今日は、平日のオフの日。

適応障害になってからは、5日連続出勤をやめ、小刻みに休みを入れている。

息子は、私の職場の塾に行き、今日も勉強をしている。それでも私は、絶対に職場には行かない。これも、再発を防ぐ方法だから仕方がない。

お気に入りの近所のスタバに行き、パソコンを開く。

 

 

 

 

ストレスが溜まると、あぁ、もうこんな日々は嫌だと思う。

いい加減に働けばいいのに、生徒たちのことを考えるとそんな気持ちになれない。心配と責任感からお説教を繰り返し、生徒との心の距離を感じることもある。思うからこそ厳しくするのに、それは子どもには伝わらないものだ。

 

 

 

あらゆる世界で、人とのストレスはつきもの。最近は、HSP特有の「共感センサー」を「弱」にして、人との関係で心が動きすぎないよう、「距離感」も大事にしている。

 

 

 

夕方、ガソリンスタンドに行った。

いつものようにガソリンを入れ、車を走らせる。すると、一時停止した私の車の窓を叩く音が聞こえた。

後ろから衝突されたのだろうか?

物音もしないのに、ぶつけられたの?

 

 

 

すぐに車の左後ろをガタガタ触っている音が聞こえた。

「大丈夫です。閉めておきましたよ!」

店員さんは、給油キャップの閉め忘れに気づき、慌てて走ってきてくれたようだ。

「あっ、忘れてました?」

初めての失態と、周りに多くの人がいすぎたことで、恥ずかしさから笑ってごまかしてしまった。

 

 

 

世の中は、意外と善意が溢れている。

今日のように、ふとした時に、自分に向けられた善意に気づくことがある。

 

 

 

店員さんだから当たり前。

閉め忘れて恥ずかしい思いをして最悪……

ある状況の中で、何を感じるかは、自分で選びとることができる。

 

 

 

いつも、人のことばかり考えている私は、自分のことを考えなくなっていることに気づかないことがある。自分に優しくできるのは、自分のはずなのに、人のことばかり考えてしまい自分を後回しにしてしまう。そんな毎日の中で、私の車を心配し慌てた表情を見せた店員さんの姿に、妙に自分の存在感を感じ、ちょっと心が温かくなった。

 

 

 

幸せなんて、見つけようと思えば、いくらでも見つけられる。

本当は至る所にあるのに、小さな幸せを上手に感じられていないだけだ。日々の忙しさで見落としているだけだろう。

宝くじが当たるとか、豪華な旅行をするとか、そんな大きな幸せだけが幸せではない。

 

 

 

あのまま走っていたら、どうなっただろう? そう思うだけで善意がありがたく、また明日から頑張ろうと思えた間抜けな失敗だった。




「間抜けさも時に役に立つ」と、勉強で疲れて帰宅した息子に、伝えてみたい。