曇り空の今日、息子は5時半に起きた。

いつもなら自分で起きられない息子だが、今日は自分から起きてきた。

東京への列車は6時半だ。

朝10時からの授業を受けに、早めに東京へ行った。

 

 

 

東京のスクールは完全アウェーだったのに、少しずつスタッフにも顔を覚えてもらえるようになったそうだ。段々に溶け込んでいるように見える。

 

 

 

手応えも感じ、授業にもついていけるようだが、何よりも成長を感じたのは、朝自分で起きたこと。よほど、東京へ行って勉強したいのだろう。

 

 

 

私には、勉強のことは分からない。

聞いても理解できないから、聞こうとも思わない。

それでも、息子が朝一人で起きて、当たり前のように家を出て行く姿を見ると、もう一人で大丈夫。そう思える。

 

 

 

その姿を見ると、幼い頃から手がかかった息子を思い出す。こんなに手がかかって、将来大丈夫だろうか? こんなに弱くて一人でやっていけるだろうか? 何度となく心配をしたように思う。

 

 

 

唯一心配だった、「朝起きられないこと」も、息子は克服しつつある。ギフティッドの特徴だからか、眠りが深すぎて、息子は起きられない。

成長を感じ、ほっとできた瞬間なのに、どこか寂しさを感じるのは、なぜだろう?

 

 

 

「駅前の桜はまだ咲かないね。いつも見ているんだけど……」

息子が昨日、話していた。

駅前の桜の木を見る度に、私は来年のことを思う。

 

 

 

来年、息子は18年住んだ家を離れ、東京へ行くだろう。

まだ今年の桜も咲いていないのに、来年の桜を思い浮かべただけで、私は胸が締め付けられる。息子と毎日会わないなんて、今の私には想像ができない。

 

 

 

息子のために、うまく行かない結婚生活を我慢してきた。

我慢の分だけ、息子へ思いをかけ、息子が幸せになるよう、いつもいつも願ってきた。

周りの子と少し違う息子を見て、私が他のママ達より我慢の中で暮らしているから、どこか愛情が歪んでいるのではないか? と悩んだこともあった。

 

 

 

旅立つまでのあと1年、私は何を息子に与えられるだろう?

息子の授業料のために、一生懸命働くことくらいだろうか? 




もう、あまりできることがない。

できることがないことは、我が子が旅立つ前に、一番いい状態なのかもしれない。

 

 

 

そこまで自立させられたなら、子育てもうまくいったのだろうか。

そう自分に何度も言い聞かせているけれど、それでも朝一人で息子が出ていく姿を見て、ほんの少し、寂しくなった。

 

 

 

子離れまで、あと1年の春。

息子との1日、1日を大切にしたい。