てる中で、辛いことのほうが多かったかもしれない。
ギフティッドの特性が理解できず、思い悩むことが少なくはなかった。
それでも、20代の頃の私を振り返ってみると、息子と出会ってからの私は、大きく変わったように思う。
この数年で、白髪がとても増え、苦労の色が私には見えるけれど、それでも私は息子に出会えたことの豊かさを感じている。
息子は、高校の卒業式の日、
「あぁ、浪人しなくてよかった」
そう同級生に言われたそうだ。息子が合格していないと知りながら、そう告げられたそうだ。
今は、現役生しかいない塾で、息子は浪人生活を送っている。時折、心無い言葉を耳にし、肩身が狭い思いをすることもあるそうだ。
でも、息子のすぐ近くにいる後輩たちは、息子を受け入れてくれている。
一昨日、緊張のあまりイライラ気味の息子を見て、体を軽くぶつけ、じゃれてきた後輩がいたそうだ。
その行動の裏に、優しさがあったという。
いい奴だと思った、と息子は話をしていた。
受験勉強を通し、心で感じることは多い。
息子が選んだ今は、心ある人たちがいる。
入試結果も大事だが、ただ結果にだけ心を動かされず、私は今ある豊かさも見つめていきたい。
