
昨夜は花火大会。
仕事も休みだったので、いつものように芝生の広場で場所取りをした。
息子といつから一緒に花火を見なくなっただろう? 受験勉強を夢中で始めてからは、花火大会の日でさえも、自習室で勉強するストイックさを見せていた。
昨年は、浪人していた息子を花火に誘ったが、迷いながらも、息子は自習室での勉強を選んだ。
パートナーと二人で夜空を見上げ、きれいな花火に釘付けになりながらも、心はどこか重くて、自習室にいる息子のことを考えていたのを思い出す。
今年はもう、息子は苦しんではいない。
昨年のように、心が重いわけではなかったが、花火を見つめながらも、幼い日の息子との思い出が次々と心に押し寄せ、花火が少し切なく思えた。
綿あめを喜んで食べていた日。
大きな花火に笑顔を見せていた日。
キラキラ光るものが好きで、祖父におもちゃを買ってもらったこともあった。
夜空に咲く花火の瞬間の輝きが、子育てと重なったのかもしれない。一瞬の煌めきのために、花火師は、きっと長い時間をかけるのだろう。子育ても同じで、見えないところで、長い時間我が子に愛を与える。
成長し、長かった子育てはパッと終わりを告げてしまう。花火を見つめながらも、幼い頃の息子が見え隠れして、息子に会いたい気持ちが込み上げてきた。
昨日は、隅田川でも花火大会。
息子は夕方までアルバイトの予定だと話していた。その後、花火を見に行こうか迷っている様子だった。
「いつか行くんだ」
長い間、息子は語り続けていたからこそ、私は「少しでも見てきたら? 行っておいでよ」と話していた。
息子が隅田川の花火を見たのか、まだ聞いてはいない。それでも、息子が近くにいない初めての花火大会は、大学生になれた安堵感に加えて、失恋のような切なさを味わうものだった。
今、離れて思う。
どんなに息子との時間が、私に幸せを与えてくれたのだろうと。そして、どんなに息子のことを思っているのかを。
息子が生まれて20年。
たくさん苦しいことがあったけれど、一人の人間を幸せにしようと、こんなに心を尽くしたことはなかったかもしれない。
息子がいない今、私は同じ場所で花火を見続けている。20年前は全く予想もしなかったパートナーと一緒に、並んで花火を見つめている。息子への愛は今も全く変わらないが、20年前と違うことは、「自分の物差し」で生きられるようになったことだろうか。
まだまだ息子がいない時間は慣れないけれど、息子を安心させるためにも、私は少しずつ、前を向いて歩いていきたい。
